熱風

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秋のように涼しかった数日の後にやって来た熱風。7月中旬らしい気候に戻ったと思えばよいのだが、身体が涼しさに慣れてしまったのか、熱風が身体に堪える。特に南東の窓から入りこむ風が重い。ねっとりと剥き出しになった肩を包みこんでずっしりと私に寄りかかる。他の部屋へ行く選択も残されているが、私はこの場所が好きでどうしても移動することが出来ない。此処は夜になると月を眺める為の特等席。ジャスミンの蔓が風になびくのが見えて、そして猫がテラスでくつろぐ様子を眺められる。どうしたってこの場所から動くことはできない。

私がボローニャに暮らし始めた頃。もう随分前のことになった。パソコンは持っていなかったし、友達も居なかったから、私はいつも家に居て手紙ばかり書いていた。それが唯一の楽しみかと言うように。しかしよく考えてみれば、私は日本に居た頃も、アメリカに暮らしていた時も、同じように手紙を書く時間がとても楽しく愛おしかった。だからボローニャに来て友達がいなかったからなどと言うのは単なる口実で、私は手紙を書きたかったのだろう。そんな私を見て周囲の人達はよくもそんなに沢山書くことがあるものだと呆れたけれど、成程、私の周囲に居るイタリア人達は手紙を書く習慣がなかった。旅先から葉書を出すにしたって、チャオの一言と自分の名前を書くだけ。昔のイタリア人達は外国に暮らす習慣も外国で学ぶ習慣もあまりなかったから、遠くに暮らす人と手紙でやり取りをする習慣もなかったのだろう。そもそも昔のボローニャ人はボローニャで学びボローニャで働くのが普通だった。だから私がボローニャに来て直ぐにローマに良い仕事を見つけた時は大騒ぎだった。その後、フィレンツェの職場から声が掛って毎日フィレンツェに通勤するようになると、やはりそんな遠くまで仕事に行く神経が分からぬと誰もが言った。そんなことを言われていた私は、仕事が無いだのなんだのと不平不満を言って家で何もしないよりはずっと良いと思っていて、自分のフットワークの良さに感心していたと言ってよい。当時の列車事情は今程よくなく時刻表はあってないようなものだったから、5年もフィレンツェ通いが続くと流石に疲れてきたが、良いタイミングで今の職場から声が掛かったので、フィレンツェ通いは種まきの為だったと今は思う。今は亡き舅は頑固者で私のことを不可解な動物、新種の得体のしれない植物くらいに思っていたが、不満のひとつも言わずにフィレンツェに通うようになると、コイツは案外骨のある・・・と思いだしたらしく、私に対する態度や声のトーンが随分と神聖になったものだ。だから私がボローニャに仕事を見つけて時間に余裕が出来て一番喜んでくれたのは舅で、私が相棒と仲たがいをした時に味方になってくれるのも舅だった。彼が私達の前から居なくなってもう13年にもなるが、今でも時々思いだしては、こんなの時に舅はどんなアドバイスをしてくれるのだろう、などと思う。晩年の彼と私は大変な仲良しで、色んな話をしたものだ。今も生きていたら、恐らく私は色んな相談事をするだろうし、色んな嬉しいこと楽しいことの報告をするだろう。時々舅に手紙を書いて送りたくなる。昔私が両親に手紙を書いたみたいに。そんなことが出来ればいいのに、と不可能なことを考えては相棒を困らせる。

最近私はとても怠け者である。何に一番怠け者かと言ったら、それは人間関係だ。色んな人から声をかけて貰う。夕食へ行きましょうとか、昼食時に会いましょうとか。若しくは食前酒の時間とか。面倒臭いと言うよりは腰が上がらないのである。だから長らく会いに来ない私の腰をようやく上げさせた友人の言葉は魔法だ。決めてしまえば簡単なもので、遠方に暮らす友人を訪ねるまで後ひと月もない。今はそれが楽しみで仕方がない。それにしたって、ああ、もう少し涼しくなったら色んな誘いに乗ることが出来るのに、などと自分の腰の重さを夏の暑さのせいにしている私は、ここらで自分改善が必要らしい。




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