胡桃のこと

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ここ数日の過ごしやすいことと言ったら! 開け放った窓から風が流れ込んでくる遅い夕方の冷たい風が剥き出しにした膝っ小僧をするりと撫でるときりきり痛む。朝方には15度にも下がるから、朝、窓を開けるならば冷たい空気で一気に目が覚めるというものだ。それもここ数日のことだけらしく、来週には気温がぐんと上がるらしい。夏到来! と何かの見出しに書かれていたけれど、まさにそんな感じかも知れない。夏は毎年暑いけれど、私が覚えている暑い夏は、ボローニャに引っ越してきた1995年と、それから1998年。他にも暑い夏は沢山あったはずなのに、このふたつの夏が忘れられないのは何故だろう。

先日、八百屋で胡桃を買って家に帰った。黒い針金で上手に編み上げられた籠に胡桃を入れたら、とても涼しげだった。相棒に見せたら喜んだが、胡桃の出所が店で、店で胡桃を買ってきたと知ってひどく驚いた。胡桃を買ったのかい? と、そんな感じに。他にどうやって胡桃を手に入れると言うのだ、と言いかけて、私はふと口をつぐんだ。そうだ、私達はボローニャに来てから、胡桃はいつも友人の家から分けて貰っていたのだ。
私達には、大きな胡桃の木のある家に暮らす家族のところに足繁く通っていた時代があった。山に暮らす友人が、彼女との関係を終えて住むところに困っていた時、どういう繋がりか、離れを貸してもいいと言ってくれたのがボローニャ郊外で大きな胡桃の木のある家に暮らす家族だった。大学の教授と小学校の教員の夫婦の家だった。私達がこの家に足を運ぶようになったのは、友人が年末に遠くに暮らす自分の家族のところに帰るから、動物の世話をしてもらえないかと頼まれたのがきっかけだった。友人が借りていたのは山に囲まれた、広い敷地に建てられた古い建物だった。彼の犬にご飯をやって、水をとりかえて、さあ、帰ろうと言うところで声を掛けられた。あなた達、だあれ? そんな感じだったと思う。声を掛けてきたのはこの家族の長女のマリアだった。見知らぬ人が出入りしている、しかもひとりは東洋人、不審に思ったに違いなかった。相棒は友人に頼まれて犬の世話に来たことを告げると、ああ、あなた達のことは聞いている、とやっと彼女を取り囲む空気が柔らんだ。そうしているうちに次から次へと大きな石造りの建物から家族が出てきて、あっという間に私達は囲まれた。私はイタリアに住み始めて2年経っていたと思うが、こんな風に大勢のイタリア人に囲まれると思うように話ができず、黙りっきりだったのを覚えている。そんな私に良くしてくれたのがこの家族の家長のパオロと、妻のパオラだった。この日から私達は週末になると決まってこの家に来るようになった。私達が其処を好んだからと言うこともあるが、今週は家に居ようかと思っていると向こうの方から声を掛けられた。そうして誘われるがままに遊びに行き、夏には広い庭で開放的な昼食を、冬には母屋で暖炉を焚いて実に山らしい、ヨーロッパ的な夕食会に参加した。その中でも一番好きだったのは夏場の夕方の食前酒だった。胡桃の木の下に置かれた小さなテーブルを取り囲んで好き勝手に椅子に腰を下ろし、庭で収穫した、ぷっくりと膨らんだ柔らかくて甘い無花果と、自家製の生ハム、それからやはり自家製のワインを頂いた。全く贅沢で豊かな時間。何を話したのかは覚えていないけれど、集まった人々のあの明るい、のんびりした表情は忘れていない。素晴らしい時間を過ごさせてもらったと今でも思っている。さあて、と腰を上げて帰ろうとすれば、君たち、夕食会に参加しないなんてことは無いだろうね、と引き止められ、そんな風にして私達は週末の一日を彼らと過ごしたのだ。ところで胡桃の木だけれど、私は胡桃がどんなふうに収穫されるのか、この家に行くようになって初めて知った。木の下に転がる黒くて何だか汚いもの。ごろごろと幾つも転がっていて、何なの、これ、と訊ねる私を、まるで珍しい動物を見るような眼でみんなが見たものだ。君は胡桃を知らないのかい? ほら、この中には胡桃が入っているのさ。周りの黒いのを綺麗に取り除いて、ほら、食べてごらんと道具を使って割ってくれた胡桃は、味がぎゅっと濃くて美味しかった。美味しい! と喜ぶ私に、やれやれ、これだから外国人は困る、美味しいに決まっているじゃないか、こんなに空気の良い山の胡桃なのだから、と言って、わらわらと地面から実を拾い集めると大きな紙袋に入れて土産にと持たせてくれた。あの日から、毎年胡桃の収穫時期になると、胡桃を分けて貰うようになった。だから買ったことがない。そしてこの家族に不幸があって、私達仲間が集まることがなくなると、相棒と私は胡桃を食べなくなってしまった。
店で買った胡桃は案外美味しかった。でも、山の胡桃には及ばないと私たちは口々に言い、あの頃に戻れるならば戻りたいと思った。誰もが元気で、誰もが幸せだった頃。幾つかの山と広大な土地、そして石造りの建物。大変な財産。あの山の家は何時か売られてしまうだろう。6人もいる息子娘たちはボローニャから遠く離れた山の家を継ぐのをあまり好んでいないようだったから。それよりも売ってしまう方がいい。そうしたらあの胡桃の木も無花果の木も、誰か知らない人の手に渡ってしまうのだ。残念だけれど、仕方がないのかもしれない。

遠くで何かの祝い事があるのだろう、打ち上げ花火の音がする。もう30分も続いていて、いったいどんな素敵な祝い事があるのだろうと想像ばかりが膨らむ。花火の音と美しい満月。素敵な金曜日の晩。




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コメント

こんにちは、yspringmindさん。
いい思い出ですね。
胡桃。拾ったことないです。
夕飯を共にするっていいですね。
イタリアでも、離農業が進んでるんでしょうか。

2017/06/10 (Sat) 07:50 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。良い思い出です。こういうことを体験できたのは本当に幸運でした。この家族は時給自足を楽しんでいる家族で、しかし周囲を取り囲む山には栗林があって、この栗を販売していました。それ以外は何しろ教授と教員なので農業とはいいがたかったでしょうか。で、息子娘たちは、そうした自給自足には関心はなく、それよりも楽で近代的な生活を望んでいるようです。でも、あの家を手放すのは本当にもったいないこと。手放してから分かるのかもしれません。

2017/06/11 (Sun) 15:10 | yspringmind #- | URL | 編集

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