小さな交流

友人が暮らすアパートの同じ階に老女たちが住んでいる。ひとりは管理人さん風のここのことなら何でも知っている人だ。彼女の妹は結婚してイタリアのアドリア海の町に住んでいるそうだ。そんな訳で私に親しみを感じているらしく、顔を合わす度に話しかけてくれる。ただ、言葉が分からない。たまに私が知っているハンガリー語が出てくると、成る程、そういうことだったのか、と理解するがそれは実に稀なことであった。彼女にとってはそんなことはどうでも良いことらしく、兎に角言葉を交わすことに意義がある、とでも言うようにまた次の日も話しかけてくる。もうひとりは猫を飼う老女。彼女とはめったに会わない。会っても向うから声を掛けてこない。私が外国人で言葉が分からなかろうと思ってのことに違いなく、言うなれば短い挨拶だけの関係だ。ある日、いつも外に居る彼女の猫が見当たらない。名前を呼んでも出てこない。そういえば猫は最近腎臓結石に病んでいるらしいから、ひょっとしたら具合が悪くて、まさか入院してしまったのでは。そんなことを思っていたところに老女が家から出てきたので、猫はどうしたのかと訊いてみた。すると思いがけず言葉が通じて、私の質問の20倍もの言葉が返ってきた。勿論全然分からない。家に居た友人を無理やり呼んで話を聞いてもらったところ、猫はやはり腎臓結石が痛いのだそうだ。それで朝から家で横になっているらしかった。しかし驚いた。私のハンガリー語が通じたこと。老女があんなにたくさんのことを私に話したこと。多分老女は嬉しかったのだろう。私は彼女の猫が大好きで、いつも遊んでいるのを見ていたから。この日から私と老女の距離が少し縮まった、ような気がする。少しすると例の猫が心配掛けて悪かったね、とでも言うようにのろのろと家から出てきて私に擦り寄ってきた。義理堅い猫だ。そんなところが益々可愛い。そうそう、ある日の夕方のこと、車のトランクに荷物を詰め込んでいた時の事だ。向うの曲がり角から老人がやって来た。80歳くらいの老人だ。小さなプードル犬と散歩していた。老人は彼の前2mを軽やかに歩く小さなプードル犬の他に左腕に小さな小さな子犬を抱えていた。あまり可愛いので片言のハンガリー語で声を掛けた。小さいね、可愛い子犬ね、と。老人は私の車のプレートを見るとイタリアから来たんだね、と嬉しそうに、彼もまた片言のイタリア語を話し出した。ローマから来たのかと訊ねる彼に、いいや、ボローニャからだと答えると少々残念そうな顔をしたから、多分彼にはローマに思い出があるのだろう。彼の腕に抱かれた子犬を撫でる私に、彼は欲しければ譲っても良いといった。前を歩くプードル犬が父親で、3匹の子犬が居るのだそうだ。欲しい。と心が叫んでいたが、犬を飼う責任を全う出来そうに無かったので、丁寧に辞退した。ほんの数分間の立ち話だったけれど老人は嬉しそうだった。別れた後も何度も振り返った。まさかこんな老人がイタリア語を話すとは夢にも思っていなかったので、私もまた嬉しかった。私のブダペスト滞在には沢山の人達との楽しい思い出が詰まっているが、そのうちの幾つかはそんな老人達との小さな交流だ。

コメント

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今晩は。つかぬことをお伺いしますが、ハンガリーではご老人たちは充分に生活できるくらいの年金を支給されているのですか?
しかし言葉があまり通じないのに交流できるなんて、すごいの一言です。たぶん、日常の諸々のことをお話なさっているのでしょうけど、それができること自体が素晴らしいですね。

2009/08/18 (Tue) 21:19 | Via Valdossola #79D/WHSg | URL | 編集
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Via Valdossolaさん、こんばんは。ハンガリーの老人達の年金は決して充分ではありません。だから生活はとても質素です。外で食事をする人はあまり居ないようです。一頃日本のお母さんが何でも作ったようにハンガリーのお母さんも何でも家で作ります。そしてその材料は生活必需品ですから案外安く手に入るという仕組みです。
それで私が思うに交流するのは意外と簡単なのです。上手く話せないこと、よく分からないことを恥じ無ければよいだけです。多分私はずうずうしい性格なのだと思うのですが、それが外国では良い結果として現れると言って良いようです。

2009/08/19 (Wed) 00:05 | yspringmind #79D/WHSg | URL | 編集

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