彼女達

待望の土曜日。この日を先週末から待っていた、ような気がする。それに加えてすっかり暖かくなって重い冬のコートをやっと脱いだから、週末は軽快な足取りでボローニャを散策しようと楽しみにしていたのだ。昼過ぎに家を出ようとしたところ、ずっと向うの空に黒い雨雲があるのを見つけた。ずっと向うにあった雨雲は弱い風にすいすい乗ってあっという間にピアノーロ上空を覆ってしまった。やれやれ。雨が降るかもしれない。と、小さな雨傘を鞄に突っ込んで家を出た。雲行きの怪しい土曜日の午後。これは誰も予想していなかったことだった。ボローニャに着くと雨が先程降ったらしく、アスファルトのところどころが濡れていた。しかし驚くほど温かく、若者達は綿のシャツ一枚という軽装で、もう少し年上の人達はまだまだ油断はしてはいけないといわんばかりに腰丈のジャケットにスカーフ、そうかと思えばまだまだ冬の装いの人達もいる。その様子を眺めながら、いったい今はどの季節なのだろう、と思う。市内のバスの中で高校生の女の子の集団と遭遇した。皆、テレビに出てくる人達のように可愛くてスタイルがよくてお洒落だ。私がイタリアに来たばかりの頃は、こんなではなかった、と思った。あの頃の高校生といったらとても保守的で真面目腐った服装をしていた。あれから年月が経つうちに、皆アメリカのTVシリーズに出てくる女の子みたいになった。綺麗になったと言うと良い。でも何だか皆同じに見えるのはどうしたことか。ひとりくらい違ったタイプが居てもいいのになあ。そう思いながら、そうか、違うタイプだったら同じグループに入れないのだ、と気がついた。女の子の集団のお喋りはとても興味深かった。グループの半分がイタリア人で、残り半分がフランス人だった。互いに母国語で話していたがちゃんと話が通じているらしくて、皆とても楽しそうだった。この年齢で外国語が分かるのは良い。この年齢にこんな風に話をしていたら、多分身体に沁み込むに違いない、と思う。それにしても皆同じだ。と、思い出した。アメリカで知り合ったふたりの女性。ひとりは私に英語を話す楽しさを教えてくれた人。年齢不詳でよく喋る、人懐こくて写真に撮られるのが大嫌いな人。流行は一切追わない、遠くからでも、あ、彼女だ、と分かるような人。彼女はある思想を持っていて、独特で不思議な人だった。もうひとりは写真家。初めて会った瞬間に自分の世界をしっかり持っている人だとすぐに分かった。シンプルなことが好きだけど、でも彼女の頭の中は決してシンプルではない。複雑で奇妙で、一緒に話していると思わず笑いが零れてしまう、そんな人。このふたりの印象は全く異なるけれど、ひとつ共通点がある。ある日写真家と話し終えて、あなた、変わった人ねえ、と私が言うと、顔に大きな笑みを湛えて喜んだ。嬉しい、私は他の人達と違っていたいのよ、有難う。そう言って私をぎゅっと抱きしめた。別の日、年齢不詳の彼女と話していた時にも同じことが起きた。最高の褒め言葉だと言って私をぎゅっと抱きしめた。私もまた人と同じが嫌いな人であるから彼女達の気持ちが良く分かる。もっとも私は彼女達ほど独特でも不思議でも複雑でも奇妙でもないけれど。バスの中でそんなことを思い出して、急に彼女達に会いたくなった。こういう人達が近くにいない現在をほんの少し寂しく感じたりもした。

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2010/03/28 (Sun) 07:24 | # | | 編集
No title

鍵コメさんにも“彼女達”がいるんですね。私の彼女達はすぐに会える距離にいないのが難点です。もう8年くらい会っていませんが、どうしているでしょう。いい友達は何年経ってもいい友達のままであると信じたいです。
ボローニャは、丘にも山にも春が来ました。嬉しい、でも春のアレルギーでくしゃみが止まらず大変なことになりました。

2010/03/28 (Sun) 23:06 | yspringmind #79D/WHSg | URL | 編集

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