此れが終わると春がやって来る

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淀んだ空。眺めていると憂鬱になりそうな2月の空。そもそも2月とはそういう月だ。そういうものだと割り切っていれば、落ち込むこともないだろう。そんな曇り空の土曜日。猫は眠ってばかりいるけれど、飽きるということは無いのだろうか。物音にも動じない。起きている時は酷く敏感なくせに。眠っている時は物音など聞こえないとでも言うように、微動することも、ない。

今年もテレビでサンレモ音楽祭.。この名前を聞くだけで、思いだす人がいる。1996年のローマの冬のこと。ローマに住むにあたって、知り合いのいない私を支えてくれたのがルイージだった。ローマ生まれのローマ育ち。相棒がアメリカに住んでいた頃、交流していた人物だ。彼らはまだ30歳にもならず、若くて鉄砲玉のようだった。相棒の何でもありの性格に対して、ルイージは実に真面目腐っていた。どんな時もアイロンがぴしりと掛けられたカッターシャツを着ていたらしく、ルイージのアイロンのかかったカッターシャツは巷手もかなり有名だったらしい。らしいと言うのは、その当時の彼らを私は知らないからだ。ルイージがいよいよアメリカからローマに帰るときめた時、相棒に一枚の紙きれを渡したそうだ。紙きれには彼の名前と電話番号が掛かれていた。ローマに来る時は連絡をおくれよ。そういう願いが込められていたらしい。その紙きれは20年近く相棒の小さな電話帳の中に眠っていたが、私がローマに暮らすことになって、ようやく手帳から引っ張り出された。昔の友達が、若い時代を共に過ごした友達が、まだ忘れずにいてくれたこと、電話をくれたことにルイージは狂喜したらしい。私はローマに暮らすにあたり、アパートメントを借りるまでの数日間住む場所が必要だと知ると快く承知してくれた。それがルイージで、私と同行した相棒の計2人がルイージのところに転がり込んだ理由だった。ルイージは恋人と暮らしていたから、私達は邪魔者だったに違いない。しかしルイージがとても喜んでいるから、恋人も仕方がないと思ったのではあるまいか。食事時に彼らの若い時代の話に耳を傾けるのは楽しかった。ねえ、君、だから君が僕の家に転がり込むのは大歓迎なんだ、とルイージは言った。どうやら相棒は誰かが困っていると知ると何を置いても駆けつける親切な人だったらしく、ルイージもまた相棒に助けて貰ったひとりだったそうだ。楽しい食事時のお喋り。この家での生活は悪くなかったが、所詮居候の身。一日も早くそこから出なくてはと気が焦っていた。ルイージの協力で見つかったのが、ヴィットリオ広場周辺の間借りだった。老女の家に部屋を借りると言う、予想もしていなかった展開に私は酷く慌てていたが、しかしルイージと恋人のところから出るためには、其れも仕方がないことだった。相棒はとっくにボローニャに帰っていたが、気が向くと車でローマにやって来た。相棒の定宿はルイージの家。だから相棒が来るとルイージのところで夕食を楽しんだ。しかしある晩、私達は一言も話をしなかった。サンレモ音楽祭だったからだ。ルイージはサンレモ音楽祭が大好きだったからだ。その為に私達は彼が聞き逃すことが無いようにと、私達は静かに食事をすることにしたのだ。あの当時私には、サンレモ音楽祭の重要さが分からなかった。でも今になってみれば少しは分かる。ある時代の人々にとって、サンレモ音楽祭とは時代の象徴、此れが終わると春がやって来る、そんな存在だったのだろう。
当時働いていた職場では、何時もラジオがかかっていて、サンレモ音楽祭で知れ渡った数々の音楽が流れていた。そのうちのひとつが私は大好きで、それがラジオから流れると嬉しくなった。ローマに独りぼっち。でも、大丈夫。そのうちふたりで暮らせるようになる、と相棒が何時かローマに暮らす決心をしてくれるだろうと願ってやまなかった私は、その音楽を聞くとそれが何時か現実になるように思えたものだ。何時か相棒もローマに暮らす。私と一緒にローマに暮らす。私はローマが好きだったし、其処で得た仕事も好きだった。知り合った人達は皆素敵だったし、此処でなら私は暮らしていける、同じイタリアでも、と思ったから。あれからもう20年が経つ。相棒はローマに暮らす決心はせず、私がボローニャに戻ることを決めた。それが良かったのかどうかは分からない。でも、それはもうどうでも良いことだ。私は今ボローニャに居る。ただそれだけのことなのだ。

