頑固で柔軟

DSCF0656 small


共和国記念日。イタリア国営放送では朝からその日を祝う様子をテレビで放映している。毎年のことだ。これを楽しみにしている人は思いのほか多い。と言っても、その祝典に携わる家族や、共和国設立時を通過した年配の人々が主であるけれど。近所の老人たちは朝からその放送を楽しんでいるらしく、朝から快晴で気温が高いこともあってどの家も窓を開け放っているから、そしてイタリアではテレビの音を大きくして見る人が多いこともあって、あちらから、こちらからと音声が聞こえてきて、テレビを見ていなくとも雰囲気を楽しめると言った具合である。と、気が付けば居間で相棒も見入っている。共和国設立時は通過していない彼が見たかったのは、どうやらパラシュート隊の行進らしい。もう随分前のこと。イタリアには兵役が義務になっていた時代があって、相棒はパラシュート隊に参加していたらしい。それはなかなか面白い体験だったらしく、いまでもこんなテレビを見ると、パラシュート隊に居た頃のことを思すらしい。ああ、パラシュート隊がやって来た、とテレビの画面を見ながら言う彼の顔を見たら、実に嬉しそうだったから、どれだけ楽しい体験をしたのだろうと思った。いや、兵役は楽しくはなかったかもしれないが、過去となった今は、どれもこれもが良い思い出になったのだろう。

幼いころから私は集団で同じ行動をとるのを好まなかった。今でもそれは変わらない。あなたも参加したらどうか、滅茶苦茶楽しそうだから、などと言いながら知人がアドリア海の街リミニで100人だか200人だかが集まって浜辺で一緒にフィットネスしている画像を見せてくれたが、そうした物は私にとっては鳥肌が立つもの以外の何でもなく、にこやかに話をかわすのが精一杯だった。思うにイタリア人の多くは、こうしたみんなで一緒が好きなのではないかと思う。皆で一緒に旅行をしたり、皆で一緒に歌い、兎に角皆で一緒が良いらしい。裏返せば、ひとりで何かをしたりするのが苦手らしい。だから私がひとりで旅をしたり、ひとりでふらりと旧市街に立ち寄って立ち飲みワインを楽しむ術を知っていると知ると、皆一様に目を丸くする。彼らにとっては経験したこともなければ、考えてみたこともない行動らしく、だからそれが楽しいとか楽しくないかとか想像することも難儀らしい。そして、そうしたことを平気で日常の中でこなす私を、一種の羨望の目で見たり、時には変わっている人だと思ったり、可哀そうな人と思う節があるらしい。この最後の可哀そうと言うのは、イタリアによくある感情で、何かにつけて良く出てくる表現。ところが私にしてみれば、可哀そうなどと思ってもらう必要はなく、それどころか、そうしたことを楽しむ術を知らぬ人達の方がずっと可哀そうに思えるのだが、それもこれも個人の違い、皆が異なっていてよいと思うから、実にどうでも良いことだ。私は私。あなたはあなた。同じで良し。違っていて良し、なのだ。最近、小さな世界に生きていて、それが全てだと思っている若い人と知り合った。若いからそれだけでも経験が少ないのに、自分が知っている範囲だけで、これはこうでなくては、と決めつけてしまう人。人の話に耳も傾けず、自分はこう思う、自分は、自分は、とそればかりだ。もっと柔軟でも良いのではないかと思うが、自分が知っていることが全てらしい。何だか頑固な老人みたいだと思ったが、いや、老人はもっと柔軟であることを思いだした。もう10年以上前に他界した舅。私と相棒がイタリアに引っ越してきた当時、舅は私を少しも好んでいなかった。異文化に住んでいた東洋人。言葉の違う嫁。考え方があまりに異なっていて、理解できない。そんなところだっただろう。始めの一年は言葉の不都合で互いに苦労した。その後は私が舅を避けた。そして私の言葉が達者になり、自分の仕事を持ち、自由に身動きできる自分の場所を見つけると、私が舅に会いに行くようになり、舅が好んで私と話をするようになった。ある日、舅が家族や近所の人達から、あんたは頑固でどうしようもない、と詰られていた。実際彼は頑固ものだった。だから、初めの頃、私を受け入れようとしなかったし、私とうまくいかなかった。その晩、舅はいじけていて、淋しがり屋の猫のように私のところに来て話をしたがった。皆が自分を頑固ものだと言うんだ。でも、どうしようもないじゃないか、こんな年になってからでは、変わりようもないじゃないか、と。それで私は忙しく動かしていた手を休めて、椅子に座って話し始めた。私がイタリアに来たばかりの頃、異文化、異なる考え方や習慣、言葉にしても波のようにして私を呑み込もうとしていたのが脅威だった。でも、イタリアが私のところにやって来たんじゃない、私がここにやって来たのだから、と拒まずに受け入れる努力をした。自分を貫いてばかりじゃ話にならない、もっと柔軟になろうと思った。かと言って、私は自分の大切な部分はちゃんと宝石箱の中に納めて取っておいたから、自分自身を失ったわけではなかった。此処でうまくやっていく方法のひとつだった。そんな経験があったから、私にとって答えはいつだって幾つもあるのだ。こうでありたいという気持ちこそあっても、こうでなければいけないことなど、ない。色んな方向から考えたら答えは幾つもある筈なのだ。だから絶対という言葉は使いたくない。ねえ、お義父さんにもそんな経験があるでしょう。戦争中に他国の兵士が侵入して来た時、今まで通りを貫くことなんてできなかったでしょう。と、切りだすと、舅は遠い目をしながら、それはそうさ、如何にして生きていくか、うまくその場を切り抜けられるか、何時も試行錯誤しなければいけなかった。答えは幾つもあって。と、其処まで言ったら、突然黙りこくり、そして、忘れていた、と言った。忘れていたよ、そうだ、色んな考え方があるんだ。もうじき80歳になる舅が溜息をつきながら私の腕をぎゅっと握って、ありがとうと言うように肩をポンポンと叩いて向こうに行った。舅は頑固だが柔軟だ。少なくとも人の話に耳を傾ける柔軟な心を持っていると思った。あれから舅は色んなことを考えたに違いなく、家族に、周囲の人にとても感じが良くなった。人の意見に耳を傾け、人のやり方を有難く受け入れるようになって、誰もが彼は変わったと言って目を丸くした。そんな時、舅はこっそりこちらを向いて、他の人に気づかれぬように私に小さなウィンクを投げた。頑固者だけど心が柔軟で、茶目っ気がある。私の舅はそんな人だった。時々、舅の不在を淋しく思う。まさかこんな日が来るなんて、イタリアに暮らし始めた当初には夢にも思っていなかった。

蝉が鳴いている。昨日からだから、6月になった途端、蝉のスイッチが入ったのだろうか。猫の方は眠りのスイッチが入ったままで、朝から眠ってばかりいる。私達が不在の平日はこんな風に眠ってばかりいると思えば、夕方から夜にかけての異常な活力が納得できるというものだ。頭上でふわりふわりと風に膨らんでは萎むレースのカーテンを気にしながらも、猫は眠り続ける。空腹になれば目が覚めるのかもしれない。




人気ブログランキングへ 

Pagination

Comment

Post Your Comment

コメント:登録フォーム
公開設定

Utility

プロフィール

yspringmind

Author:yspringmind
ボローニャで考えたこと。

雑記帖の連絡先は
こちら。
ysmind@gmail.com 

フリーエリア

月別アーカイブ

QRコード

QR