濃霧

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明日が立春だと気付いて、ご機嫌である。勿論明日から春が始まる筈もなく、まだもうひと月、若しくはふた月ほど暗く寒い冬が続くのだが、面白いもので春という言葉を聞いた途端に小さな春が、見えない春が、自分の足元や背後に来ているような気がして、不思議と心が微かにスキップするのである。そして今日は節分。日本は季節の行事が色々あって素晴らしいと思う。しかし其れは大人になってから気が付いたことで、子供の頃には当たり前のことだと思っていた。若かった父と母。鬼は何時も父だった。今思えば可哀そうなことをした。父は少しも悪くなくて、寧ろ心優しい世界一の父親だったのに。そんなことにも今頃気がついて、何と親不孝な娘だったかと思うのだ。父は15年も前に空の星になって、時々私を観察しているに違いない。元気にしているだろうか。人に優しくしているだろうか。家族を大切にしているだろうか、と。

昨夕から霧が濃い。この冬は霧が出ないと少し淋しいような気がしていたのは、濃霧はボローニャの冬の象徴みたいなものだからだ。10年くらい前はもっと霧が濃かった。平地といい丘といい、朝、そして夕方から夜中にかけて一寸先が見えないほど霧が濃くて、辟易したものなのに、霧が出なくなると淋しいなどと思う。全く勝手なものだけど、私は窓辺から霧が視界を覆う様子を眺めるのが意外と好きなのだ。車を運転する人には天敵のようなこの霧だけど、霧を横目に眺めながらポルティコの下をそろりそろりと歩くのも好きだ。ボローニャという街は旧市街の中をポルティコが巡っているから、寒い冬やコートの肩が濡れてしまうような濃霧ともうまく付き合っていける、と私は思っているのだけど、さて、ボローニャ人たちはどんなふうに考えているのだろうか。映画の見過ぎで濃霧は怖いものと昔は思っていたけれど、そんなことは無い。案外ロマンティックだと思う。そんなことを言うと、君、何時からそんな詩人みたいなことを言うようになったんだい、などと揶揄われるのだけど。

帰りがけに青果店に立ち寄って美味しいオレンジを手に入れた。皮を剥いて食べる用の、熟れて甘い、ジューシーなやつ。美味しいのを選んでねという私に、シニョーラ、自分で選んでいいから、と店主に言われ、苦笑しながら美味しそうなのをふたつ選び出した。夕食後に食べてみたら、まあ美味しいこと! 明日も立ち寄って、同じ種類のをもう少し購入するとしよう。あの店はいい。知らないうちに店の夫婦と良い関係を持つようになったことを、私は嬉しく思っている。




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