幻の人

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金曜日の晩を迎えてほっと安堵の溜息をつく。今週も無事に平日が終わった喜び。20代の頃にはそんなことを考えたことはなかったけれど、いつの頃からか平日が無事に終わったことを喜び、感謝して、週末を穏やかな気持ちで迎えるようになった。生きていくなかで様々なことを学んだからだろうか、昔よりも自分を取り囲む人達に感謝できるようになったからなのか。それとも自分を大切にするようになったからなのか。兎に角金曜日の晩は素敵だ。

数日前、旧市街に立ち寄ってそぞろ歩きを楽しんでいたところ、雨が降りだした、と思った途端に本格的な降りになり、あっという間に路面が濡れた。傘は持っていた。いや、もう2週間ほど毎日小さな傘を持ち歩いているのだ。雨に濡れたくない、と思うようになったのは数年前からのこと。昔は全然平気とはいかなくとも、このくらいの雨、と思いながら歩くことが出来たのだ。少し雨脚が強くなるようならば、どこかの軒下やポルティコの下に逃げ込んで小降りになるのを待てばよかった。アメリカに居た頃はポルティコなど存在しなかったから、大抵近くのカフェに逃げ込んで、窓際の席に着いて雨が降るのを眺めながらカッフェを楽しんだものである。今はカッフェといえば大抵立ち飲みだから事情が違う。その代わりにポルティコがある。全く頼りになる存在だ。暫くすると雨が上がった。足元の水溜りに気を付けながら歩くのはあまり得意な方ではないけれど、しかし傘を差しながら雨の中を歩くことを思えば、何と有難いことだろう。同じ歩くにしても、傘を差していると、前をまっすぐ見て真剣に歩いてしまう。同じ道を歩くにしても、傘を手にしていないなら、開放的で様々なものに視線が届くというものだ。私のように眺めるのを楽しみながら歩く人は、やはり傘なしが良い。暫く歩いて途中でバスに乗った。13番のバス。バスは混んでいたが、奥の方に空間があるのを見つけた。行くと、ふたり掛けの座席に女性がふたり。奥の席には真っ直ぐの長い髪が美しい20代と思われる女性。手前には真っ直ぐの髪を顎の高さでちょきんと切り揃えた年配の女性。双方とも毛の長いチワワを抱きかかえていて、楽しそうに話をしていた。手前の年上の女性を見た時にはっとした。日本人ではないだろうか、と。今では日本人をバスの中で見かけるのは少しも珍しいことではない。しかし私がはっとしたのにはちょっと理由があった。私と相棒がボローニャに暮らし始めて数年経つころ、私達は友人を通じてある山の家族と知り合った。家族の長は大学教授で、夫婦には6人の娘息子が居た。そのうちの半分は既に結婚していて、一番上の娘マリアにはふたりの娘が居た。下の娘はダンスが好きで、小さい頃からダンスのレッスンをしていた。そのレッスンを開いているのは日本人女性で、もう随分長くボローニャに住んでいる人とのことだった。訊けば私よりずいぶん上の年齢で、とても厳しくて、とても優しくて礼儀正しくて、しなやかな女性とのことだった。マリアも彼女の娘も日本人の先生が大好きだったから、関心が湧いて、いつか私も会ってみたいと思ったものだった。もう20年くらい前のことである。先生が住んでいるのは、13番のバスが通る界隈で、私が現在住んでいる辺りの筈だった。だから、乗りこんだ13番のバスの中に年配の日本人らしき女性を見つけた時、彼女だ、遂に見つけた、と驚喜したのである。少しすると奥に座っていた女性が、さようなら、シニョーラ、楽しいお喋りをありがとう、と言いながらバスを降りた。チワワを隣の人に託して。どうやらチワワは二匹とも、髪をちょきんと切り揃えた日本人風女性の犬らしかった。独りになった彼女。今がチャンスと勇気を出して、とりあえずイタリア語で声を掛けてみた。もしやあなたは日本人ではないだろうか、と。すると彼女は一瞬驚いて、しかし笑みを湛えてこう答えた。よく訊かれるのだけど、私はイタリア人なのよ、と。一瞬にして幻となった日本人ダンスの先生。落胆しながらも、どうりでイタリア語が完璧だと思った、と言う私に、勿論よと言うように彼女が私の顔を覗き込むので、私達は顔を見合わせて息が切れるほど笑った。髪形が日本人ぽいのかもしれないけれど、顔立ちも東洋系なのかもしれないと彼女は言った。とても感じが良くて、ああ、だから先ほどの横の座席の女性とも話が弾んだのだろうと思った。彼女は多分初めての人と楽しく話をする術を知っている人なのだろう。二匹のチワワは彼女の膝の上でよく眠っていた。私達は5停留所分ほどお喋りをして、そして私が先に下車した。また会いましょう。また13番のバスで。初対面なのに楽しく話が出来る人が居る。とても素敵な人だと思った。今度バスの中で会ったらば、是非ともチワワを抱っこさせて貰いたいものだ。うちには猫が居る。私は猫が大好き。でも犬も大好きだ。猫派とか犬派とか、そういう分類には属さないのだ。私はどの動物も大好きなのだから。

久しぶりに汗を掻かなかった。昨晩の雨で空気が清められ、調子に乗って上がり過ぎた気温にもブレーキがかかったようである。窓を開けておくと夜風で足元が冷えるほど。今夜は気持ちよく眠りにつけそうだ。




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