思いだせないこと、思いだすこと。

DSC_0009 small


先週までジャケットなしでは怖くて外を歩けなかったというのに。怖くて、というのは暖かいと思えば急変して冷たい風が吹くからだ。もう5月だからと気を許すと風邪を引いてしまう。今年は誰もが慎重。うっかりはもう許されないと言わんばかりに。ところがどうだ、ここ数日は昼間にもなれば25度を超えて、日射しも大そう強くなった。今日などは長袖のコットンセーターが暑苦しく感じるほどで、寒がりで慎重な私とて日に日に軽装になりつつある。
テラスに置かれたふたつのジャスミン達。ひとつは白、もうひとつは薄いピンク色の可憐な花を咲かせた。いつからうちにあるのか、何処の誰から譲り受けたものなのか、相棒も私も思いだすことができない。私達はどんな小さな植木であろうと、何処で手に入れたのか、誰から譲り受けたのか、若しくはどの地区のどのごみ箱の足元に置き去りにされていたのか覚えているというのに、可笑しなものでこのふたつのジャスミンに限ってはどんなに記憶を遡ってさぐっても、これっぽっちも覚えていない。

過去にそれに似たことがあった。でも相手は植物ではなくて、同じ年頃の女の子だった。私が13歳の時だったと思う。私と姉は昔から夏になると一週間ほど奥多摩の山の中腹にあるキャンプ場に行くのが習慣だった。父も母も4つ半年上の姉が一緒だからと言うことで、子供ばかりが集まる山のキャンプに送り出すことを快く思っていたらしい。私が其処に行き始めたのは5歳だっただろうか。最年少だった私はそこへ行くと誰からも可愛がって貰えることもあり、夏が来るのが楽しみだった。それで13歳の時、見慣れぬ女の子が私の名を呼んだ。えっ、と驚いたのは、彼女が見知らぬ人だったからだ。しかし彼女はとても親しげに私の名を呼び、さらには元気だったかと私に訊いた。これほど親し気に話しかけるのだから、彼女と私は仲良しだったに違いないが、さて、しかし誰だっただろう。人の顔や名前を覚えるのが得意とまで言わなくとも、忘れることなどなかった私だ。一生懸命思いを巡らしてみたが、分からなかった。それで思い切って訊いてみた。何処かで会ったことがあるのかしら。すると彼女は悲しそうな顔をした。彼女の顔を忘れてしまった私をなじるでもなく、黙って悲しそうな顔を見せた。悲しい気持ちを伝えるのに言葉なんかいらない。ただ、唇をきゅっと結ぶだけで十分だ。彼女の表情がそう教えてくれた。昔、母はよく言ったものだ。忘れるということは罪悪だ、と。人間だから忘れることもある。しかし忘れることによって自分以外の人を困らせたり悲しませたりしたら、それは罪悪なのだ。母はそんな風に言っていたと思う。私は彼女の悲しそうな表情を見て、母の言葉を思い出していた。私が忘れてしまったことで彼女を悲しませてしまった。
もう何十年も前のこと。あれから幾度も考えてみたけれど、未だに思いだすことができない。彼女の記憶がすっぽりと抜けていて、しかし、あの時の彼女の表情と狂ったように鳴いていた蝉の声、眩しいばかりの緑、強い夏の日差しがセットになって、忘れられない夏になった。そして今でもあの時の彼女の表情が胸の隅っこに引っかかっていて、思いだすたびに、そっと心の中で呟くのだ。ごめんなさい、ごめんなさい、と。

数日前の夕方、テラスの掃除をした。椅子やテーブル、植木鉢を移動させて掃き掃除をして、念入りに拭き掃除をしたら見違えるほどご機嫌な雰囲気のテラスになった。落ち葉が大好きな猫は大そう残念がったけれど、しかし寝転んで大きな伸びをしていたところをみると、猫も綺麗なテラスに満足らしい。ジャスミンの花が咲きこぼれ、庭の木の枝にとまった鳥が囀る。こんな素敵な時間、こんな素敵な空間。心穏やかでいられることをいったい誰に感謝しようか。




人気ブログランキングへ 

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する