望み

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何が素晴らしいって、金曜日の今日が祝日で、今週末は3連休であることだ。これがアメリカならば、ラジオのDJが幾度となくLong weekend、しかもLooooong weekendと喜びを倍増させるような陽気な口調で言っているに違いない。それにしてもこの天気。のびのびとした、冬には望めない開放感。これが素晴らしくないわけがない。昼間の日差しはもう夏のものだ。テラスに咲きこぼれるジャスミンとジェラニウムの花が、この良い気候を満喫している様子を眺めるのが好きだ。今日はそんな様子を眺める時間の余裕があるこということだ。眺めて堪能する心の余裕もあるということだ。今日の祝日に感謝。

テラスへと続く大窓のカーテンが風で膨らんだり萎んだりする様子を眺めているうちに思い出したこと。私が相棒と暮らしていた、アメリカのフラットと、それからその前に友人たちと3人暮らしをしていた坂道に面したアパートメント。どちらも大好きだった。後者の方は、それは友人とふたりで探しに探して得たアパートメントだったこともあって、それはそれは大切で、思い出深い場所。前者の方は相棒が、70年代終わり若しくは80年代初めからずっと住んでいたフラットだった。そんな前から住んでいたものだから家賃は上がるも微々たるもので、私が其処に暮らすようになった当時の私達の家賃と言ったら、近所の家賃の半分にも満たなかった。居間、寝室がふたつ、キッチンがあって、洗濯機と乾燥機を置くスペースがあって、その近くに備え付けられた扉の向こうにはテラスがあった。テラスは隣の家と共有で、つまりはテラスをつたって隣の家に遊びに行くこともできるようになっていた。そうだ、隣の住人が、朝の8時に扉を叩くので開けてみたら、コーヒーに入れる砂糖がない、少し分けて貰えないだろうか、なんてことがあった。そういえば私も一度同じようなことをした。夕方パスタを茹でようとしたらロックソルトがない。これを購入するには遠くまで行かねばならなかった。今はどうだか知らないけれど、当時はロックソルトがどこにでも売られているという訳ではなかったのだ。だから、隣のに住むイタリア人に分けて貰うのが得策だった。キッチンに備え付けらてていた食器棚は建物が作られた50年代からのオリジナルで、大変味わいがあった。そういえばガス台も昔ながらのもので、古い映画に出てくるような、ちょっと丸みがあっていかしていた。古い建物なので床がギシギシいうこともあったけれど、ワックスを塗って磨くと飴色に光って美しかった。あの建物にずっと住みたいと思っていたのは私達ばかりでなく、ほかの住人達も同様で、それから遊びに来る私達の友人知人たちにしても、この家に住みたい、誰か出ていく住人はいないのかと常に目を光らせていた。昔はどうってことのない界隈だったが、知らぬうちに随分と洒落た界隈になりあがったらしい。ずっととあの家に住みたいと思った理由のひとつは風通しの良い家だったからだ。緩い風がするりと通り抜けるような家だった。家のつくりがそうだったのか、土地柄そうだったのか、私にはわからない。私がボローニャにきて何が恋しかったって、あの家の中を通り抜ける緩い風と、そんな風が通り抜ける家だった。ボローニャにはそんな家はないだろう、と諦めていた。昔住んでいた田舎の家も、10年住んだボローニャの家も、そのあと住んだピアノーロの家も、私が望んだものは得られなかった。諦めてずいぶん経って忘れかけていたけれど、私は偶然手に入れた。緩い風が通り抜ける家。今住む家のことだ。そんな家だとは住んでみるまで思いもよらなかった。相性がいいことには気づいていたけれど。巡り巡って20年以上経って、やっと鞘に納まった、そんな感じ。案外、そんなものなのかもしれない。望んで望んで一生懸命な時には手に入らなくて、肩の力を抜いて気楽にいこうなんて思った頃に、ふと手の中を見てみたら望んでいたものが入っている、なんてこと。

それにしても、もう6月だなんて。夕方を遅くまで楽しむ月になった。




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コメント

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2017/06/06 (Tue) 14:27 | # | | 編集
Re: タイトルなし

鍵コメさん、こんにちは。はじめて話した人に失礼なことを言うような人は放っておきましょう。そういう人は失礼な人なので、関わらぬことです。

2017/06/09 (Fri) 22:28 | yspringmind #- | URL | 編集

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