先日、ローマに住む人から電話を貰った。昔の上司、みたいな人だ。直属の上司ではないにしても、昔の上司が一番ぴったりくる呼び方だろう。何時も気取った装いをして、とても日本人には見えなかった。長年ローマに暮らすと、こんな風になるものなのだろうかと、イタリアに来てまだ一年も経たなかった当時の私は思ったものだ。君、もっとお洒落をしたらどうだい。そんなことを言われたこともある。お洒落っていったって。若かった私は、そんなことを思ったことがあったことも今思い出した。どれもこれも20年も前の話だ。どんなことも時間が経つと、良い思い出となる。そういうことだ。




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コメント

こんにちは、yspringmindさん。
若くて鉄砲玉みたいだった。いい表現ですね。すごくいいです。相棒さん、ルイージさんの感じがよくわかります。そういう、勢いがある人をいいと思ったyspringmindさんも愛おしい感じがします。
ローマならやっていける。
私のような者が、安易にわかると言ってはいけないでしょうが、わかります。感ですよね。確実な感。肌が合う。開放的。風が吹く。明るさ。太陽のつよさ。人の距離。
となりまちの境界線を一歩越えただけでも、雰囲気が違う。
相棒さん、来てほしかったですね。
相棒さんにローマに行ってもらいたかったです。
イタリアに長く暮らすとこんなにファッションが違ってくるのか。よほど、印象的な方だったんですね。色彩感覚も違うでしょうし、しゃべる筋肉も違うと表情もちがうでしょうね。

2017/02/16 (Thu) 16:50 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。思うに、若くて鉄砲玉みたいだったのは、彼らばかりでなく、私もまたそのひとりだったのかもしれません。要するに私達は似た者同士だったのでしょう。
ローマはいいです。何がいいのかと言えば、雑踏と歴史が何かうまい具合に共存しているからです。其処には世界中から集まる旅人が居て、ローマの空気に魅せられた人々が棲みついていて、肩の力を抜いて暮らすことが出来る空気があるのです。私はそういうローマに長く住みたいと思いましたが、相棒はそうではなかった。ボローニャ人がローマに住むなんて。つまり自分の町で暮らすことが出来ない敗者、みたいな感覚でしょうか。相棒はそういう頑固なところを持つ人でした。今?今はもうそんなことどうでもいいみたいです。何処にでも行こう、そんな気分らしいですが、老いた母親が居るから、彼女をひとり残してボローニャを離れることが出来ません。だから結局ずっとボローニャに居る。私達はずっとボローニャに居るんですよ。

2017/02/17 (Fri) 20:37 | yspringmind #- | URL | 編集

相手の好みもこだわりも、時間が過ぎれば、なんだったんだってなるんですよね。自分達だけでなく、周りが変わって行きますから。少し先に行きすぎていた考えの者は、どうして分からないんだろう、この感覚って思います。結局は線は無いんだと。
今、生きているのは、今もしくは今から生きようとしている者達なのに、過去の人間がつよく言って、通らないことがあります。私は、とにかく出たい。親の元からも地元からも。地元ほど面倒な場所はありません。

2017/02/18 (Sat) 13:45 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

人間は変化していくものだと思います。だから、絶対、という言葉は使いたくないし、当然と言うことbも使いたくないです。絶対なんてことはあり得ないし、当然と言うこともあり得ないのです。人は皆異なることを考えているし、その考えにしても時間とともに変化するのですから。
心が柔軟ではない人は沢山いますね。仕方がないんですよ。そう言う時は戦っても仕方がないのです。さらりと流して、次に進みましょう。

2017/02/18 (Sat) 18:16 | yspringmind #- | URL | 編集

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