気さくなひと

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ヴィエンナでは本当によく歩く。勿論、昔はもっと歩いたけれど、あの若さがあれば歩けて当たり前だったのかもしれないと思う。私は20代だったし、私には溢れんばかりの好奇心があって、好きで好きで住み着いた街のことをすべて知りたいと思っていたから。友人が時々、私のことを揶揄った。知らない道などないだろう、そのうち地図でも描くのではないか、と。悪い案ではないと思った。私が見たものを地図に書き込んだ、自己流地図を描いてみてもよいと思った。あの頃の健脚と留まることのない好奇心。今は同じようにはいかないけれど、けれども失ったわけではない。私はやはり歩くのが好きだし、そして好奇心も失っていない。昔と比べたら、そのスタイルが異なっているだけだ。だから長時間歩くことが出来なくてもがっかりすることはない。溢れるような好奇心はないけれど、自分が何を好きかを知っている。それでいいじゃないかと思う。昔の自分と比べたり、周囲の人と比べる必要などないのだと気が付いたのは、私にしては実に幸運だったと思う。今の自分を好きになることが出来たのは、実につい最近のことだ。

暑いボローニャから脱出するのだと意気込んでいったが、ヴィエンナは暑かった。日影を選んで歩く人々。そのうちのひとりが私だった。太陽を思い切り浴びたい欲望は、今年の夏に限ってはない。できれば少しでも直射日光を浴びることなく、涼しい日影に居ながら夏を堪能したい。それは簡単そうでなかなか難しい。太陽が頭のてっぺんから照らす昼間は、探しても探しても日影がなく、小さな日影が存在するなら、既に先客が居たりして。そんな時、見つけた。パッサージュだった。パリにはこのパッサージュなるものが幾つも存在して、ああ、ここにもあった、などと言って中に吸い込まれていったものだが、私が知るヴィエンナのパッサージュは、片手に満たぬほどしかない。案外、ヴィエンナに暮らす人に訊いてみれば、もっとたくさん存在するに違いない。そもそもパッサージュとは何かと言えば、建物の中を通り抜ける、通路みたいなものである。ただ、その通路の左右には店が連なっているから、商業空間といった存在なのである。それで私が入り込んだパッサージュだが、これで3度目の訪問だ。とはいえ、いつも偶然たどり着く。これを目的にして訪れているわけではないから、まさに迷い込むという言い方が似合っている。パッサージュにはいくつもの骨董品店があって、そのうちのひとつのガラスの棚に大変興味深いものが置いてあった。単品買いができるのか、それともセットでしか購入できないのか、それによっては値段交渉も、と関心が募ったが、あいにく夏季休暇だった。よく見れば、並んでいる店の半分ほどが夏季休暇中だった。あらあら、残念。などと独り言を言いながら店の前を離れ、しかし強い日差しから逃れてパッサージュを散策できるのは有難いことだった。パッサージュの構造は多少ながら複雑で、興味深かった。そのうち私は明るい光が差し込む中庭に面した、ギャラリーと呼ぶに相応しい、美術品の店に辿り着いた。全面ガラスの向こう側には、Biliardino(ビリヤルディーノ/手動テーブルサッカー)が置かれていた。見たこともない、古い、木製の、よく磨き込まれたもので、美術品として置かれていることに何の異論もない、美しいものだった。私の知っている其れはバールや海辺の遊び道具が置かれているような場所に存在する、見るからに安っぽい、プラスティックとステンレスで作られたもので、美術品なんて言葉が似合わぬ代物だ。そもそもこの遊びは激しく作動するのだから、安物くらいで丁度良いのかもしれないのだ。そういう観点から言えば、ガラス越しに見える美しい其れは、芸術品としてみて楽しむものなのだろう。それとも、かなり古いもので、例えば戦争を潜り抜けたような古いもので、骨董品の類に属したものなのかもしれない。それにしても美しいと感嘆していたら、隣に観客がもう一人加わった。見てみると肩にやっとつくほどの金髪の女性だった。世代は私ほどだろうか、シンプルなシャツにコットンのスリムなパンツ。そして素足にモカシンシューズを履いていた。手には紐。紐を目で辿ってみたら、小型犬だった。素敵な感じの彼女からは想像できなかった、ぼさぼさ頭の・・・何犬だろうか。鳴きもせず、舌を垂らして、激しく呼吸をしていた。あらー、喉が渇いているのかしら。私が話しかけると、彼女は違うの違うのと言わんばかりに首を横に振って、年なのよ、すぐに疲れてしまうのよ、と流暢な英語で言った。そうしているうちに、店の中に作業員がふたり現れ、店の偉そうな女性にあれこれ指示されたかと思うと、作業員たちが目の前に置かれたビリヤルディーノを大型セロハンでぐるぐると包み込み、車のついた台に乗せてパッサージュの外へと運び出した。隣に立っていた彼女が、売れたのかしら、と誰に訊くでもなく言うので、きっと売れたんでしょう、と私は答えたが、答えた後にあんた高そうなものが売れるのかしらと思った。聞けば隣に立っている彼女はこの近所に住んでいて、このパッサージュは彼女と犬の散歩道とのことであった。あのビリアルディーノの美しさと値段がこの辺りでは話題の的であったことを彼女はひとしきり私に話した。ヴィエンナには驚くほど豊かな人たちがいるのだ、きっとそういう人たちが購入したに違いない、と彼女は言うと、さようなら、と手をひらひらさせながら挨拶をすると散歩の続きを始めた。その彼女の腕には誰もがそうと分かる大振りの高級時計が着装されていて、彼女もまたヴィエンナの裕福な人のひとりに違いないと後姿を眺めながら思った。豊かだけれど、見知らぬ外国人とも気さくに話す女性。それからぼさぼさ頭の犬。悪くないと思った。

