彼女と私

雨が静かに降っている。何時から降り始めたのか気が付かぬほど、静かな雨。細く長く降り続けている雨を窓から眺めていると、私は少し複雑な気持ちになる。もしあの時、こうしていたら。もしあの時、私が其処に行かなかったら。後悔とは違う、一種の仮定法みたいなもの。人からすればどうでもよいような小さなことに、心を揺らす。こんな雨の降る晩は、時々そんな気分になる。私だけだろうか。世界の何処に同じような人はいるだろうか。

私が暮らしていたアパートメントは坂に面して建っていた。アメリカに暮らして二軒目のアパートメントのことである。階段を数段上がったところがエントランスで、入って右手に郵便受けが幾つもあって、左手には階段があった。エレベーターも備え付けられていたが、一度も使ったことが無い。最上階といっても4階だったし、私は2階に住んでいたから、若かった私は階段を上ることにまったく苦痛を感じていなかったからだ。25年も前の話なのだ。木製の床で、激しく歩くとぎしぎし言った。大きな出窓があって、天気の良い日は窓に腰掛けて、本を読んだりお喋りを楽しんだ。私は他のふたりと共同生活をしていた。私たちは皆、節約を強いられている身だったが、その中でも私がいちばん切り詰めていたと言ってよい。けれどもそんな生活が少しも苦痛ではなかったのは、やはり若かったからだろう。それから自力で何かをしている実感が、私を強く励ましていたのかもしれない。貯金がもっとあったらどんなに良いかと思いながらも、私はそんな生活を楽しんでいたのかもしれないと今は思う。一緒に暮らしていた友人は、私よりも更に若く、どんなことにも怖気づかなかった。そんな彼女をとても羨ましいと思っていた。どんなことにも真っ直ぐで、思ったことを言葉にする彼女。私には出来ないと思っていた。彼女のような自信は何処を探しても見つからなかった。自信とは面白いもので、自信が無いと思うとあれよあれよと言う間に消滅してしまう。反対に、自信があるときといったら、雪だるま方式で大きく膨れ上がり、いったい何処にそんな自信を隠し持っていたのだろうと自分でも驚いてしまうのである。私は彼女と一緒に居ると益々自信が首をもたげてしまうのだった。そんな自分がとても嫌いで、こういうタイプの人と一緒に住んでしまった自分を、失敗したと責めたこともある。快活な性格の彼女だ。いつも誰かが彼女の部屋に出入りしていた。その中のひとりがシボルだった。香港生まれ香港育ちのシボル。豊かな家のお嬢さんらしく、身につけているものが洗練されていた。そもそも大変美しい姿をしていたので、街を歩いていると誰もが一瞬小さく振り返った。背丈があってスレンダー、腰の位置が大変高くて足がすらりと長かった彼女。スリムなジーンズに飾り気の無い白いシャツ。それに紺のジャケットを着ると、まったくさまになった。無造作に着ていたがそれぞれを良く見れば、どれもが手の出ないような上質なものだった。彼女には一種のポリシーみたいなものがあって、ひと目で何処のブランドと分かるようなロゴの入ったものは決して身に着けなかった。だから何かの拍子に衣類の内側や隠された部分のタグを見て、驚くのだ。シンプルがいいのよ。そう言う彼女のクローゼットは、本当にシンプルなものばかりだった。みんながつまらないと言うんだけど、私は此れでいいの。気に入ったものを何年も着るの。飽きることなんて無いわ。彼女が言った言葉はそのまま私に染み付いて、いつの間にか私もそんな風に考えるようになった。シボルと知り合うことになったきっかけを作ったのは、一緒に居ると益々自信が首をもたげてしまう友人だった。一緒に住んだことを失敗したと思ったこともあったけれど、今振り返ってみれば、実に良い人と住んだと思う。どんなこともそんな具合だ。その時、あーあ、と思っても、何年も経って思い返せば感謝しても足らぬほど幸運だったりする。だから人生は面白い。過ぎてから初めて分かることが沢山あるのだ。もしあの時、私が友人と一緒に暮らしていなかったら。そう考え始めてみたものの、ありえない、ありえないと首を横に振る。私と友人は会うべくして会ったのだ。彼女と私の場合、もし会っていなかったら、と言う仮定法は成り立たない。

降り続く雨。明日は晴れるだろうか。旧市街を散歩したいと、私は心底願っている。




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