恵みと喜び

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昨夕、今年の仕事を終えて、冬の休暇に入った。肩の荷が下りたような気分だった。ずっと楽しみにしていた12月のパリにも行けなかった程、忙しい毎日だった。特に最後の一週間は時間との競争だったから、仕事を終えた感激は、ちょっと言葉に言い表すことが出来ない。今朝、のんびり起床したのは、そんなことが理由だっただろうか。目覚まし時計は早めにかけておいたけれど、やはり起きることが出来なかった。ほっとしたことで、今までの疲れがいっぺんに出てこなければいいけれど。其れは、私によくあるパターンなのだから。

今朝、相棒が袋を手に提げて外から戻ってきた。クリスマスの前日であろうと、何であろうと、彼の早起きは変わらない。それから朝食のカッフェを近所のバールで頂くことも。そんな彼の習慣を不経済だと思ったこともあるけれど、普段あまり贅沢をしない彼の数少ない望みだと思えば、それくらいのことに文句を言うつもりはない。バールは社交場。彼の小さな生活習慣の一部。そう思えばよい。さて、相棒が手に提げてきた袋の中には、人参が入っていた。店で売っているような既に泥を洗い落として余分な部分を切り落とされたようなものではなくて、地面から引っこ抜いて手で泥を払っただけの、まだ葉が付いている大振りの人参だった。取り出してみたら7本もあった。どうしたのかと訊ねたら、カルロから貰ったと言う。はてな。カルロは妻と一緒に、最近買い替えたばかりの最新のキャンピングカーでスペインへと旅だった筈。ひと月の予定で。クリスマスと新年の幕開けを気に入りのスペインの街で迎えると言っていたではないか。何しろ素晴らしいキャンピングカーで、小さなホテル、と言っても良いほどの設備だから、クリスマスと新年をそんな最新カーで過ごすのも悪くないと、周囲の人達が言っていたのを私も耳にしている。それともカルロは何かの都合で急遽引き返してきたのかもしれない。それにしても人参だなんて。と思いあぐねていたら、カルロと言っても違うカルロ、山に住むカルロだと言う。私の知らないカルロだった。今朝、バールへ行ったらカルロが待っていた、此の袋を手に提げて。沢山採れたんだ、土の匂いがするほど新鮮なんだから、と言って相棒にくれたのだと言う。そういえば最近野菜を何処かで手に入れて家に持ち帰ってくるが、それらは山のカルロからのお裾分けなのかもしれない。何の説明もないから、てっきり店で買ってきたのかと思っていたけれど。ところで相棒は、貰ってきた人参を見て、こんな大きな人参は見たことが無いと言った。私は其の言葉に驚いてしまった。彼はスーパーマーケットで売られている細くて小さな人参に目が慣れ過ぎてしまったのだろうか。それとも彼は本当に、こうした人参を見たことが無いのだろうか。私は。私は知っている。そんな人参たち。
生まれ育った東京の隅っこを離れたのは10歳の頃だ。随分前に両親が田舎に土地を買っていたらしく、其処に家を建てて私達家族は移り住んだ。住み慣れた街を離れるのは心細かったが、陽当りの良い広々とした自分の部屋があることや、大きなテラスと庭があることは、子供の私にとっても嬉しいことであったのを覚えている。ただ、大変な田舎だった。其処での生活に慣れるの字は時間が掛かった。生活習慣とは、気が付かないうちに身に沁み込んでいて、急に変えることなど出来ないのだと、子供ながら感じ、葛藤した。翌年になると家族はそれなりにその土地で上手くやっていく術を身に着けたのだろう、母は自宅で和裁と洋裁を教え、父は都内にある職場までの長い通勤を上手くこなし、姉も学校で上手くやっていた。姉について言えば、何をさせても優秀だから、新しい学校でもすぐに中に溶け込んで、問題など全くないように見えた。そんな姉を持つ私は、姉を敬う分だけ劣等感を持っていたかもしれない。姉はうまくいくのに私はうまく土地に溶け込むことが出来なかった。転校生とはそういうものだと分かったのは、ずっと後になってからだ。ただ、当時の私はあまりにも子供だったから、広い自分の部屋の喜びはもう忘れ、新しい環境に四苦八苦しては何故こんなところに来てしまったのだろうと悩んだ。そんな生活の中で両親が私に土いじりを教えた。つまり、近所にある農地を借りて、農作物を育てるという喜びである。今まで農家が手を加えていただけあって、良い土だった。黒くて、柔らかい土。土に匂いがあることを知ったのもその頃だ。土曜日になると必ず家族で農作物を見に行った。収穫することもあれば、水をくべるだけのこともあったし、収穫を終えて、再び土を耕すこともあった。私が好きだったのは耕した柔らかな土に苗や種を植えることだった。芽が出るだろうか。来週には緑色の小さな芽が出ていればいいのに、と。周囲には同じように土地を借りて日曜農家を楽しむ人達が居た。土曜日の朝、彼らと挨拶をするのは楽しいことだった。何時だっただろう。掘りたての人参を手にぶら下げている人を見た。其れは店先で見る人参の倍もあって、堂々とした感じがあった。そんな人参を育てたことをその人は自慢しているかのように手にぶら下げて歩いていた。そして私はと言えば、そんな人参を何時か家でも育てることが出来ればいいのにと願ったが、ついに一度もかなわなかった。両親は人参に関心が無かったからだ。其れよりもじゃがいも。それよりも茄子。其れよりもさやいんげん。ついに一度も人参を育てることがなかかった。
山のカルロの人参は、あの時見た人参によく似ている。愛情が沢山込められているに違いない。多分、其のまま齧ったら甘くて美味しいだろう。人参に鼻を近づけてみたら、ふわっと土の匂いがして、あっという間に私を子供時代に引き戻した。両親が教えてくれた土いじり。今はもうすることが無い。土いじりは相棒がしてくれる。相棒が手掛けた植物は、不思議なほど良く育ち花が咲くから。

