朽ちた美

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丁度一週間前、旧市街で骨董品市が開かれていた日のことだ。私は何時も横目で見ながらも歩くことのない通りを歩いてみた。最後に歩いたのは何時だっただろうか。随分と前のことだ。その通りには幾つか小さな店があって、そのうちのひとつの店を私の友人は好きだと言った。彼女と会わなくなってから、その通りを歩かなくなってしまった。私達は仲違いをしたわけでもなければ、互いが嫌いなわけでもない。ただ、何となく会わなくなった。人間同士ってそんなものだ。距離を置いたほうが良い時期もある。互いにしがみつく必要は無い。そんなさらりとした関係が、私にはちょうどいい。
さて、久しぶりにその通りを歩いていたら、思い出したことがある。相棒に連れられて初めてボローニャを訪れた時のことだから、随分と昔のことになる。私達はミラノのリナーテ空港に降り立ち、アリタリアのバスでボローニャ駅まで連れてきてもらった。其れは冬の終わりで春の始まりと言った頃で、私には午後の太陽の陽が眩かった。それとは反対に人々は真冬のように着こんでいた。ボローニャの人は寒がり。そう思うようになったのはそんなことが理由だった。タクシー乗り場に並んでいるうちに気が付いたのが、当時の流行だった。キルティングのジャケット。誰もかれもが右を習えと言ったように同じタイプのジャケットを着ていた。違うのは色で、メーカーによる細部で、遠目に見たらまるで同じに見えたものだ。ひと月も滞在したのに半分しか楽しめなかった。初めの週は具合が悪く、翌週は入院したからだ。退院して自由の身になった私はあれもこれも見たくて、心配する相棒の腕を引っ張って街に出た。ボローニャの街はオレンジ色だった。其れは午後の陽に照らされていたからで、まだ少し寒いけれど、本当は春なのだよ、と言っているかのようだった。相棒はボローニャらしい通りを選んで歩いてくれたようだけど、私にはまだ寂びれた美しさ、朽ちた美が理解できなかったから、何故もこう、古くてほつれた糸のような場所にばかり連れていくのかと首を傾げてばかりいた。相棒が、そして時には同行した彼の友人達が、ああ、何て美しいのだろう、と感嘆する場所に、私は同感できないで、何か私たちの価値観が大きく違っているような気がして、これから結婚しようと言うのに大丈夫だろうかと心配したりしたものだ。そうだ、塔に登った後にこの通りを歩いたはずだ。それから骨董品市の帰りにもここを歩いた。なんて淋しい通りなのだろうと思いながら、どうしてこんな通りを選んで歩くのかと相棒の気持ちを探ったりした。その2年後、私達はアメリカの生活を引き払ってボローニャに引っ越してきた。持ってきたアメリカドルはリラに替えたら大したお金にならなかった。そんなスタートで生活が不安定だったから、散策を楽しむ心の余裕なんて無かった。私は毎日のパンの心配をしたし、相棒は明日の生活を心配した。だから、旧市街を歩こうなんて、歩いて楽しもうなんて、到底できなかったのだ。その後も私はローマへと飛び出したりとばたばたしていたから、本当にボローニャという街が分かり始めたのは、それから数年経ってからだ。遅いスタート、と言ってもいい。そうだ、私はボローニャのことなんて何にも分からなかったのだ。本当にボローニャを好きになり始めたのは、住み始めて10年も経ってからだっただろう。多くの友人が住めば都だとか何とか、私に言い聞かせたものだけど。そんなに長い年月を要してしまった私は、本当に頑固ものだったと思う。心を閉ざしていたのかもしれない。それとも分かろうとしなかったのかもしれない。私はずっと、周囲の手前上、ボローニャを好きなふりをし続けていただけだった。だから、 だから私がボローニャを美しいと思えるようになったこと、ボローニャに暮らすことになったことを幸運だったと思えるようになったことを、私は、心から喜んでいるのだ。見えなかったことが見えるようになった喜び。感じることが出来なかった心が起動し始めた喜び。それらを色にしたら、ちょうどあの日の、午後の陽に照らされたボローニャのオレンジ色なのかもしれない。そう言えば、この夏、姉が、初めてこんなことを私に訊いた。あなたの家は何処なの? 姉は日本と言って貰いたかったのかもしれない。そんなことを思いながら、も私は、ボローニャと答えた。言葉にしてみて初めて気が付いた。いつの間にかボローニャが自分の居場所になったこと。自分の言葉に戸惑う私に、姉は、それでいい、と言うかのように黙って私に頷いた。多分、本当に、それで良かったのだ。

今夜は赤ワインの栓を抜こう。そんな気分である。外は予想外の雨で、木も道も濡れて黒く光っている。11月。雨が降る月。そうとは知っているけれど、残念すぎやしないだろうか。




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コメント

こんにちは。
話してくださったことが、気持ちよく聞こえます。もちろん、単純な言葉で言えば、たいへんだったと思います。
時間がかかっても、前を向いてみようと思うyspringmindさんの気持ちに、せっかちになっている自分を振り替えって見たりしています。もともと、なにもなかったところに、人や町や歴史が生まれ、そのなかに生きている一点でしかない自分に気づいたとき、ホッと感じるときもあります。一方で今現実の自分の置かれた社会の小さな人付き合いに理解不能に感じたりすることの方が肝を冷やします。
0で生まれて、ごてごてに雪だるまのようになって、また、0になる。そのなかで、わたしは、常に0でいたいと思うので、たまたま相手が天ぷら油のような人だと合わないんですよね。

お姉さん、やさしいですね。気にかけてくださってるから。yspringmindさんは、ボローニャと口に出されたことで、ほんの少し心が溶けたのでしょう。
yspringmindさんの境地にまだまだわたしはたどり着きません。

遠くからyspringmindさんとワインを飲んでいる気持ちになっています。

2016/11/22 (Tue) 01:59 | つばめ #- | URL | 編集
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2016/11/23 (Wed) 14:36 | # | | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。何事にもクイックに気持ちを切り替えられない私らしい話です。10年。他の人なら10年はかからなかったでしょうね。我ながら実に私らしいと、今振り返って笑ってしまいます。
イタリアという国を、文化を、習慣を理解するのに時間が随分かかった分だけ、私はそれらをこの国の美と受け入れ、深く私の中に根付いているようです。アメリカが好きなのに面白いでしょう?でも、本当のことなんですよ。
姉は、やはり流石に姉だなあと思うようなことを訊いてくれました。一緒に居たお義兄さんが、私達のやり取りを穏やかな表情で黙って眺めていたのが実に印象的でした。案外、私のことを遠くから見守っていてくれた人は他にも居るのかもしれません。有難いことです。

2016/11/26 (Sat) 20:46 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

鍵コメさん、こんにちは。お話してくださってありがとうございます。良く事情を知らない私はあれこれコメントするべきではないと思いますので、控えさせていただきますが、人間は100人居たら100通り違う考えの人間が居てもおかしくないのです。それから普通の生活というのは、あるようで実はないのかもしれないなあと思うのです。私がイタリアに来て普通の生活をしたと言ったら、知人が、えっ!普通の生活って何? と驚いていましたから。それはともかくとして、鍵コメさんが心穏やかな生活を手に入れられますよう、応援しています。

2016/11/26 (Sat) 21:06 | yspringmind #- | URL | 編集

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