平凡な生活

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今日は少し気温が上がって、午前中に蝉が鳴いた。9月に蝉が鳴くなんて、と思うよりも9月になってもまだ蝉が生きていることに驚く。蝉の命は短いと聞いたことがあるけれど、最近の蝉は寿命が長くなったのか、それとも遅生まれの蝉も存在するのか。その辺は昆虫学者か蝉自身に訊いてみるしか知りようもない。

それにしても疲れが続いている。エキサイティングなことがあったせいだ。昔はそんなエキサイティングなことがエネルギーの源となっていたのに。最近はのんびりと平穏な生活に慣れ過ぎているのか、エキサイティングなことがあると楽しい嬉しいは勿論だけど、その後どっと疲れるのだ。こうしたことも頻繁にあれば、案外慣れるのかもしれないが、毎日がエキサイティングの生活なんて、考えるだけでも溜息が出る。随分と退屈な人間になったものだ。兎に角、暫くは波風の絶たぬ平凡な毎日を過ごしたいと願っている。
平凡な生活のひとつに銀を磨く作業がある。私にとっては日常のことで、別に思いきらぬとも自然に手が動く。例えばキッチンの後片付けのような習慣的な作業だ。この夏帰省した時に姉と日本橋まで足を延ばしたが、姉が美しい銀のネックレスを身に着けていた。それは2年前にふたりで銀座を歩いた時に見つけた逸品物の芸術的ネックレスで、姉が大変気に入り、そして私がとても似合うと褒めると、姉がぽーんと購入したものだ。姉と言う人は、気に入るとたとえそれが高価であろうと一瞬考えることもなく購入する太っ腹だ。物との出会いというのはそういうものだと姉は言う。気に入って使うものならば、少しくらい高くてもいい、と言うのがポリシーらしい。そのポリシー通り、姉はそのネックレスを頻繁に身に着けて、銀のネックレスもさぞかし喜んだに違いない。さて、そのネックレス。たまに磨いているのかと訊けば、磨いていないと言う。磨いていないわりに白く光っていて美しく、2年前に購入した時とあまり変わりがなかった。ふーん、磨かなくても黒くならないなんてねえ、と言う私に姉は磨くことを今まで考えたことがなかったという。とても簡単、柔らかい布きれで軽く擦るだけなのだから、と磨く真似をして見せる私に姉は驚いたようだ。だから、うちにある銀の器を週に一度くらい磨いているが別に大義でも何でもなく習慣にすればいいだけであること、だからネックレスもそんな風に磨くと良いのではないかと話すと、姉妹なのに何故もこう異なるのかと更に驚いたようだった。そうだ、私たち姉妹は随分と異なる。姉は優秀な優等生で何処へ行っても一番。妹は弱虫の泣き虫の人見知りで、何時も姉の陰に隠れていた。そんな妹がアメリカに飛び出した時には家族の誰もが驚いたものだけど、だからと言って私が強くなった訳でも何でもない。私はやはり弱虫の泣き虫、昔と少しも変わりない。しかし銀を磨くのを苦にしない妹を姉は大そう感心したらしい。何だか嬉しくなった。しかしよく考えてみたら、これは異なる文化の中に住む中で得た習慣のひとつと言ってよい。銀の器が家にあるような文化の中に住んでいるから自然に身についただけだろう。ただ、そうしたことを苦にせず身に着けることが出来たのは幸運だったと思う。案外私は柔軟なのかもしれない。まあ、たかが銀を磨くだけの話だけれど。

今日は気温が上がった。聞くところによれば、今日から10日間ほど昼間は30度に上がるらしい。残暑というやつだろう。それもよし。9月とはそんな月。季節が行ったり来たりする、そんな月。




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