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日曜日は雨になるらしいと誰かが言っていたが本当だろうか、と思うような良い天気になった土曜日。良い天気といっても時々薄日になって、しかしそんな不安定な感じが実に春らしく、そんな一日が土曜日に当たったことを嬉しく思った。4月1日をエイプリルフールと呼ぶよりも、4月の魚 (Pesce d’Aprile) と呼ぶ方が心地よくなった。いつの間にかである。それだけ年月が経ったということなのかもしれない。そういえば4月になったらしようと思っていたことがあった。それはこの辺りで言う Le pulizie di Pasqua, またの名はLe pulizia di primavera で、どういうことかと言いうと、復活祭の前にする掃除、もしくは春の掃除である。どちらも同じ意味が含まれている。これについては実に感心している。冬を終えて暖かい春がやってきたら、窓を開けて掃除をしよう。カーテンを洗っても、ほら、すぐに乾くでしょう?と、古くから言い伝えられているこの習慣は実に理に適っていると思うのだ。昔のイタリア人女性は掃除や洗濯が大好きで、どの家に行っても本当によく磨きこまれていて驚かされるものであるが、昔、近所に住んでいた老女は、暇なのか、そんなことしかすることがないのか、それとも一寸の汚れも我慢がならないのか、兎に角、頻繁にカーテンを洗ってはテラスに干していたものだ。私がカーテンの汚れに敏感なのは、そんなことが理由かもしれない。それから、どの家の床も実に綺麗だ。姑がまだ元気だった頃、もう随分と前のことになるけれど、彼女は毎日床のふき掃除をしていた。毎日なの?と驚く私に朝と夕方にと答える姑。私はもう一度驚かねばならなかった。実際、彼女の家は本当にいつ行っても床がピカピカしていた。それでも春の掃除は念入りにして、やはり一年に一度は念入りに掃除をしないと、というのだから驚きの連続だった。しかし相棒によれば、こうした世代の人たちはみなこんな感じらしい。別に姑が特別掃除好きな人という訳でもなく、そういうものなのだ、とのことだった。そんなことを思い出しながら、朝から掃除に精をだした。窓を磨き、カーテンを洗い、床掃除をして、それから冬物と春物の入れ替えをした。小さな事ばかり。でも、どれもこれも普段は時間がなくて出来ないことばかり。テラスに出て植物に水をたっぷりくべた。植物が枝を広げて喜んでいるように見えた。真っ赤な花をつけているのはゼラニウム。相棒の誕生日を知った花屋の店主が、贈り物だよ、と手渡してくれたものだった。ゼラニウムはいい。この夏は沢山のゼラニウムをテラスに置きたいと思っている。

ところで衣服や靴の冬物と春物の入れ替えをしていて思ったこと。私が持っているものはどれもこれも似たものばかり。今まではそれでよいと思っていたけれど、それにしたってクリーニング屋さんの女主人の言う通りだ。あなたはあまり想像力がないわね、と頼んでおいた衣服を引き取るときにいつも言われるけれど、全くその通りだと思った。この春は、何か新しいものをひとつ欲しいと考えていたけれど、そうだ、いつもの路線を抜け出してみよう。明るい色のもの。それともいつもの超シンプルを脱して、何かデザイン性のある物を。




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