開放的

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昔から菩提樹と言う名の木に憧れていた。昔見た、ヨーロッパの古い映画に出てきたその木は、平地をテラスつよう日射しを遮って、木の下に集う人々を両腕で包み込むような素敵な木だった。木陰で話し続ける人々。持ち寄った軽食を分け合いながら。こういうのがヨーロッパ的だと思った私はまだ10代の始まりで、この木をいつか見たい、いつかこんな木がある家に住みたい、と夢見た。だからテラスの前に生い茂る木が菩提樹だと知って驚きだった。こんな身近にあったなんて。それにこんな風に住宅街にも普通に存在するなんて。兎に角、夢がかなった。菩提樹は私の所有物でもなければアパートメントの共有物でもなく、階下の家の庭の木だ。でも、良いではないか、と思う。誰のものであっても、私は菩提樹が見えるところに暮らしているのだから。

目を覚ましたら初夏になっていた。明るい空。半袖で外を歩く人々。サングラスなしでは外を歩くこともできないような、強い日差し。家でのんびりするのも得策だったが、自分の背中を押して外に出た。もうじき凄く暑い季節がやってくるから。その前に週末の散策を十分堪能しておこうと思って。バスに乗り込んでくる人たちの軽快なこと。一番目を引いたのは、ブロンドに限りなく近い長い髪のシニョリーナ。細身の体にシンプルな、ぴしりとアイロンが掛った白いコットンのシャツの腕をまくって、細身の鮮やかなサーモンピンクのパンツスタイル。生まれつき人に見られるのに慣れているかのような、そして人に見られるのが喜びのような、兎に角映画に出てくるようなシニョリーナだった。シンプル極まりない装いだけど、ふと目に入った右腕を包む幅広のブレスレットがあまりに高価なものであることから、そのシンプルな装いも実は選び抜かれたものなのかもしれないと思った。彼女に好感が持てたのは、それでもみんなと同じように公共のバスに乗って何処かへ行くこと。それから次に乗り込んできた老女に席を譲ったことも。
ふと思い出してTPERと呼ばれる公共の交通機関の事務所に行った。6月分のマンスリーパスを手持ちのプラスチックカードにチャージしても貰おうと思って。土曜日だから大そう混んでいるだろうと思ったが、予想を反してがら空きだった。こんな素敵な土曜日にこんな事務所に来る人なんて私くらいだけなのかもしれないと苦笑した。事務所を後にして近くの停留所でバスに乗った。いつも行かない界隈を歩こうと思ったのだ。ところが予定していた停留所で降りそびれて、ひとつ先まで行ってしまった。Porta San Felice。この界隈には8年ほど前まで通い詰めた。けれど数年前から足が遠のいた。行かなくなると行かないのが普通になるらしく、本当にご無沙汰だった。尤も、Via San Feliceには年に数回来ていたけれど、旧市街を取り囲む環状道路の辺りにまでは用事もなければ行く理由もなかった。兎に角バスを降りそびれたおかげで、こんなところに来た。久しぶりだなあと思いながらポルティコの下を歩いた。と、見たことのない店が目に飛び込んだ。ワインを飲ませる食堂みたいな店だ。古い風情で開放的。前を通り過ぎる誰もが一瞬足を止めて、その雰囲気の良さに見惚れた。時計を見ると正午を回ったところだった。店の中に足を踏み込んだのは、さあ、入ってくださいと言わんばかりの広々とした、扉ひとつない入り口のせいだったかもしれない。店は夫婦が切り盛りしているらしい。年の頃は50代後半、と言ったところだろうか。Buongiornoと元気に挨拶する私に小さなテーブル席を勧めてくれた。辛口の白ワインを注文したら、店主が私の好みにピタリと合うのを出してくれた。そして妻がつまみを出してくれた。店には常連とみられるある程度の年齢の人たちが入り口近くのテーブル席を占領して、何やら楽しそうだった。長年の知り合い同士が土曜日に集まって昼食会、そんな感じだった。私の背後には3人組の青年たち。でも大きな声で話すでもなく、気持ちの良い人たち。天井が思い切り高くて申し分のない空間。旧市街には驚くほど沢山、ワインを楽しめる店があるけれど、何処も混み合っていて、何処もざわめいていて、空間や時間を楽しめる場所は案外少ない。その点ではこの店は大変私好みで、それから店を切り盛りする夫婦の話もゆったりしていて気持ちがいい。3年前の10月に店を開けたそうだ。その前はどんな店だっただろうかと首をひねる私に、その前は店のガラスというガラスを新聞紙で覆っていた店だと店主が言ったので、一気に記憶が蘇った。そうだ、そうだ、そんな店だったと同意する私に、でも僕らは開放的で誰もが中の様子を覗けるような店にしたかったと店主は言った。開放的な店。ああ、私が得た第一印象は店主夫婦の望んだとおりのものだったのだと知って、嬉しくなった。小一時間のんびり席について、美味しいワインとつまみと店主夫婦とのお喋りで7ユーロ。それを私はとてもリーズナブルだと思った。また来るからと言うと、いつだって大歓迎だと笑う夫婦。いい店見つけた。久しぶりに我ながら感心するほど気に入った店を見つけた。
つまみと言いながらも随分食して、すっかりお腹が一杯になった。昼食は家でと思っていたけれど、たまにはこんなこともよいだろう。

わくわく。わくわく。楽しい初夏になりそうな予感。




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