水の流れ

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21時になっても鳴き止まぬ蝉。窓の傍らの菩提樹の枝に居るらしく、開け放った窓から蝉の声が部屋の中に流れ込む。夏だもの。そう思いながらも、此の時間になっても30度を下らぬことに眩暈を感じる。眩暈。今日は一体幾度眩暈を感じたことか。そしてその都度、負けるものかと誓いを立てた。この程度の暑さに負けるものかと。

最近、しばしば思いだすことがある。ナイアガラの滝のことだ。いつか自分の目で見たいと思っていたけれど、そのチャンスが遂にやって来たのはかれこれ17年も前のこと。私の大切な友人がトロントに暮らすようになって数年経つ頃になると、私のボローニャでの生活もようやく安定し始めて、やっと彼女を訪ねてみようと思えるようになった。7月だった。ボローニャはとても暑くて、向こうへ行けばきっと涼しいだろうと思って行ってみたら、降り立ったトロントもまたとても暑くてがっかりしたものである。確か2週間の予定だった筈だ。彼女と夫が暮らす古くも此の街らしい木造建築の階下に部屋を借りておいてくれて、必要なものは何でも揃えておいてくれて。ホテルへ行こうと考えていた私を止めて、自分たちが暮らす建物の階下に部屋をとるよう勧めてくれた友人夫婦は実に冴えていたと思う。自分のスペース、自分の時間、此処に暮らしているかのような錯覚に陥り、そしてこの街で暮らすのも悪くないと思ったほどだ。唯一、当惑したのは毎朝大きなアライグマがテラスにやって来ることだった。部屋とテラスを仕切っている網戸を破って入ってきたらどうしたものかと。友人夫婦にアライグマは見掛けによらず凶暴で、噛まれたり引掻かれたりすると病気になると聞かされていたからだ。しかし私の怯えに対してアライグマは暴れることは無く、ちょっと私の様子を見に来るだけだった。その証拠に1分もすると背を向けてテラスから続く階段を降りていった。ああ、よかったと思ったのは、アライグマが荒いアクションを起こすことがなかったこと。そして今日もまたアライグマに会えたこと。当惑したと言いながらも、私はアライグマに会うのは嫌ではなかった。全く計画のない私のトロント滞在に友人夫婦はあれこれ提案してくれた。そのひとつがナイアガラで、街中からバスに乗っていけることを知ると、ひとつ返事で提案の乗った。さて、ナイアガラの滝。写真などで見たナイアガラの滝などは比ではなく、その壮大さに開いた口が塞がらなかった。しかし何よりも印象的だったのは側面から見た滝。今まさに下に落ちようとしている大量の水の流れは恐ろしいほどの迫力で、自分から2メートルもしないところに広がるその光景に私は心を奪われて言葉もなくずっと見入っていた。見ているうちに滝に吸い込まれてしまいそうな恐怖を感じた。そんな私を見て友人は私の腕を引っ張りながら、あなたは滝に惹かれ過ぎている、怖いからもう行こう、と言ったものだ。あの滝の轟音。薄深緑色の水の流れ。今でも目を瞑ると蘇る。水飛沫ですっかり濡れてしまった私に、友人は飽きれながらも、私がこれほどナイアガラの滝を好きだとは想像もしていなかったと言ったっけ。
もう一度友人に会いに行こう、もう一度ナイアガラの滝を見に行こうと思いながら先延ばしにしていたら、友人は空に輝くお月さんになってしまった。友人が私の目の前から姿を消して何年も経つが私の気持ちは少しも整理が出来ていなくて、未だにトロントに足を運ぶことが出来ずにいる。彼女のいないトロントに行ってどうする? と自問しながら、ナイアガラの滝をもう一度見たいと思うようになった。今度はひとりでバスに乗る。横に座る人は居ない。激しい流れの滝に見入っていても、腕をつかんで危ないからと窘めてくれる人もいない。ナイアガラの滝に行っても彼女が戻ってくるわけでもないのに、私の心はずっとそのことばかり考えている。其処へ行ったら答えが見つかるとでも言うように。
親は何時までも居ると思っていてはいけない、なんて言葉があるけれど、親ばかりでなく良い友や相棒にしても。当たり前なんてことなんてありやしない。自分の傍らに居てくれる有難さを居なくなってから知るのは愚かしい。滝の轟音とそんな言葉が頭の中を交差する7月。

毎晩の植木の水やりは好きだからこそできるというものだ。なかなか大変で、時間も掛る。でも、朝になると掛けた時間が喜びに変わる。大きく広げた枝。濃い緑の葉は先までピンとして。咲き終えたジャスミンが再び咲きだし、どの鉢の草木も葉を茂らせて。やあ、君のところのテラスは素晴らしいね、と今朝近所の人に声を掛けられて、毎晩の水やりの努力が報われた。植物の元気は私と相棒の元気。だから今晩も水やりに精を出す。それも明日には雨が降ると言うから、明日は水やり休業日となるだろう。




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キャットラヴァー

この大切なお友達のお話は、時々ブログに登場しますね。ナイアガラの滝は、私たちが英国に住む前に、日本から両親がやって来て、父の希望でミニバンを借りて行ってきました。父は、マリリンモンローの大ファンだった事も一つの理由。両親も、子供達も初めて観るナイアガラの滝に大変興奮しておりました。父が亡くなった時、お葬式の席で兄が、この話をして、本当に良い思い出になったんだなーって思い、そして、グランドキャニオンにも連れて行ってあげれば良かったなーって後悔もしました。その両親も、今は帰らぬ人となってしまい、何とも言えない気持ちで、毎日を過ごしています。
このパンデミックが終わったら、もし北米にいらっしゃる事があれば、必ず連絡ください。私が、ナイアガラまでお連れします(笑)
Stay Safe

  • URL
  • 2020/07/23 22:26
  • Edit

yspringmind

キャットラヴァーさん、こんにちは。ナイアガラの滝を自分の目で見ることが出来たのは幸運でした。あの滝が放つ飛沫。大量の水が流れる轟音。私はこれほど大量の水が流れる様子を見たことがありませんでしたから、すっかり心を奪われました。グランドキャニオンと言えば、私は相棒と結婚した後、小旅行を企てまして、車でグランドキャニオンへ行きました。あの壮大な眺めは、一日其処に座って眺めても、飽きることは無かったと思います。ご両親に見せてあげたかったと言うキャットラヴァーさんの気持ち、きっと伝わった筈です。見れなかったけれど、娘のその気持ちを喜んでいることでしょう。
北米の東の方に行く時には声を掛けますから。うふふ。
  • URL
  • 2020/07/25 15:46

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