特等席

もう一週間も前のことだ。薄日が差したり曇ったりの一向に天気が安定しない、ある午後のことだ。piazza maggiore に面したテーブル席に若い男女が肩を寄せて座っていた。ここは特等席だ、そんなことを思いながらこっそり写真を撮った。特等席。何て良い響きなのだろう、そんなことを思いながらまた歩き始めた。私は誰と約束があるでもなく、また取り立てて用事があるでもなく旧市街を歩いていた。こういう時間は大切。出来る限りこういう時間を確保するようにしている。誰に歩調を合わせるでもなく、誰かに気兼ねしながら行き先を決めるでもなく。多分、私は若い頃からそうすることが好きだったのだ。勿論友人との散策も、友人との談話も、それは私には大切な時間であるけれど、自分ひとりの時間があるからこそ友人との時間を楽しく過ごせるのだ、と私なりに分析する。人間には色んなタイプがあるらしい。誰かと一緒でないと寂しいとか詰まらないとか感じる人も居て、だから私のように一人で時間を過ごす人を寂しい人と呼ぶ。面白いことに当の本人は全く寂しくは無く、それどころか楽しんでいるのだから考え方とは全く個人差のあるものである。時々、思い出す。私がアメリカに暮らし始めて半年が経った頃のことだ。私には一握りの友人と、その倍数くらいの単なる知人が居るだけだった。複雑な人間関係は無く、とてもシンプルで明快だったから人間関係で悩むことは滅多に無かった。勉強と仕事、彼らとの付き合いと自分の時間、それだけが私の生活だった。シンプルな分だけ充実した生活だった。自分が行動を起こした分だけ一歩先に進むことができた。それを咎める人も居なかった。そういう時代だったのかもしれないし、アメリカがそういう文化なのかもしれなかった。自分が置かれている状況の違いがあるにしても。多分、私が体の隅っこで長いこと気が付かない振りをしながらも苦しんでいたのは、そういうことなのかもしれない。と、街をふらふらと歩いている途中に突然答えがポロリと零れて落ちた。過ぎたことと諦めようか。時代が違うと諦めようか。置かれている状況が違うから、と自分を納得させようか。確かにあの頃のようにはいかないだろう。けれども気が付いてしまったのだから、もう悩まない。これから始めよう。自分の人生だもの。自分の人生の特等席を確保しなくては。そうだ、人生の特等席だ。答えが出て、気持ちがやっと晴れた。

コメント

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2011/01/15 (Sat) 03:35 | # | | 編集
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鍵コメさん、はじめまして。こんにちは。大変興味深いお話を有難うございます。改めてメールの方に連絡いたしますので少々お待ちください。ご挨拶有難うございました。

2011/01/17 (Mon) 19:27 | yspringmind #79D/WHSg | URL | 編集

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