偶然で運命的

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何処かで雨が降っているのだろうか。冷たい風が開け放った窓から流れ込んできた。冷たい風。剥き出しになった膝小僧や足首が、しくしく痛いほど冷たい。まだ9月になったばかりなのに。仕事帰りに立ち寄った、クリーニング屋さんの女主人が今年は秋が早くやって来ると言って嘆いた。彼女は夏が好きなのだ。急ぎ足で過ぎ去ろうとしている夏を惜しんでいる。休暇中に焼いた彼女の肌が白いシャツが良く映える。その焼けた肌も少しすれば冷めてしまい、夏の楽しかったことも遠い思い出のようになってしまうのだろう。私の家族と過ごした夏も、同じようにそのうち遠い思い出になってしまうのかもしれない。

昔、そうだ、もう昔のことになってしまった。アメリカに居た頃のことがついこの間までは少し前のことのように思えたのに、ある時期を境に急にアメリカのことが遠い、手の届かぬことのように思うようになった。1992年のことだから、26年も前のことになる。9月になると、3人暮らしのひとりがアパートメントから出ていって、新しい人が入って来た。若くて、向日葵のような、さもなければ太陽のような笑顔を持つ女性だった。私達は三人三様で考え方も好みも異なる女性だったが、案外気が合っていたと思う。其処に、独りの旅人が紛れ込んだ。同居人の女友達だった。エクストラの部屋など存在しないから、旅人は同居人の部屋に寝泊まりした。夕食は皆で同じテーブルを囲んでとても楽しい毎日だった。旅人は、私達の中に、まるで空気のように馴染んでいった。さて、私はその頃恋に破れてがっかりしていたが、ある日、仕事帰りに何か月も前に知り合った人と出掛けて、アパートメントに戻るのがすっかり遅くなってしまった。そうとは知らず同居人と旅人は夕食も用意して暫く待っていたが、途中で諦めて食事を先に済ましたそうだ。それにしても、なかなか帰ってこない私を随分心配したらしい。何時もならとっくに帰宅しているというのに。それに恋に破れてがっかりしていたし。だから私が帰ってくると、わあっ、と抱きついて、よかった、何事もなくて良かったと皆が喜んだ。そして私がまだ食事をしていなくて空腹であると知ると、もうすっかり冷めてしまったからともう一度火を通して、夕食を用意してくれた。それは明日の朝にはアメリカ横断旅行へと発つ、旅人最後の晩だった。私はてっきり旅人がもう暫くここに居ると思っていたから残念でならなかったが、考えれば旅人の本来の目的は旅だったのだから仕方がなかった。私がアメリカに暮らさなければ会うこともなかった人。私が同居人を持たなければ、こんな時間を過ごすこともなかっただろう。どれひとつとっても偶然で、どれひとつとっても運命的だと思った。同居人にしても旅人にしても。絶対なんてものは存在しなくて、存在するのは小さな可能性と小さな運で、柔軟で、希望色に輝いていていた。もう会うことはないだろう人達。それとも。向日葵のような同居人は、一足先に空の星となってしまったけれど、もうひとりの同居人と旅人には、元気でいれば何時か会えるのかもしれない。

今夜は冷えるので、相棒と赤ワインの栓を抜いた。実に久しぶりのこと。あの晩、仕事帰りに出掛けた人とは相棒のことだ。食事もせずに、坂道に面した店で軽いお酒か何かを飲みながら、世間話をしたのが始まりで、遂には結婚して20年以上経った。そういえば、私が結婚をしたと報告した時、その相手があの晩の遅い帰宅の相手だと知った旅人は酷く喜んでくれた。そうか、よかった。あの晩夕食時を一緒に過ごせなかったけれど、見えない良いことが背後に控えていたんだね、と。赤ワインを注いだグラスを揺らしながら、そんなことを思いだしていた。




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