外国人

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夜中のうちに氷点下になったらしい。今朝起きるのが酷く辛かった。うちでは暖房タイマーをセッティングしていないからだ。誰か初めに起きた者が暖房にスイッチを入れることになっているが、相棒が先に起きたのに暖房にスイッチを入れなかったのは、彼が寒さに強いからだ。だから、二番手に起きたにもかかわらず家の中は冷えていて、スイッチを入れて家じゅうがほんのりと温まるまでに随分と時間が掛かった。私と猫は寒がりの暑がり。私達はこういう所がよく似ている。
冷え込んでいる分、空の明るさが眩しい。目に居たいくらいだった。外は妙に静か。いつもの日曜日とは少し違う。話によれば学校は冬休みに入っているとのことだから、早くも何処かへ出掛けている家族が多いのかもしれない。ボローニャという街には生粋のボローニャ人も沢山いるけれど、他の町から移り住んでいる人達も沢山いる。其れは私のような外国人ばかりでなく、例えば南イタリアや中部イタリアから、何かの目的があって移り住んだ人達。ボローニャでは、こうした人達もまた、外国人とは言わずとも、他の町の人と呼ばれる。とは言え、既に何十年も住んでいるのだからボローニャに心が落ち着いてもい良いのではないかと思うけれど、故郷というのはそう簡単に忘れられるものではなく、夏休みや冬休みになれば約束事のようにして自分の故郷に帰っていく。分からなくもない。私にしてもボローニャに暮らして随分になるけれど、やはり何年かに一度は日本の地を踏んで、家族の顔を見に行きたいと思うから。

