ここに居る

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帰りのバスの窓から見つけた向日葵の群れ。こんな街中に、こんな向日葵の群れを見つけるなんて思ってもいなかった。少し前は、其処は野菜畑のように見えた。何か、そう、鞘いんげんの苗のように見えたのに、気が付いたら私の身長を追い越すほどの高さに成長して、大きな黄色い花をつけた。何処までも続き向日葵の花が、こちらを向いて笑っているように見えた。向日葵の群れを見るとどうしても思いだす。1995年の夏のこと。

私と相棒は沢山の望みを持ってボローニャにやって来た。彼は長年離れていた家族との時間を取り戻そうとしていたし、私は新しい土地、新しい言葉や文化に不安と同じくらいの刺激や希望を抱いていた。けれども、この街での生活の始まりが、私が想像していたように簡単なものではないことにすぐに気付き、そして相棒の両親が、私達がボローニャに引っ越してきたことをあまり快く思っていないことにも気づき、かと言って、アメリカの生活の一切合切を引き払って着てしまったから、戻ることもできぬ。私達は運に試されているように思えてならなかった。友人達のところに居候する生活にピリオドを打つべく、アパートメントを借りようと思って郊外の街に行ったのはボローニャに来てひと月も経たぬ頃だった。随分遠くに位置していて、それだけでもうんざりだったのに、美しい外観のその建物には上階も階下も持ち主の家族親類が住んでいて、何とも息苦しいアパートメントだった。その上家賃が高くて、なんだ、こんな家賃ならボローニャ市内に住んだ方が良いではないか、と相棒と顔を見合わせたものだった。終わらない居候生活。見つからない自分たちの場所。私達の手の中にあるのは中古の小さなフランス車だけで、何もかもうまくいかないように思えた。アパートメントを借りる話を断ると、私達が帰りの車の中で話すことは何もなくなっていた。とその時、目の前に広がった向日葵の群れ。驚きで、そして美しいのが悲しくて、私は声を殺して泣いた。あなたの言っていた美しいイタリア、愛すべき人々、愛すべきイタリアでの生活は、私にはこれっぽっちも見つからない。静かに涙の粒を零しながら、こんなことを思い、何故私を此処に連れてきたのだと相棒に訴えたくてならなかった。ただ、それを言葉にできなかったのは、私も同意してここに来たこと、誰に頼まれて来たわけでもなかったからだ。それにそんなことを言わなくたって、相棒は気付いていたに違いなく、だから、尚更、私は相棒に何も言えなかった。私達の手の中にあるのは一握りの勇気と、それよりも更に少ない希望だけだった。まさかこれほど長くボローニャに住むなど思っていなかった。数年のうちに逃げ出してしまうに違いない、と思っていた。あれ以来、向日葵の群れはあの頃のうまくいっていなかった私達の生活の象徴となり、遭遇すると悲しくなった。今はそれを思いだすことはあっても、あの頃とは違う。私達は安定生活と家を得て、文句を言いながらも仕事を得て、とりあえず生活に不自由することがない。だからあの頃を思いだしたら、今の状況を感謝するのだ。いつの間にか向日葵が、感謝のスイッチにすり替わった。私はまだここに居る。逃げ出すこともなく、ボローニャに居る。それでいい。それでいいと今は思っている。

母国の自然災害を毎日テレビで目にするたびに、心を痛めながら途方に暮れる。西日本豪雨により亡くなられた多くの方たちに心からご冥福をお祈りいたします。そして被災地の方々に国からの特別の配慮があるように願いたい。自然が相手では、どんなテクノロジーも勝てぬと言うことなのか。自然が怒っているのをかもしれない。これからどのようにして自然とうまく付き合うかが、日本ばかりでなく、地球上に暮らす人々すべての課題だ。




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