長い長いメール

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土曜日を迎えて、ほっと一息。今週は色んなことに翻弄して、少々神経が疲れた。そして、神経の疲れは身体の疲れをも増長させるようだ。週末は思い存分したいことをして、堪能して、疲れを癒したいと思う。

数日前、友人からメールが届いた。古い友人で、26年以来の付き合いだ。元を正せば相棒の友で、初めて相棒の家の昼食に招かれた日に偶然出くわした。と言うのは彼は相棒のすぐ目と鼻の先に住んでいて、まるで自分の家のように互いの家を行き来する習慣があったからだ。ボブという名の彼は相棒より幾つも年上で、テキサスの裕福な家に生まれ育った本と山と写真が好きな大男。彼の巻き毛は放っておくと恐ろしいことになってしまうらしく、常に短めにしておかねばならなかった。瞳は見たこともないような美しい青。深海のようなブルー。それを言葉にしたら彼は大変喜んで、以来彼は私の親しい友人になった。いや、彼は随分年上だったから、伯父さんと言った方が良いかもしれない。時には私は彼のことをアンクル・ボブと呼んでいたから。ボブはそのうち私達の結婚の証人役をしたり、ボローニャに引っ越すことになると私達のフラットに移り住んで私達の猫と共に暮らしたり、兎に角彼なしではあの時代の私達を語ることはできないというほど重要な存在だ。私達がボローニャに暮らすようになると、何時まで経っても軌道に乗れぬ私達を海の向こう側で彼は心配して、時々電話をくれた。どうだい、うまく行きそうかい。どうだい、病気なんかしていないだろうね。私達は彼の声を聞く度に、誰かがいつも見守っていてくれる安心を感じ、離れても私達のことを考えてくれる友に感謝するばかりだった。一度だけ、彼がボローニャにやって来た。もう15年以上前の春先で、実に空の機嫌のよい季節だった。彼はボローニャという街を大そう気に入り、そうしてアメリカに帰ると随分とボローニャの話をしたのだろう、暫くすると彼の友人がうちにやって来た。相棒の知り合いということだが、私は会ったこともなかった。高校の教師で、小説を書く彼は、見たこと感じたことを逐一小さなノートに書き込む、なかなか興味深い人だった。
ボブが氷の山で足を滑らせて記憶を失ったのは、それから暫くしてからのことだ。正確に言えば山を歩いていて足を滑らせ何百メートルも落下したその場所に分厚い氷が張っていて、強く頭を打ち付けたことで長いこと危篤続き、目を覚ましたはいいが記憶を失っていたという訳だ。それを知らせてくれたのは私達の友人でもある、ボブと共に山を歩いていた親子だった。初めの電話は事故と危篤の知らせ。そして数か月後に目を覚ました知らせ。そして記憶を失った知らせ。だから、電話をしないように。暫くそっとしておくように。こちらでは周囲の人間がついてリハビリに励んでいるから。心配し過ぎないように。きっとまた思いだすから。友人が言った通り、長い月日をかけてボブは記憶の端っこを掴むと、少しづつ思いだしたらしく、ある日電話が掛って来た。まだ沢山のことは思いだせない。でも君たちのことは覚えているんだよ、と言うので私を大泣きさせた。彼の声を聞くことが出来た喜び、彼が私達を思いだした喜び、そして沢山のことは壁の向こうに埋もれたままである戸惑いと悲しみ。時間を掛けて取り戻せればいいじゃないかと言って話しを終わりにした。時々電話を貰ったが、少し前進したかと思えば後退する。もう何年もそんな感じで、手紙に替わってメールを使うようになると以前よりも交信が少なくなった。短いメールに書かれていることはいつも同じことの繰り返しで、彼は自分が書いたことも忘れているのかもしれないと私を心配させてばかりいた。
数日前貰ったのは、長い長いメール。彼の近況や私達の友人のこと、彼の近所の日本人家族のこと、そして私達を思いやる文章。彼は決して記憶は薄れていないし、頭を打った後遺症で思考能力も衰えていない。手ごたえありだ。長い時間を掛けて元気になったのだろう。勿論長い時間を掛けた分、彼は年を取ったけれど、彼が今幸せで、満ち足りていることが文章から溢れていて私に喜びの笑顔を与え、そして喜びの涙、またもや大泣きだった。彼が年を取った分、相棒と私も随分と年を取った。彼に会いにアメリカへ行けるだろうか。彼はまたボローニャに来るだろうか。久しぶりに思いだした風景。ボブと見た郊外の秋の美しい景色。屋根の上に登って眺めた満月。夕食時になると必ずふらりとボブが現れて一緒にした食事風景。それから、それから。彼からの長いメールを何度も読み返して、日曜日までに私も長いメールを彼に送ることにした。写真も添えて。きっと彼は言うだろう。随分年を取ったねえ、君たち。

昼寝をしている相棒をそろそろ起こさねばなるまい。カッフェを淹れておこう。そうして土曜日の残りは、さあ、何をして楽しもうか。




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