地球の何処かに居る

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1991年の9月。私はアメリカに暮らし始めて間もなくて、しかも何をしなくてはいけないこともない1か月だった。よく言えば準備期間ということになる。悪く言えば空洞。住み始めたのはダウンタウンから一瞬西に外れた急な坂に面したアパートメント。オーナーである知人がその建物を購入した時には既にそんな色に塗られていたと言っていたが、海老茶色のような赤、緑、白のペンキを使った独特な色合いの建物だった。5階建てだった。建物中には古い鉄製引き戸式のエレベーターがあって、頻繁に故障するのでよほど重いものを持って居ない時は階段を上り降りするのが得策だった。この街には日本から足繁く通っていたが、こうして腰を下ろして、自分の部屋を借りて暮らすのは初めてのことだったから、言葉の不自由さよりも、不安よりも、新鮮さに満ちていたし、全てのことの興味があってエキサイティングな毎日だった。特別なことなどある必要はなかった。すべてが初めてで、誰もが初対面だったから。ワンフロアに4世帯。だから20世帯いたことになる。小さな子供は住んでいなくて、私のような独り者か、夫婦といった具合だった。建物にはもうひとり日本人が住んでいた。困ったことがあったら彼に訊くといいだろう、とオーナーが引き合わせていたので面識があったが、アメリカ暮らしの長い彼は仕事に忙しくてほとんど留守がちだったから、階段や玄関口で顔を見ることはなかった。そもそもこの建物の人達とはあまり会ったことがない。私の生活時間が彼らと異なっていたのかもしれない。あの9月、私が何をしたのかはよく覚えていないのは、多分知人が今日はこちら、明日はあちらと計画を立てて連れまわしてくれたからだ。それは実に有難いことであったが、私はもう少し自分の力で生活を組み立てる術を身に着けるべきだったと今は思う。勿論知人のおかげで、到底自力では足を運べぬ場所に行くこともできたし、到底会うチャンスもないだろう人と出会うこともできたから、感謝以外の言葉はないのだけれど。初めて自分で行動したのは、このアパートメントを出ることにした時からだ。此処には僅か3か月しか居なかった。出ようと思た理由は、自力で行動することを望んだからだ。あのアパートメントを出てから随分経って、街中で例の日本人の彼とばったり会った。彼は私が出ていったことに関してオーナーから色々耳にしたらしいが、君の判断は間違っていなかったよと言い、これから仕事なんだと話を手短に切り上げて、しかし、困ったことがあったら電話をしなよと、何かを破いたような小さな紙切れに数字を書き込んで手渡してくれた。有難い話だった。あれから彼に会うこともなければ、話をしたこともない。私に困ったことがなかったからかもしれないし、人に頼りたくなかったからかもしれないが、今となってはあの頃の自分の心境を思いだすこともできない。結婚しようと思っている恋人と暮らしていると言っていた彼。幸せになったことを祈るばかりだ。地球の何処かに居る同士。私は随分遠くまで来てしまったけれど、元気にしているから、と伝えたい。

こんなことを思いだしたのは、微風の爽やかな日曜日に、朝から寒気と頭痛で家でぐずぐずしているからだ。家じゅうの窓という窓を閉め切って、こんな残念なことってない、と窓越しに微風に揺れる木の枝を眺めながら色んなことを考えている。




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