あの場所

ボローニャに暮らし始めた頃、人々がまだ手紙を書く時代だった。家族や友達から遠く離れている私は、時間を見つけては手紙を書いた。いいや、本当は見つけなくても時間が沢山あったから、一日に5通書くことだってあった。それだから私の家には手紙が頻繁に届き、時々郵便屋さんと郵便受けの前で鉢合わせると、今日は何通届いているよ、などと教えてくれるようになった。いくら手紙を書く時代だって、こんなに週に何通も手紙が届く家などなかった。どの家も届く郵便物といったら光熱費や電話代の請求書、または年金手当ての通知などの味気無いものばかりであった。あの当時交流が頻繁にあった友人の家で私は絵葉書を見つけた。私と相棒がまだアメリカに居た頃、彼女が私達宛に送ってくれた絵葉書と同じものだった。あの絵葉書の余白にはこう書いてあったのだ。ねえ、ボローニャにこんな場所がまだ残っているなんて信じられる? そうして絵葉書を裏返すとまるで昔の映画に出てくるような古いボローニャの情景があった。あの絵葉書が好きで私達はそれを磁石で冷蔵庫のドアに貼っていたが、うちに来る仲間たちは其れを見て美しいと感嘆してはボローニャに憧れた。美しいという言葉は簡単で難しい。ひょっとしたら言葉はみな簡単で難しいのかもしれないけれど。美しいと言っても、その人によって美しい意味合いが微妙に違うのだから。優雅で夢心地のような美しさもあれば、もう手に入らないに違いない懐かしさが美しいこともある。私がこの絵葉書から感じた美しさとは、変化になれてしまった新しいことに見慣れてしまった人間が、ああ、まだここに残っていた、と息を止めて見入るような、其れを取り囲む空気ごと時間が止まってしまったような古いボローニャの美しさだった。その絵葉書の場所が一体何処なのか思い出すことが出来ない。家の何処かにあの絵葉書がしまってある筈なのに見つからない。時々散策をしながら、此処だったのではないかと足を止めて考えてみるけれど。それとももうあの絵葉書の情景は失われてしまったのだろうか。

コメント

No title

こんにちは。
何年か前生まれ育った場所から遠く離れて暮らしていたときのことですが、そのときの生活を思い出してしまいました。そういえばワタクシもあのとき、毎日手紙を何通も書いていたなぁ、と。「ほぼ日刊だ」とか言いながら投函していましたが、受け取る方も「また来たよ」とうんざりしたかもしれません(笑)。でも、あのときは口から言葉として吐き出せない想いを便箋の上にのせていたような気がします。
帰りたいと思っていた場所にいると、どんな風景も心に温かいものを運んでくれる気がします。今、電車の窓から冬の山を見ると湧いてくるのはきっと、ワタクシの毎日見られる「懐かしさ」なのかもしれません。

2008/12/18 (Thu) 05:48 | 大庭綺有 #79D/WHSg | URL | 編集
No title

ボローニャはローマやフィレンツェほど大きくないにしても、(ある情景)を探すのは大変でしょうね。その、友達の家で見た絵葉書から推測はできないのでしょうか。日本と違って、ヨーロッパの町ではそう簡単に情景が失われてしまったとは思えません。いつか見つかるといいですね。せめてその絵葉書だけでも。

2008/12/18 (Thu) 17:52 | september30 #79D/WHSg | URL | 編集
No title

大庭綺有さん、こんにちは。パソコンがこんなに普及する前は手紙を書くことが日常の一部だった、という人が案外沢山居ますね。書くのは楽しかったけど、受け取るほうはどんな気持ちだったのでしょう、本当のところは。私同様、手紙が届くのを楽しみにしていてくれたなら良いけれど。いつの間にかボローニャが自分の町になりました。いつかこの町を離れたら、私が歩いて見つけた情景が懐かしいものになるのでしょうか。今はちょっと想像できないけれど。

2008/12/19 (Fri) 00:08 | yspringmind #79D/WHSg | URL | 編集
No title

septemberさん、ボローニャは小さな町。でも細い路が驚くほど張り巡らされていて、全部を歩いて探すのは大変ですね。仰るように簡単に失われてしまう情景ではないとは思うのですが。あの友人は今は遠くに暮らしていて、引越しなどで絵葉書はどこかに紛れ込んでしまったことでしょう。私の絵葉書は今何処のどの箱に入っているのかすら分かりません。あの絵葉書の情景が、私が初めて見たボローニャですから見つけたい気持ちは深いのです。

2008/12/19 (Fri) 00:15 | yspringmind #79D/WHSg | URL | 編集

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する