猫のこと

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連日素敵に晴れているボローニャ。日射しは既に夏同然だけど、吹く風が爽やかで、人々に初夏の喜びを与える。昔、この時期にサンフランシスコから引っ越して来た当時の私には、兎に角涼しい街からやってきたと言う理由から、ボローニャのこの気候を真夏のようだと思ったものだけど、今の私には分かる、これはまだ夏ではなくて、初夏、単なる始まりであることが。初夏とは何と心地よい響きなのだろう。足取りが軽くなるし、心も何処かへ走って行きそうな軽快さだ。これと言ってよいこともない毎日だけど、空が明るいこと、薄手のシャツ一枚で過ごせること、足首をむき出しにして素足で靴を履けることなど、小さい喜びが実に安易に見つかる。それから仕事帰りの寄り道。ジェラート屋さんに立ち寄ることも。空を飛び交うツバメの様子を眺めながら、テラスに座って冷えたワインを頂くことも。テラスに咲く花たちが、良い季節になったことに歓喜している。少し前まですっかり枯れて再起不能と思われていた植物たちが、知らぬ間に小さな緑の芽を出して私と相棒を喜ばせてくれる。強いなあ、とは相棒の言葉。それに耳を傾けながら、私もそうでありたいと思った。

初めて猫を飼ったのはアメリカに住んでいた頃のことだ。私が相棒と友人のブリジットが暮らすフラットに転がり込み、そして相棒と結婚するとブリジットが丁度空いた隣のフラットに越していったすぐ後に猫はやって来た。近所に住んでいた大工さんが何処かへ引っ越して行く時に、猫は取り残されてしまったようだ。地上階から2階のテラスまで続く木製の階段を使って上がって来たのだろう。兎に角、うちとブリジットのフラット裏の扉を繋ぐ共同のテラスに猫はやって来た。明るい午後のことだった。まだ子猫で、みゃーみゃーと小さな声で鳴いていた。それはまるで、扉を開けてよ、と言っているかのようだった。初めに扉を開けたのは私だった。そしてその気配に気づいたブリジットが扉を少し開けて顔を出すと、ああ、あなた、猫を家にいれたら出ていかなくなるから気を付けなくてはいけないわ、と私を窘めた。彼女は相棒が猫を好まないことを知っていて、情がうつる前に忠告した方がいいと思ったようだった。事実、以前猫か犬をと提案した私に相棒は酷く冷たく、動物は駄目だ、の一点張りだった。それにしても小さくて、痩せっぽちで、お腹が空いているのは一目瞭然だった。気を付けろと言ったくせにブリジットがキッチンから猫の好きそうな食べ物を持ってきて食べさせると、猫は満足したように階下に降りていった。それから少しの間、猫はやってこなかったから何処かの家に迎え入れて貰ったのかと安心していたが、ある相棒が居る晩に猫はまたやって来た。小さな鳴き声が長く続いて、お腹が空いていることは明快だった。扉を開けてもいいかと訊くと相棒は駄目だと言う。家にいれたら出ていかなくなる、と言ったので、ああ、ブリジットが言ったのは恐らく同じようなことがあった、猫の鳴き声に扉を開けようとした彼女に相棒がこんなことを言ったのだろうと思った。そう言われても猫はよそへ行こうとしない。お腹が空いているのだから、牛乳くらい飲ませてあげてもよいのではないかと文句を言う私に負けて、牛乳だけ、と相棒は言って私達は裏の扉を開けた。開けたが猫は中に入ってこなかった。私が小さな皿に牛乳を注いで床に置くと、猫はようやく中に足を踏み入れて牛乳の皿に顔を突っ込んで舐めはじめた。夢中になって牛乳を舐めていたが、不意に頭を上げて私達を見た。その瞳に涙が沢山溜まっていて、その幾つかがぽとりぽとりと床に落ちた。あれほど動物は駄目だと言っていたのに、初めに猫を抱き上げたのは相棒で、初めにこの猫をうちに迎え入れようと言ったのも相棒だった。僕の心にタッチした、とか何とか言って。なんだかんだ言って、彼は情がうつりやすく、優しいのだ。そしてアメリカの生活を引き払ってボローニャ移る、暫く定まった住居がないであろう私達のために、私達のフラットを引き継いだ友人が猫をルームメイトとして受け入れた。この広いフラットにひとりではあまりにも淋しすぎると友人は言って。それは私達にとっては感謝してもしきれない友人の善行だった。それから長いこと私達の生活に猫が居なかった。置いてきてしまった猫のことを思うと、とても別の猫のことを考えることが出来なかったからだ。それが、今の家に住んで、やっと居心地の良い場所を得たと気持ちが落ち着くと、猫を飼いたいと思うようになった。それに、ずっと友人と一緒で幸せだった置いてきた猫が、数年前に15歳の高齢で空の星になったからかもしれない。今うちに居る猫は、数年前に猫保護の会から引き取ってきた猫。生まれてすぐに箱に入れてガソリンスタンドに置き去りにされていたらしい。だから猫は箱の中に入るのが好きだとよく耳にするが、うちの猫は箱の中が大嫌い。それから車の音も大嫌い。ガソリンスタンドに置き去りにされた時の悲しい思い出が染みついているのかもしれない。そんな猫を見て、いつかそうした悲しい記憶が消えてしまえばいいのにと思う。猫は気まぐれで我儘だと世間ではよく言われているけれど、人間だってかなり気まぐれで我儘一杯だと思う。私などが良い例た。母や姉、相棒に訊けばすぐわかることだ。気まぐれも気まぐれ。思い付きの人生だし、我儘も我儘、昔も今も、これからも、変わることはないだろう。だからなのか、猫と私は気がよく合うと猫を抱きながらそう思う。

今夜はボローニャ旧市街を取り囲む環状道路のすぐ近くの教会で、コンチェルトがあるらしい。素晴らしいオルガン奏者によるものだと聞いて是非行きたいと思うものの、どうにも都合がつかない。それにしてもその場所が、私達がこの街に引っ越してきたばかりの頃に毎日のように車で前を通っていたあの教会だと知って、とても懐かしく思った。あの教会なのか、と。そして此の教会で行われるコンチェルトの知らせが、まるで、あの頃の気持ちを思いだせ、初心を取り戻せ、と言っているかのように思えた。今の自分が方向違いの道を歩んでいないかどうか、暫く考えてみたいと思う。




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