箱を見つけた

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思いがけぬことが起きている。例えばイタリア国内外で起きている山火事。それから古い建物の崩壊。どれもこれも普段の生活の上で用心していても防ぐことが出来なかったこと。少なくとも私にはそんな風に思える。この世の中には、そんなことが沢山ある。だから、例えば計画通りに物事が進まないことくらいで文句を言ったりがっかりしない方がいい。そんなことは実に小さなことなのだ、予定とは少々異なっていてもどうにかなるよいうことならば。少なくとも私はそう思っている。妥協ではない。考え方をちょっと変えるだけ。それを柔軟と私は呼ぶのだけれど、それがどの相手にも通じるとは限らない。しかし、それもありだ。みんな違う考え方を持っていて当然なのだから。

数日前、見せたいものがある、と言いながら相棒が帰ってきた。パスタを茹でようと思って、たっぷりの水を入れた大鍋を火にかけところだった。見せたいものがあると言ったくせに、相棒はもじもじして、なかなか見せない。不審に思って詰め寄ると、両手で持てるほどの箱を目の前に差し出した。薄茶色の使い古しの箱で、どうやら何処かの誰かが小荷物発送に使ったものらしかった。何だろうと箱に貼られた宛先を読んでみたら、古い住所が、ローマから戻ってきたころに住み始めて10年も居た、私達のあの住所が記されていた。私宛の小包だった。見覚えのある筆跡。はっと思い当たるものがあって小さく貼られた送り主を見て胸がきゅっと熱くなった。送り主は私の大切な友人だった。2004年12月24日の消印で、トロントの郵便局から送られてきたものだった。箱の中にはアメリカの古いラジオの部品が入っていた。相棒がアメリカの、50年代のラジオを修理しようと思って部品を探していて見つけたのだと言った。確かに相棒は、こうした箱があると、捨ててはいけないよ、部品を入れるのに使うんだから、と決して捨てようとはしないのだ。この箱もこんな風にして、相棒は部品入れに再利用したのだろう。
友人との付き合いは長い。1992年にアメリカで知り合って以来の中で、私達は一緒のアパートメントにも住んだことがある、良いところも悪いところも了解の仲。幾度も仲違いをして距離を置くのに、どちらからともなくまた接近する。彼女も私も時間が解決してくれることを知っていた。日本に帰った彼女は結婚して、それを機にトロントに住むことになったのは、私がボローニャに暮らし始めて何年も経った頃で、まだ、世間の人達がごく当たり前のように手紙を書く習慣があった頃だ。夫に連れ添ってトロントの生活を始めたが、色んなことがうまくいかなくて辛い、と彼女は手紙に書いた。そんな時、大丈夫、住めば都だから、などと書いて彼女を励ましたものだけど、実は私こそ、何時まで経ってもボローニャの風習に馴染めなくて悩んでいた。彼女が良い仕事に就いて、もう少し生活に都合の良い場所に住まいを移したと知らされた時はなんと嬉しかったことだろう。そうして間もなくトロントに夏がやってくるという頃、ふと思いついて休みを取ると、私は彼女に会いに行った。大きなトロント湖から数ブロックの、街中のアパートメント。夫婦と同じ建物に小さなアパートメントを用意してもらった。本当ならば短い滞在では貸さないらしいが友人がうまく交渉してくれたのだ。木造の階段を上るとぎしぎし言って懐かしい感じのするアパートメントだった。2週間弱の滞在中のことは今も何ひとつ忘れていない。どんな小さなことだって忘れてしまいたくないと思っている。その中で今でも時々何かの拍子に思い出すことがある。彼女と私が近所の店を覗きながら散策していた時のことだ。彼女は言いたいことをストレートに表現するのを躊躇っていたから、私にもそういうことがある、だけど本当はこういうことなのだ、と自分の話にすり替えて言うと、彼女は小さな溜息をついて、どうしてあなたにはわかるんだろう、どうして私の心の中が分かるんだろう、と泣きそうな顔をした。それはどんなに夫に説明しても分かって貰えなかったことらしく、ひとりで苦しんでいたことらしかった。彼女は少しづついろんな話をしてくれた。私達が離れていた間にあったこと、考えたこと。そして、あなたが近くに居たらどんなにかいいだろう、と言うので、近くに居たらまた仲違いするでしょう? と揶揄うと彼女はあははと向日葵のような明るい笑顔を見せながら涙を零した。私がそのことを思いだすのは、私は遠くに住んでいるけれど、いつも近くに居るからと彼女に誓ったからだ。それがどんなに彼女を喜ばせたか私は知っている。飛行場まで送ってくれた彼女の夫までもが、彼女がそれをどんなに嬉しかったかを知っているくらいだった。色んなことが順調にいっていた筈だったのに、空のお月様になってしまった友人。だから私は言うのだ。予定外のこともある。仕方のないこともある。でも、どうにかなることなら、いいじゃない。友人の不在は、私にとってはどうにもならないことで、あれからもう何年も経つのに、心の整理ができていない。整理はできていないけれど、私はもう泣かない。泣いたら彼女が悲しむから。泣かないように心に誓ったのだ。この箱を棚に見つけて、相棒は柄にもなく涙が零れそうになったらしい。彼女が帰ってきたような気がする、と。ねえ、あなた。小さなことで悩んだり怒ったりしないことよ、と私と相棒に語り掛けているような気がしてならない。

風に膨らんでは萎むレースのカーテン。こんな気持ちの良い夕方ってあるだろうか。猫はテラスで涼しい風に吹かれながら何を考えているのだろう。長く細い尻尾を空に向けて、ゆらゆら揺らす。この家に来てよかったとか考えているのだろうか。それとも、外を散歩したいとか。お腹が空いたなあ。案外そんなことかもしれない。




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コメント

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2017/07/16 (Sun) 00:53 | # | | 編集
Re: No title

鍵コメさん、こんにちは。私には友人と思えるような人はごくわずかなのです。彼女はそのうちの一人で、どんなことも打ち明けられる大切な友でしたから、大きな穴を埋めることはほとんど不可能なのです。それに信頼。信頼関係。これを作り上げるのは簡単そうで難しい。彼女はやはり私の大切な友達なのです。

2017/07/16 (Sun) 22:27 | yspringmind #- | URL | 編集

こんにちは、yspringmindさん。
いいことも、よくないことも気がねなくいえる友人、いいですね。私は自分のよくないところをさらけ出せる人はあまりいません。
その友人のはこが出てきたと言うのは何か偶然ではないのでしょうかね。
カーテンと窓と光と馴染んでますね。
右の壁の飾り?は鏡ですか。
光がやっぱり日本とちがいますね。大陸の光と空気感です。ダ・ビンチが描いた風景の空気感。大げさですね、光だけで。

2017/07/18 (Tue) 13:10 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。いいことも、よくないことも気がねなく言える友人はなかなかいないものですね。私にだって数少なくて、ひょっとしてもうひとりも居ないのかななんて思うくらいです。箱が出てきたのは偶然、それとも何か意味があるのか。私にはわかりません。でもあの日以来相棒が、箱を家の隅っこに置いたきりなので、何だか彼女がいるみたいで私はとてもうれしいのです。
ところでこの写真は、次のブログに出てくるカフェの中の壁と窓です。何百年も前の壁で、装飾が施されているんですよ。窓も実に大きく頑丈で、壁や天井を眺めているとはるか何百年も昔の世界に吸い込まれてしまいそうなのです。

2017/07/19 (Wed) 23:13 | yspringmind #- | URL | 編集

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