1300年代

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私はいったい何時から方向音痴になったのだろう。昔は方向感覚がとてもよく、知らない街でも迷うことなど無かったのに。そしてそれが自慢のひとつでもあったと言うのに。そういえば、2年前にパリを歩いたときもそうだった。パリの場合は、私にはあまりにも広すぎる街だから、かもしれない。そしてヴェネツィアは、恐らく複雑に存在する道のせいだ。地図を片手に歩いているのに、途中で何処を歩いているのか分からなくなる。道をたどっていくと行き止まりだったり、運河に出くわしてしまう。幾度もそんなことを繰り返しているうちに、お手上げになった。丁度通りかかった人に道を訊ねるのは案外好きだ。訊かれるのが好きそうな人を選んで声を掛けると、大抵喜んで教えてくれる。地元の人、親切そうな人・・・と見回していたら、向こうの角からやって来た。地図を広げて、此処へ行きたいのだが、現在地点すら分からない。どうやら道に迷ってしまったようだ、と情けなさそうに言う私に、訊かれた人は不憫そうに言った。君の現在地点は此処。目的地とはまったく反対側に居るんだよ。そう言われて私はまったく自信がなくなってしまった。私は大運河の反対側に居た。どうしたらこんなミスを犯せるのかと可笑しいやら情けないやら。最後は道を教えてくれた人と一緒にお腹を抱えて笑ってしまった。そうして自信がなくなったと言う私に、大丈夫だ、途中でまた誰かに訊けばいい、と言って私の左肩をぽんぽんと叩いて向こうに歩いていった親切な人。こういう人が居る限り、世の中まだまだ悪いことばかりじゃない。

目的地のことは一切忘れて、散策を楽しむことにした。そうして踏み込んだ広場の片隅にはテーブル席がいくつか存在して、そのほかにあるのは広場を囲む古い建物と細い運河だけだった。よくみると古い建物は地面に垂直に立っていなかった。広場に面した壁が後ろ側に傾いていた。経っているのが辛くなったみたいな感じだと思いながら、もしかしたら何かの理由があってこのように建てたのかもしれないとも思った。そんなことを考えながら広場を取り囲む建物を観察していたら、ふと視線を感じた。歪んだ建物の地上階に店があり、その前で煙草をふかしている初老の男性の視線だった。広場を興味深そうに眺めているが異国人に関心を持ったのだろうか。それとも胡散臭いと思ったのだろうか。と、思いついた。ようし、声を掛けてみよう。
Buongiorno! 地元の方ですか? と元気の良い私の第一声に彼は驚いたようだった。もしかしたら、私がイタリア語を話すこと自体に驚いたのかもしれない。驚きを隠さぬ声で彼は挨拶を返した。言葉のアクセントはまさにヴェネツィア人のそれで、ああ、此処は確かにヴェネツィアなのだ、と改めて思った。さて、私の疑問を投げかけてみると彼は大変喜び、色んな話をしてくれた。この建物は昔は勿論真っ直ぐ建っていたが、何しろ古いし、冬場の洪水などでこんな風になったとのことだった。古いってどのくらい古いのかと訊くと、彼は益々喜び、1300年代の建物なんだよ、この広場はヴェネツィアの中でも古い広場で、しかし旅行者はあまり足を踏み込まない、こんなに美しいのにね、と言った。私も良く喋るほうだが、彼はそれを上回る。きっとヴェネツィアの歴史などを話し始めたら一晩中話が途切れることが無いに違いない。私が道に迷って偶然この広場に辿り着いたと言うと、君は運がいい、道に迷ってこんな古い、こんな味わい深い広場に辿り着いたんだからね、と彼は言った。色んなお話を有難う、と礼を言う私、彼は黙って幾度も頷きながら店の中に入って行った。どうやら彼は店の主人らしい。彼は自分の店が入っている建物の事を訊かれて嬉しかったのかもしれない。時にはあの隅っこのカフェのテーブル席につくこともあるのだろう。彼はこの広場が大好きなようだから。

地図があっても役に立たぬ、と鞄の中に突っ込んだ。さあ、自由気ままに歩こう、と私は細い運河に掛かる橋をひとつ渡った。




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コメント

No title

yspringmindさん、こんにちは


ああ、ヴェネツィア!

今回の、御写真と記事を拝見して

私も、記憶の引き出しから

20年前に、数日だけ徘徊した、あの街並を思い出し

思わず、シンクロ^^;

私も、ロンドンやパリの街並は、迷わず闊歩出来ましたが

ヴェネツィアの街並、路地は、手ごわい^^;

目的の、リストランテひとつ探すのに、一苦労・・・

2017/03/13 (Mon) 07:35 | 高兄 #eP1cGWnA | URL | 編集
No title

初めまして、
このcampoの名前、広場奥右に同名の教会があり、S. Maria Mater Domini という広場じゃないでしょうか。そうとすれば、写真中ほどの店は絵葉書等を店の奥で印刷して売っているお店で、今年もまた別シリーズのヴェネツィア絵葉書を購入してしまいました。日本では通称ハイデルと呼んでいる、ドイツの優秀な印刷機で刷っています。
撮影場所の橋の背後は、“トゥーランドット”等を書いた作家カルロ・ゴッズィが住んだ館の筈です。その直ぐ傍のアパートを借りて、語学校に通ったので、懐かしいです。

2017/03/14 (Tue) 04:55 | pescecrudo #j9tLw1Y2 | URL | 編集
Re: No title

高兄さん、こんにちは。高兄さんも経験されましたか、あの迷路のような道、入り組んだ細い道、突き当たった先が運河だったり袋小路だったり。私も知人が薦めてくれた店を探して歩きましたが、それはもう本当に大変でした。と言うよりか、もう分からないと諦めたところで見つけましたよ。兎に角ヴェネツィア、これほど私を迷わせてくれる。それで居てどうしようもなく魅力的。

2017/03/14 (Tue) 22:42 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: No title

pescecrudoさん、こんにちは。この広場の名前は正にS. Maria Mater Dominiです。驚きですね、この広場の片面だけしか写っていないと言うのに。しかも地味で、特徴の無い写真だというのに。店は絵葉書等売っている店でしたが、まさか店の奥で印刷をしているとは知りませんでした。通称ハイデルと呼んでいる、ドイツの優秀な印刷機で刷っている・・・とのことですが、詳しいですね、印刷のこと。実に興味深いです、pescecrudoさん。この直ぐ近くのアパートを借りて語学校に通ったのは何時頃のことでしょうか。懐かしい・・・そうでしょうね、分かりますよ。そういう記憶は忘れられないものです。

2017/03/14 (Tue) 22:52 | yspringmind #- | URL | 編集

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