Sansepolcro (サンセポルクロ) の人々

町の情報は何ももっていなかった。どんな歴史があるとか、どんなものがあるのとか。簡単な地図ひとつすら持っていなかった。時には人の流れと共に、時にはひと気の無い路地に足を踏み込む。思っていたより大きかったとはいえ大都市ではない、だからそんな気まぐれな散策がちょうど良い。町を歩いて目に付くのは肉屋。面白いほど沢山ある。それからギャラリー。どうやら食と芸術の町のようだ。建物は一様に古い。古い出窓に取り付けられた小さなバルコニー。バルコニーは美しい模様を施した鉄柵で作られていた。同じものはひとつも無い。どれもが競って美しいものを備え付け、まるで自慢しているかのようだった。ひとつ見つけては上方を指差して褒め、向こうに別のを見つけてはこれも素晴らしいと褒める。この町は裕福な町だったのではないかと思う。それは私の憶測であり、本当のところはこれから町についてじっくり調べてみてから分かることなのだけど。私は5年間フィレンツェで仕事をした。その間フィレンツェに暮らしたわけではなく、朝晩電車に乗って通勤したのである。その5年間に色んなことを考えたが、中でもフィレンツェ人とボローニャ人の気質の違いについては嫌でも感じることがあった為、電車に揺られながら時には同じような通勤仲間達としばしばそのことを考えた。この通勤仲間と言うのは、通勤しているうちに知り合った基本的には知らない人の集まりだ。どちらが良いとかどちらが悪いとか、そういう話ではない。基本的に違うのだ。それは大変面白いことで、この小さなイタリア共和国の、しかも隣接したように存在する二つの町の住人の考え方、性格がこうも違うと分かってしまうと、それは笑うしかないのだった。話し言葉も違えば、文化も違う。誰かが町ごとがひとつの国だと言っていたが、全くその通りだと頷くばかりだった。そして私たちは皆ボローニャに暮らす人達だったから、やはりボローニャ贔屓であることは否めなかった。私の相棒にしても然り。今の今までボローニャが一番と思っていた人だ。ところがである。個人の建物の中に招きいれてくれた人といい、旧市街を囲む壁の前にある駐車場の管理人といい、散策中に声を掛けた道行く人達といい、感じが良いのである。それは上辺の感じの良さではなくて、素朴で普通、飾らない根本的な温かさ、のようなものであった。私はイタリアに何年暮らしても所詮外国人である。周囲の人は私を見慣れていても初めて見る人にとっては私はやはり外国人で異質な存在なのだ。そんなことをボローニャで今でも感じている。それは変えることの出来ない事実であって、私もまたその覚悟が無ければボローニャで生活することが出来ないのだから、納得済みということで宜しいのだ。それがどうだ、Sansepolcroではそうした目が無い。違和感が無い。相棒にそれをどう伝えようかと口篭もっていると、彼のほうが先に口を切った。この町は良い、自分が他の町から来たと思わせない包み込む温かいものがある、といった。それだ、それが私の言いたかったことなのだ。先に言われてしまったことがちょっぴり悔しい気がしたが、同時にイタリア人でもそう感じるか、と驚きと喜びが複雑に混じり合った。どこぞから焼き栗の香ばしい匂いが漂ってきた。その根源は一体何処にあるのだろうと匂いを辿って歩いていくと、100mも先の屋台だった。100m前から良い匂いがしていたよ、と声を掛ける。焼き栗屋は笑いながら、そうさ、僕の栗はいつだってそうなんだよ、と単に声を掛けただけの買い求めもしない私たちに飛び切りの笑顔を見せた。見上げると群青色の夜空が私達を覆っていた。少々遠かったが来て良かった。また近いうちに戻ってきたい、そう思いながら町を後にした。

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2008/11/09 (Sun) 23:26 | # | | 編集
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鍵コメさん、こんにちは。今日、本当に今日やっとすっきり元気になりました。私は何も知らずにこの町を訪れて、後日色々調べたところ、この町がピエロ デッラ フランチェスカで有名であることが分かりました。次回はそれを辿ってみたいと思っていたところです。豊かな町であったことは確かなようですが、町の人の心も豊かだ、と確信してます。鍵コメさんはきっと気に入ると思います。そして去りがたい町なんです、後ろ髪を惹かれます。

2008/11/10 (Mon) 13:37 | yspringmind #79D/WHSg | URL | 編集

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