歩く

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また月曜日になった。月曜日はどうしても好きになれない。これは子供の頃からで、今に始まったことではない。アメリカにBlue Mondayという言葉があることを知ったのは、まだ十代の頃だった。文章にもならぬような繋ぎ繋ぎの英語で、アメリカの女の子と手紙を交わしていた頃のことだ。いい時代だったと思う。郵便受けを覗いては、手紙が届いていると言って喜び、暫く手紙が届かなければ、少し心配したりして。郵便屋さんに私宛ての手紙は無いのかと訊いたりして。長閑で人間味溢れる時代だった。そういう時代に思春期を過ごすことが出来た私は幸運だったと心から思う。

12月になって、近所の大きな通りの店先が美しく飾られるようになった。昨年もそうだっただろうか。私はそれについて少しも覚えていない。何時も車やバスで、すーっと通り過ぎてしまうから。今日それに気が付いたのは、夕方既に暗くなってから、途中で乗り換えようと思っていたバスがいくら待っても来なくて、仕方ない、と幾つものバス停分を歩いたために気が付いた。歩くと言うのは何も健康の為ばかりでなく、いつもは見えない何かが目に飛び込んでくる、一種素晴らしい時間なのだと今更ながら実感した。近頃ものぐさしている私には、はっと目が覚めるような夕方だった。それから歩きながら考えるのも良い。今日は冷たい夕方の空気を切りながら颯爽と歩いたが、決して無心などではなかった。ほんの20分ほどの間に、色んなことが浮かんでは消えて、家の付いた時には全てが全て、納まるべき引き出しの中に綺麗に仕舞われたような気分だった。昔、アメリカのあの坂のある街を、ひたすら歩いた自分にはもう戻れそうにはないけれど、また歩いてみよう、そうだ、この冬は沢山歩いてみようと思った。冷たい空気は頬に痛いだろうか。足がくたびれるだろうか。けれど私はそれと引き換えに、沢山のことを得るだろう。興味とか、関心とか。発見とか、驚きとか。

ところで12月8日が待ち遠しい。クリスマスツリーを飾るのがこんなに楽しみだなんて、子供のようだなあ、と苦笑している。




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