クリスマスシーズンに人参。馬が喜びそうな人参を眺めながら、そういえばキリストは馬小屋で誕生したのだと思い出し、まんざら無関係ではないと頷く。外は静か。人々は何処へ行ってしまったのだろう。小さいながら温かい家があり、素朴ながら温かい食事があり、クリスマスを共に祝う家族が居る。其れを幸せと言わなかったら、何と言おう。

全ての人に恵みと喜び溢れるクリスマスがありますように。Buon Natale.




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コメント

こんにちは、yspringmindさん。
おもしろい仕掛けの飾り付けですね。

クリスマスは、やさしい気持ちになれます。寒くっても、赤や金色のあたたかい色に目がふれ、どうやったら楽しく過ごせるかなと自分から考えるからでしょう。
それと、世界中がしあわせな気持ちになりたいと思う人であふれるからでしょうか。
ニンジンほど取れ立ての香りと店に並んで香りがしない違いがあるものはない気がします。
お休み、ほんとうにうれしいですね。
メリークリスマス。

2016/12/25 (Sun) 15:49 | つばめ #- | URL | 編集
No title

yspringmindさん、こんにちは。においって遠い記憶を呼び覚ましますよね。人参についた温かな土の香り。記憶の物語、どれも素敵です。休暇に入ってからも大家族(仏側)過ごすクリスマスの準備と本番に追われてなかなか旅行のための下調べが出来ず、ようやくお邪魔する事が出来ました。ボローニャへは28~31まで行きます。その後はミラノへ、市場にある美味しいパン屋さん、広場の薬局ぜひ行ってみようと思います。もし、旅行へ行っておらずお時間ありましたらお茶でもご一緒出来たらなぁなんて勝手な妄想を膨らませております。yspringmindさんの物語を生で聞いてみたいです。

2016/12/26 (Mon) 11:08 | michiyo #hjUPE3us | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。これ、本屋さんのウィンドウの中に吊るしてあったものです。子供向けだと思うのですが、大人の私も楽しめる、そんな飾りでした。
思うに、クリスマスほど柔和な心になれる日は無いのでは。普段は自分のこと自分の家族のことばかり考えていて、周囲の人達やまだ見ぬ人達の幸せまで考える余裕がない。でもクリスマスは違うんですよね。世界中のどんな人もが幸せになれればよいと願うことが出来ます。やはりクリスマスは魔法の日なのです。
それにしても長いお休み嬉しいです。楽しいことだけ考えて過ごそうと思っているところです。

2016/12/26 (Mon) 18:02 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: No title

michiyoさん、こんにちは。私の記憶って、匂いとか音、そして色に繋がっているようなんです。人参の匂い、土の匂い。そんなことで思い出すことがあるなんて、全く面白いと思います。michiyoさんのところは大家族なんですね。まあ、素敵!うちは家族が小さいので羨ましいお話です。尤もクリスマスの準備は大変だろうと想像しますが、そろそろ解放されたころでしょうか。
ボローニャ旅行、楽しみですね。小さな街ですから、え???と驚かれるかもしれませんよ。私は年内何処へ行くこともありませんが小さな用事が幾つかあります。でもうまく都合をつけて時間を作りますから、何処かでお喋り出来たらうれしいです。後ほどメールしますね。待っててください。

2016/12/26 (Mon) 18:11 | yspringmind #- | URL | 編集

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