私が暮らしている界隈に二匹のプードルと共に暮らしている若い女性が居る。2年前に仮住まいとして住んでいたアパートメントの住人だ。彼女はシチリアのシラクーサ出身。今はボローニャ大学で働いている。恋人はいない。ずっといないとのことだったが、其れは何となく分かるような気がする、というのがそのアパートメントの住人達の意見だった。一日中大きな声で話している。隣の建物の住人と。下の階の住人と。通り掛かりの人と。あの声は歌わせたら案外声が通って良いのではないだろうか、と言ったのは私だ。その斬新な発想に誰もが驚き、同意したが、この上、歌でも歌われたらどうしようもない、と誰もが首を横に振った。プードルたちは躾があまりされていないらしく、よく吠えた。朝も晩も夜中も。彼女が暮らし始めて3か月もしないうちに私と相棒は今の場所を手に入れて引っ越してしまったが、彼女が発する騒音はその後も住人にとって大変な問題だったらしい。彼女も居心地が悪かったに違いない。そのうち別の家を見つけて、今度は追い出されることが無いようにと、やはりアパートメントだけれども地上階で小さな庭が付いている小さな家を購入した。あの若さで家を購入するなんて、と巷で随分噂になった。その家は以前の場所と同じ界隈で、つまり私が暮らす界隈でもあった。私は彼女に微塵もの好意を持っていなかった。理由は、私が挨拶をしても彼女は挨拶をしない失礼な人だからだった。外国人が嫌いらしい。そういう人は世の中に多く居るけれど、今どき外国人が嫌いだったら、ボローニャになど暮らせないでしょう?というのが私の言い分だった。彼女の存在で、私は1995年にボローニャに暮らし始めた頃に引き戻され、不愉快で、残念で、悲しい気分にした。しかし其れも同じ建物に住んでいないのならば、どうでも良い。もう顔を合わすチャンスは殆ど無いのだから。
ある晩、もう20時になろうとしていた頃、私は近所を歩いていた。仕事の帰りに道草をしていたら、そんな時間になってしまったのである。すると向こうから紐に繋がれている二匹の小型犬が私の方に駆け寄ってきた。まるで旧友に会ったみたいな感じで。犬たちは私の足元に絡みついて、酷く嬉しそう。私は猫を飼っているが、犬も大好き。だからとても嬉しかった。チャオ。あんたたち可愛いわねえ。私達って知り合いだったかしら。そんなことを言いながら犬の頭を撫でると、なんと、あの二匹のプードルだった。飼い主の彼女も私を見てはっとしたらしい。あっ。互いにそんな感じだった。過去に嫌な経験はあるが、私はにっこり笑って挨拶をした。こんな時間に犬の散歩をするの? 寒いでしょう? 彼女は過去に意識的に挨拶をしなかったことを覚えていたらしく、戸惑っていたが、思い切ったように言った。こんばんは。あなたはあのアパートメントに住んでいた奥さんでしょう? 今もこの近くに住んでいると聞きました。などなど。そうして言葉を交わしているうちに、私は分かったのだ。彼女は淋しい人なのだ。何処へ行っても鼻つまみ者で、追い出されてしまう。ボローニャに馴染めない。なのに何故。どうして外国人のあなたがボローニャで上手くやっているの。そういう気持ちが心の底にあったことが。だから私は言ったのだ。ねえ、あなた。私は21年住んでいるけれど、やっぱり外国人には変わらない。これから20年住んだとしてもやはり外国人なのだと思う。でも、それでいいんじゃないかしら。誰もが故郷を離れれば外国人なのだから。其処に歩いているおじさんだって、パリへ行けば外国人。あそこのバールの女子だって、ロンドンへ行けば外国人よ。でもいいの、そういうことは大切じゃない。どんな風にして気持ちよくその町に馴染んで暮らすかが大切なのだと私は思う。彼女はまさかそんなことを私が考えていたなんて夢にも思っていなかったに違いない。一瞬、目を見開いて、口をつぐんで、考え込んで、そして驚いたことに彼女は手を差し出して、私に握手を求めた。まるで初めて会った相手のように。初めまして。よろしく。そんな感じに。私達は寒い中20分も立ち話をしていたら、すっかり体が冷えてしまった。さあ、もう家に帰りましょうと、私は彼女と犬たちの背中を押した。彼女はまたね、またどこかでお話ししましょうね、と明るい声で歩き始めた。彼女と犬たちの後姿を見送って、私も歩き始めた。すっかり体が冷えてしまったが、気分は悪くなかった。あんなに嫌いだった彼女だけれど、彼女が此れからボローニャで上手くやっていければいいと思った。家に帰ると相棒が、こんな時間になったことを訊ねるから、道端で彼女に会って話をしたことを伝えると、彼はおもむろに嫌な顔をした。だから言った。そんなに悪い人じゃないことが分かったこと。多分淋しい人なのだと言うこと。印象というのは不確かなものだ。私のこの言葉を聞いた相棒が、へえぇ、と途端に表情を緩めたように、この言葉がどんどん他の人にも伝わればよい。鼻つまみ者だった彼女が本当はそんなに嫌な人ではないことが、伝わればよい。

風邪を引いたようだ。酷い頭痛だ。今日は猫とふたりでごろごろする日曜日。ゆっくり休んで早く治してしまおう。




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コメント

凄く素敵なお話ですね。
私もあったまりました。

2016/12/19 (Mon) 05:49 | micio #O/XG6wUc | URL | 編集
Re: タイトルなし

micioさん、ありがとうございます。思い込みや先入観はよくないですね。たまには心をリセットする必要があります。

2016/12/20 (Tue) 23:18 | yspringmind #- | URL | 編集

こんにちは、yspringmindさん。
あいさつをしても、返ってこないのは、ほんとうに何でって思いますね。私も似たような経験があります。あきらかに、避けられてるなと思ったとたん、自分ではなく相手がさみしい人なんだなというのは、すぐわかりますね。
でも、yspringmindさんが、心を開かせたのは、すごいです。すべて分かっていても、それをできるかできないかは単純なようで、なかなかできないような気がするからです。子供の頃はできても。

2016/12/21 (Wed) 23:46 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。私にとって挨拶は人間の基本とすらおもっていますから、挨拶が出来ない彼女は私の中には存在できない存在でした。ですから道端で会ってしまった時は、ああ、、、、、とネガティブな気分になりましたが、彼女という人がようやく分かり、勝手に相手にレッテルを張っていた自分が恥ずかしくなりました。先入観や偏見はいけませんね。改めてそう思った晩でした。

2016/12/24 (Sat) 17:48 | yspringmind #- | URL | 編集

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