彼女の言葉

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こんな快晴の日曜日。家の中で燻ぶっているのがもどかしい。もっとも、家に居れば居るでしたいことは沢山あって、燻ぶっている暇などないのだけれど。それにしても快晴。そして寒くもない。こんな日の旧市街の散策は、さぞかし楽しいことだろう。そんなことを思いながら、コートのボタンを付け直した。金曜日に脱いだ時、袖口のボタンがぶらぶらしているのに気づいたからだ。コートの袖口のボタンなんて言うのは飾りだから気づかないものだけど、こんなになるまで気付かずに着ていたことに恥じ入った。ボタンも付け替えられぬ女。昔そんな話を聞いたことがある。近年縫物は専門家任せにしている私も、ボタンくらいは縫い付けられるよ、と明るい窓際を陣取ってボタンを付け直した。そうしたら、あれもこれも気になって、結局4つも付け直した。これで良し。古いコートだか気に入りで、まだまだ頑張って貰いたいと思っている。

2年前の今頃、横浜から友人がやって来た。横浜という響きが好きな私は彼女が横浜出身と知った時は妙に心が躍ったものだ。私がまだ10代だった頃、横浜は憧れの地のような存在だったからだろう。そんな彼女と知り合ったのはアメリカの海の街で、それも随分昔のこと、1992年のことだ。あれから彼女が日本に帰ったり私がイタリアに引っ越したり、そして彼女が留学をして日本語を使わないために手紙を書かないようにしているというところから、音信が途絶えてしまった。それを再び繋ぎ止めたのは世間で言うソーシャルなんとかと言う奴で、これには全く驚いた。兎に角私達は再び連絡を取り合うようになり、そして彼女はボローニャにまで会いに来てくれた。もう2年も前のことになるのかと驚いているのは、再会したのがつい最近のことのように思えるからだ。あれほどの年月が経ったというのに、彼女は私に会って、少しも変わっていないと言った。それは私に喜びをもたらし、そして色んなことを考えさせた。
大好きだったアメリカ生活。そもそも好きで自ら望んで行った街での生活は、どんな不都合が生じても、それでも其処に暮らしていたいと思ったものだ。ところが途中で予定が狂った。相棒との恋愛が理由だった。誰もが私に訊いたのは、本当にいいの? 本当に此の街を離れられるの? ということだった。恋は盲目というけれど、私も例に漏れず、そんな理由でボローニャにやって来た。
アメリカが如何に日本に相通じるものが多いかをボローニャに暮らすようになって痛感した。私は色んな習慣や自分の中に在る哲学を変えねばならなかったし、納得がいかないことも此処の文化として受け入れなければならなかった。そうしているうちに自分が自分らしくない気がして、自分ではない他人になってしまったような気がして、悲しかった。色んなことを通過した。友人の家から家へと渡り歩く放浪者のような生活もしたし、酷い貧乏もした。ローマで仕事を得てひとり飛び出したこともあったし、ボローニャに帰ってからは自分の存在価値を見出せず、相棒の付録みたいな気分になって鬱になり掛けたこともある。ただ、私が運が良かったのは勇気を失わなかったことだろう。どんな深さかも分からぬ知らない海に飛び込む勇気。そうして今日に繋がっている。そんなあれこれを潜り抜けているうちに、自分でなくなってしまったのではないかと私はずっと心配していたのだけれど、彼女の一言で救われた。私は私のままなのだ。
彼女に会えたことをよかったと思っている。私には必要だった、彼女との時間。あれから私の心の中に在った小さな氷の塊はとけてなくなり、心配事がひとつ減った。心配事はひとつだって少ない方がいい。誰だってそうに違いない。

普通の生活が出来る喜び。そして今夜は満月だ。特別な食事を用意できなかったが、質素な夕食で乾杯しよう。満月に乾杯。楽しかった週末に乾杯。




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