普通の生活

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鳥の囀りが夕方5時を知らせた。驚いたのは外がまだ十分明るいことだった。少し前までは残念すぎるほど暗かったと言うのに。それから1週間前は、ああ、少し陽が伸びた、などと喜びながらも、その直後にはどっぷりと日が暮れて、まだまだ冬のさなかであることを改めて実感したと言うのに。しかし今日のこれはどうだろう。何か春の予感すらするような明るさ。暗く寒い冬に飽きてしまった私のような人々に、小さな希望を与えるような明るさだった。長期予報によれば、2月に入ると気温がぐんと上がるらしい。勿論、クリーニング屋の夫婦に言わせれば、この長期予報ほど当たらないものはないらしいけれど。しかしそんな当たるか当たらぬかわからぬ予報ですら、私のような人間に小さな希望を与えるのである。

数日前、旧市街のATTI に立ち寄った。ATTI とはパン屋の名前である。歴史が長く名が知れているだけでなく、良質のパンや菓子、パスタ類が手に入ることでも名が知れている。だから友人や家族との会話でATTI の名が上がるなら、誰もが、うーん、とポジティブに唸る。この店は何時行っても混んでいる。運が悪い日は、夕方立ち寄るとパンというパンが売り切れで、手ぶらで店を出ることもある。相棒に言わせれば、全然安くない、とのことだけれど、私に言わせればパンとかワインとかチーズとか、調理でカバーでないものは、少しくらい高くても納得いくもの、美味しいものの方が良い。それに高いと言ってもほんの少しのこと。それならやはり美味しいパンの方が良い。さて、数日前の夕方店に入ると先客が3人居て、全くはらはらさせられた。パンの棚には残り少しのパンたち。其の中に一つ私が求めているパンがあり、先客のひとりがそのパンについて訊ねていた。4種のシリアルを使った丸くてずっしりと重いパン。表面に4種のシリアルがまぶされていて、中はくすんだ色でしっとりと柔らかい。噛めば噛むほど味わいが口の中に広がる。これにフランスのバターをつけて食べるのが、私の大の気に入りだ。先客は店員とああだ、こうだと話をして、5分も経ってようやく話にけりがついた。店員が、それならこちらのパンがいいと思いますよ、と別のパンを勧めたからだ。丸くて大きくて、外側がぱりぱりしたものだった。そうしてやっと自分の番になると、どのパンを欲しいとまだ言ってもいないのに先ほどの店員がくすりと笑って、棚に置かれた4つのシリアルのパンを掴んで私の目の前に差し出した。Ecco (ほら)! と言って。目当てのパンが手に入って勿論嬉しかったけれど、同時に私は先客と店員の会話を微妙に怖い表情で凝視していたのではないだろうかと思い、酷く恐縮してしまった。多分彼女は私がそのパンを欲しがっていることを私の表情から知ったに違いないのだ。駄目だなあ、まだまだ未熟だなあ、と自己嫌悪に陥った夕方であった。
その晩、ATTI の4種のシリアルのパンがテーブルに上がると、相棒が酷く喜んだ。なんだかんだ言っても、やはり彼もATTI のパンが好きなのだ。奮発して買った柔らかい牛肉の小さな塊をさっと焼いて。それからオーブンで焼いた大量の野菜。美味しいパンと随分前に近所のミケーラから貰ったプーリア州の赤ワイン。ただそれだけの夕食。だけど、とても良かった。今日も食事ができて良かった。当たり前と思いがちな毎日の生活や食事を、時には感謝しなければ。今日もパンがある。今日も食事ができる。それだけじゃない。今日も食事を美味しいと思える自分の健康にしても。私達の普通の生活の中には、ほんとうは感謝すべきことがたくさん詰まっているのだと、思い出した晩でもあった。

ところでもう直ぐカルニヴァーレ。ATTI にもカルニヴァーレの菓子が並んでいた。チョコレートのトルタが欲しかったのに、と残念がる私を、店員が窘める。今はカルニヴァーレの菓子がメインなんですよ。季節ものですからね、と。そうか、季節ものか。菓子で季節を感じるのも悪くない。そうしてカルニヴァーレの菓子が姿を消した頃、ボローニャにほんのり春の匂いのする陽が射すに違いない。




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コメント

こんにちは、yspringmindさん。
とても重厚なレンガの柱ですね。

シリアルののったパン、おいしそうですね。かめばかむほどおいしいのは、本物ですね。
店員さんが、ほらって出したってことは、yspringmindさんのために前の客に他のパンをすすめたってことですかね。かしこい、ちょっとずる賢い店員さんですね。一念が通じましたね!
それにしても、おいしそうなパン屋ですね。きっと、素材がいいのでしょうね。日本の菓子パンもいいですが、食事としての小麦粉の香りが、ぷーんとするパンが食べてみたいなと感化されました。

2017/02/01 (Wed) 16:53 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。此のシリアルのパンは、本当に美味しいのです。見かけもなかなかおいしそうなのですが、パン用ナイフで1センチほどの厚みに切ってチーズをのせたり、バターをのせたり、パスタのソースをのせてみたりして食べると、ほんと、食が進みます。多分私は店の人に懇願の目線を投げかけていたのだと思います。あ、それ、私にとっておいて!と。今回はうまくいったけれど、何時もうまくいくはずもなく。だから予約しておけばいいんですけどね。何時も予約しておくのを忘れてしまうのです。
日本のパンも美味しいけれど、ATTI のパンもとても美味しい。一度つばめさんに試して貰いたいですね。

2017/02/01 (Wed) 20:17 | yspringmind #- | URL | 編集

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