ヴィエンナは確かに美術品、骨董品を愛する人が多いようだ。ギャラリーと骨董品店の多さが、それを無言で語っている。それからもう一つ言えば、ヴィエンナの人達は気さくだ。私がヴィエンナを好きな理由のひとつなのかもしれない。




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コメント

No title

yspringmindさん、残暑、お見舞い申し上げます

この時期に、避暑地ならぬ

ヴィエンナ♪

良い、一人旅ですね^^

そうそう、

御話した事あるかも知れませんが、私も5日間ほど

その街で、過ごしています

もう、15年ほど、前

列車で、東ユーロを一人旅の途上でした・・・・


午前中は、何をするでもなく

「ハヴェルカ」と云う、老舗カフェで、まったりと過ごしました

午後は、トラムで、目的地もなく街を周遊

現在となっては

それは、それで、何とも贅沢な旅でございました^^

p.s

なぜ、日本ではウィーンと呼ぶのでしょうね?

2017/08/13 (Sun) 02:33 | 高兄 #eP1cGWnA | URL | 編集
Re: No title

高兄さん、こんにちは。日本はお盆ですね。暑いでしょうか。
ヴィエンナは思いの外暑くて驚きましたが、雨が降ると一気に涼しくなります。こうした街はひとり旅が楽しいですが、ひとりで旅をしている人って案外少なく、だから、行く先々で声を掛けられます。ひとりだから声を掛けやすいのでしょう。得をしています。
高兄さんもヴィエンナに滞在したことがありますか。15年前に? その頃のヴィエンナと今は違っているかもしれませんよ。私が初めてヴィエンナに行ったのは8年前。その時と比べても多少ながら雰囲気が違います。ハヴェルカという老舗カフェは何処だかわかります。私はいつもこの店の斜め前のサンドイッチの店で昼ご飯を軽く済ませるからです。混み合っていていつも相席なのですが、私には丁度いい。ハヴェルカは私には高級すぎるような気がするのです。高兄さんの15ん年前の東ヨーロッパの旅は、今となっては高兄さんの宝のひとつと言っていいでしょう。
ところで日本で何故ウィーンと呼ぶかですが、日本語によるほかの国の町の呼び方は、その国の言葉に忠実なんですよ。ウィーンもその一つです。ドイツ語でWienと書きますからね。ただし発音はヴィーンですけれど。それが英語やイタリア語になるとViennna(ヴィエンナ)というわけです。私は習慣的にヴィエンナが耳触りが良いようです。

2017/08/13 (Sun) 16:48 | yspringmind #- | URL | 編集

こんにちは。
イタリアも私にとっては気さくな人たちがたくさんいる国です。
よく話しかけられて道まで訊かれて(おそらく小綺麗な格好をしてないからなのではないかと)、こちらが道を訊くとスーパーマーケットと言っているのに教会に連れて行かれたりして。笑
私も全く予定を立てずにフラフラ歩くので、そういうアクシデントもとても楽しいです。

2017/08/15 (Tue) 04:26 | micio #O/XG6wUc | URL | 編集
Re: タイトルなし

micioさん、こんにちは。確かにイタリアも気さくなひとが沢山いますね。私の人に平気で話しかけるのですが、これを日本ですると変な人だと思われるからやめなさい、と言うのが私の姉の意見でした。
しかしスーパーマーケットと言っているのに教会に連れて行かれたりしては・・・。ははは。行き当たりばったりの旅は案外楽しいものです。

2017/08/15 (Tue) 18:36 | yspringmind #- | URL | 編集

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