海の向こう

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昼間の暑さ。朝晩の涼しさ。昼間の火照りを冷ますような夜風が肌に気持ちよい。首元をすり抜けていく緩い風。剥き出しになった腕を撫でていく風。さわさわと菩提樹の葉が風に揺れて立てる音。どれも全く素敵なことだ。夏が終わると思っていた頃に戻って来た暑さ。夏の悪あがきと私は呼んでいるけれど、他にもっと良い呼び方はないものだろうか。

このところ用事が立て込んでいる。世の中には手帳に毎日の予定を書き込み、どの日も何かしらの用事が書き込まれているのを好ましいと思っている人が居るようだけど、私に限ってはその反対だ。用事などなくて、思い付きで向こうへ行ってみたり、バスを途中下車してみたり、店に立ち寄るのがいい。自分の生活があまり計画化されているのを好まぬタイプの人間であることは昔から気付いていたけれど、此処近年は特にその傾向がある。それは自分勝手な生活ではなく、気ままな生活だ。そんな私はこのところの計画を立てずには生活できないような多忙に辟易していて、イタリアのような国でこんなであるなら、私はにもう一度日本に暮らすことはできないのではないだろうかと思い当たり、多少ながら落ち込んでいる。
若い頃アメリカへ飛び出した私は、再び日本で生活することはないかもしれないと思っていた。理由は、自分自身が外での生活を、冒険を好んでいたからであることに間違いない。それが人生とは思い通りにならないもので、あれほど憧れて手に入れたアメリカ生活を辞めてボローニャにやって来た。波乱万丈の私のイタリア生活は、私にアメリカの生活を恋しがらせ、いつか戻りたいと願わせた。そして近年ようやくボローニャに腰を下ろすことを学んで胸を撫で下ろしたと思ったら、日本に帰るのも悪くないと思うようになった。相手を尊重する文化。自分が、自分がと主張し過ぎない文化。それらを尊く思うようになったのは、色んなことを見てきたからかもしれない。外に出て分かった祖国の美しさと言ったらよいだろうか。ならば、それだけでも私が日本を飛び出した価値があると言っていいだろう。何処に居るのが自分にとって幸せなのだろうかと考えるようになったことに驚いている。どういうことをしているのが幸せなのか、ではなくて何処に居るのかと自分に問う。暮らす場所は大切だ。水の合う場所。馴染める空気のある場所。私がそんなことを考えるのは、単なる祖国や家族への郷愁なのかもしれないけれど。27年も経ってから、日本にそんな思いを抱くとはねえ、と多少ながら驚いているのだ。

夏の空を遮るように存在した、青々とした椛の葉。もし私が日本に再び暮らすことがないとしても、祖国を誇りに思う気持ちに変わりはない。




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