骨董家具

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雨が窓を叩く音を聞きながら眠りに落ちた金曜日の夜。嫌いな雨も草木に必要と思えばよい、と思うようになったのは何時の頃からだっただろう。しかし其れも夜中であるならばのこと。やはり昼間は雨が降らないほうが良いと思っている。それにしても冷たい雨だった。夜遅く外から帰ってきた相棒の話によると、近郊の山の街に雪が降ったらしい。勿論積もるような雪ではなく、地面に落ちては消えてしまう、そんな雪。しかし11月に雪とは。そう言えば夕方立ち寄ったクリーニング屋さんの夫婦が言っていた。この寒さなら、モンギドーロ辺りに雪が降るんじゃないか、と。モンギドーロとは、ボローニャからトスカーナ州へと向かう道の途中にある山の街のこと。標高はおよそ840mだ。そんなことを思い出しながら、あの夫婦はなかなか感が良い、と思ってベッドの中に横たわりながら、うふふ、と笑みが零れた。
翌朝は雨は降っていないものの残念なくらいの曇り空で、どうにも冷え込んでいた。山に暮らしている人達は、この底冷えに驚いているのではないだろうか。ボローニャの街中ですら、こんな具合なのだから。朝食のカッフェラッテと田舎風のビスコッティの朝食を頂きながら、今日は家でゆっくりしようと思った。私の膝下に猫が尻尾を絡ませる。何てことの無いことだけれど、こうした緩い時間が好きだ。幸せな時間と言っても良い。毎朝がこんなであれば良いのにと思う。家中を片付けて一段落したところで太陽が顔を出した。まるで外に出ておいでと誘うような太陽の光だった。そうだ、太陽の下を歩こう、と思ったのは近頃は仕事を終えて外に出るとすっかり空が暗くなっているからだった。空が暗い時間帯のボローニャは橙色の街灯が街を照らして美しい。けれどもやはり太陽が好きだ。光と影のコントラストの強い昼間。勿論この季節のコントラストは夏ほどでないにしても。

月に一度の骨董品市が開かれていた。人が沢山集まっているのは、今が散策に丁度よい季節だからだろう。私は骨董家具の店を幾つか覗き、ビンテージのアクセサリーの店を覗き、絵画の店を覗いた。どれもとても興味深かったけれど、一番気になったのはテーブルだった。左右に引き出して長く出来るタイプの、この辺りではドイツのテーブル、なんて呼ばれているものだ。ドイツのと言いながらドイツ製な訳ではない。れっきとしたイタリア家具。左右にテーブルを延ばすことが出来るその仕組みを、そう呼ぶらしい。年代は1850年くらい。エミリアーノと呼ばれる、ボローニャからモデナに掛けての地域で生まれたテーブル。兎に角、其れはうちにある、私の大好きなテーブルと同じだった。シニョーラ、何でも質問してくださいよ。突然掛けられた店主の声にはっと気が付いて、うちにあるのと同じなのよ、と思わず口をついて出た。店主は目を丸くして、何処で手に入れたのかと訊いてきたが、私は其れに答えられなかった。何故ならば、相棒が何処かの人に譲って貰ったからだ。それはもう、ぼろぼろでどうしようもない姿だったが、丁寧に時間を掛けて修復して8年前位からうちのキッチンに居座っている。家の中で二番目に好きな家具である。一番目はやはりエミニアーノと呼ばれる、前出の家具よりももう少し古いもので、昔はチーズを保管していた、扉付の縦長の家具。大人の男がふたりで運んでも酷く重くて、引っ越しの度に皆に嫌われた家具であるが、味わい深くて、たとえどんなに高い値が付こうと、たとえ誰かが売ってほしいと言っても、私は手放せない、そんな家具なのである。兎に角、店主は同じテーブルが東洋人の家にあることに大変興味を持ったらしいが、そのうち数人の客が一度にやって来たので、其処でサヨナラとなった。私にしても興味を持った。大量生産でもない、ひとつひとつが手作りの家具なのに、同じものをこんなところで見つけるなんて。尤もうちのは、毎日使っているために少々傷んでいるけれど。そうだ、次の週末にでも磨いてみることにしよう。

良い一日。夕方、相棒から誕生日祝いに、修復に二年も待たされた、幅広の箪笥を寝室に運び込んで貰った。上階に住んでいる家族の次男坊に頼んで、重いのを大変な思いをしながら。何年か前、知人が骨董品店を閉じた際に、私に、と譲ってくれた箪笥だった。修復に二年かかった訳じゃない。修復し始めるのに二年近く掛かっただけだ。誕生日の贈り物はこの箪笥がいい、と先月宣言して以来、相棒が時間を仕事の合間に修復してくれた。今日からこれが家の中で三番目に好きな家具。今夜はずっと楽しみにしていた、特別の赤ワインの栓を抜くことにしよう。




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コメント

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2016/11/17 (Thu) 14:08 | # | | 編集
Re: タイトルなし

鍵コメさん、こんにちは。そうですね。分かるような気がします、あなたの言いたいこと。私も我慢していることが沢山あります。けれども多分我慢できる程度のことだから、良いのだと割り切っているところがあります。勿論それが自分にとってどのくらい大切なことかどうかが人それぞれなのですから、一概には言えませんね。
ところで私、昔は自分の意見を言うのが好きで主張が強かったのですが、最近は少し違います。別に自分の意見を言う必要はないのです。自分の意見を持っていることが大切なのではないかと思います。意見を聞かれれば言うし、訊かれなければ心の中にしまっておいても良いのではと。だからと言って人に合わせる必要もなく、自分はこう、とそういうスタンスを保てばいいかなと。たとえ自分の意に反した方向に物事が進んでいたとしても、それが例えば職場の中でのことならば、別に反対もしません。でも、自分の人生、自分の生活のことならば、勿論黙ってはいないでしょう。私の人生は私が決めることなんですからね。

2016/11/19 (Sat) 17:26 | yspringmind #- | URL | 編集

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