遠い日

朝起きると雨が降っていて、月曜日の朝から全くがっかりだった。ところが昼が近づくにつれて空がどんどん明るくなって、仕舞いには気持ちの良い青空が広がった。眩しいほどの太陽の日差し、青い空。黄色く色づいた街路樹の葉がとても映えて美しかった。月曜日からついている。と今朝のがっかりは忘れてひとり呟いた。空が青いっていい。それだけで気分がとてもいい。一日に何度もそんな言葉を発して喜んだ。19年前の今頃、私はアメリカの坂の多い町に住んでいた。当時一人暮らしをしていたが、様々な理由から誰かとアパートメントを共有して暮そうと思うようになっていた。様々な理由の一番は明らかに経済的な理由からくるものであったが、それと同じくらい賑やかに暮したかったのだ、あの頃の自分は。ひとり暮らしは確かに快適だったが、一旦家に帰ってしまうと世の中から隔絶されたような気分になった。私がひとりで暮らしていたのは古いアイアン様式のアパートメントで、クラシックな鉄の引き戸がついた狭いエレベーターがあった。エレベーターに乗り込むと一瞬下に沈む。ほんの僅かだが確かに一瞬下に沈むのだ。それからギギギと嫌な音を立て動き出し、ガッタンと大きな音を立てて停まった。初めて乗った時こそ声を上げて大騒ぎしたが、慣れてしまえばそんなものだと思うようになった。多分此処の住人達も多かれ少なかれ同じように恐ろしい目に合いながらも次第に慣れていったのだろう。私の部屋は最上階の通りとは反対側にあった。部屋に入ると外の騒音も近所の何の音も聞えなかった。それはそれで快適だったが、時々それが寂しく感じて私はラジオをつけるようになった。軽くて気分のいい音楽がひとり暮らしの沢山の隙間を埋めてくれた。同じ建物の住人は皆良い人達だった。顔を合わせばアメリカに暮し始めたばかりの私が何か困っていることはないかと声を掛けてくれたり、美味しいものを作ったからとお皿に盛りつけたものを渡してくれたり。私は何の不自由もなかったが、私は此処を早く出た方が良いと思っていた。そんな時、友人を通じて私より少しだけ若い女性と知り合った。彼女も同じように共同で住むアパートメントを探そうと思っていた。それで私達は新聞の貸部屋案内のページに幾つもの紅い丸をつけては、片言の英語で家主に電話を掛けた。なかなか上手くいかなかった。それで私達は住みたい界隈を歩いて貸部屋を探すようになった。何しろ坂が多いから、大変だった。来る日も来る日も歩いた。歩いて見つけては近くの公衆電話から電話を掛けてアポイントを取ると、その足で部屋を見に行った。私達が好きな界隈は遠くに海が見えるような場所だったから、手が出ないほど高くてがっかりするばかりだった。身の程知らずだったのだ。だけどあの経験で私達は通りの名前や町の構造が手に取るように分かるようになった。何番のバスに乗ると何処に行けるか、トラムは何処で降りればよいか、その大通りを歩いていくと右手に何の店があるか、とか。そうして私達はようやくアパートメントを見つけた。海は見えなかったけど、日当たりが良くて広い部屋と大きな出窓のある、ハードウッドの床がいい感じのアパートメントだった。ひとり暮らしのアイアン様式のアパートメントからは僅か8ブロック先だったが、まるで別世界のように感じた。契約はややこしくて辟易したが、その分だけ引越しの日は嬉しかった。私には大した家具はなかったが、小さな机と大きなランプと木の椅子があった。友人がふたり来てくれて、坂道を歩いて上りながら小さな引越しをした。今日みたいに青い、気持ちの良い日だった。あの共同生活は結局1年と少ししか続かなかったけれど、あの町での暮らしを思い出すとき真っ先に思い出すのがあの頃のことだ。私の大きな出窓から見た青い空。一日中降り注ぐ太陽。良いことも悪いことも全てひっくるめて私にとっては大切なこと。仕事中に何度も空を見上げては、何度もあの頃のことを思い出した。遠い日の思い出。

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コメント

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私の住んでいるホノルルとは、地球の反対側のイタリア生活、何時も楽しみに読ませて頂いております。
マハロ
Takako

2010/11/09 (Tue) 02:29 | Takako #79D/WHSg | URL | 編集
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Takako さん、こんにちは。ボローニャの地球の反対側のホノルル。11月でもきっと暖かくて過ごしやすいのでしょう。目を瞑ってその様子を想像してみました。これからもお付き合いお願いします。

2010/11/09 (Tue) 23:30 | yspringmind #79D/WHSg | URL | 編集

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