
ふー。これは私の小さな溜息の音。週末に雨が降るなんて。目を覚ますともう雨が降っていた。そんな予報は出ていたけれど、ひょっとしたら晴れるかもしれない、天気予報が必ず当たるとは誰が言ったのだ、と思いながらベッドに潜り込んだのは昨晩のこと。だから雨の音に気が付いて目を覚ました時は、新しい朝に相応しくない小さな溜息がこぼれ出てしまった。窓の外の木の葉はすでに半分以上が地面に落ちて、隣接した向こうの建物の敷地の様子が見えるほどになった。この木の存在は私にとって大切。隣の敷地の建物が見えない、つまりこちらの様子が向こうから見えないのは、好ましいだけでなく都合が良い。それに住宅地に居ながら田舎に住んでいる気分も味わえる。木がある生活。この家に決めた理由のひとつだった。恐らく向こうの建物の住人も同じことを思っているに違いない。そうして互いのテラスが見えるようになると、晩秋。寒い、暗い、長い冬がやって来る印なのだ。
街の様子は確実に冬へと向かっている。旧市街の幾つかの店は早くもクリスマスツリーのオーナメントを置いていて、道ゆく人達をあっと驚かせている。やっと11月になったばかりなのに。そういいながらもガラス越しにその様子を眺めるのは楽しいものだ。私達は皆、クリスマスの魔法にかかっているのかもしれない。私達が幸せな証拠だ。温かい家があり、温かい食事を頂くことが出来て、そんな喜びを分かち合う家族が居るからなのだろうと思う。
アメリカに暮らして初めの冬。私は友人とアパートメントをシェアしていたが、彼女には沢山の付き合いがあるらしく、彼女の部屋は何時も留守だった。私はと言えば部屋にばかりいた。部屋が広々としていて、大きな出窓から太陽の恵みが差し込んでくるのが、部屋に居るのが好きだった理由だったかもしれない。冬なのに軽装でいられる喜び。その明るい出窓の前に置かれた小さな机で家族や友人に手紙を書くのが好きだった。友人が留守な分、静かで、手紙を書いて過ごすのに最適だったと言えばよいだろうか。私の部屋には小さなラジオ。アメリカに住み始めて直ぐに大きな店で二束三文で購入したものだった。音声の良し悪しなど考えることもなく、取り敢えず音楽を聴くことが出来ればよいと思ってのことだったと思う。何時も聴くラジオ局。感じの良い音楽が流れ、時折DJの声が聞こえたが、当時の私には何のことだかさっぱり分からなかった。時には街を歩いた。サンクスギビングの後の街の様子ときたらクリスマス一色で、皆ひどく浮かれ、両手に沢山の紙袋を持っていた。家族友人への贈り物だろう。私は誰かに贈り物をするつもりもなければ、自分への贈り物を購入するつもりもなかった。私にはこの大好きな街で生活できること自体が、既に大きな贈り物のような気がしていたからだった。それなのに、私は塞ぎこんでいた。周囲の人々の英語が分からない。自分が思っていることを上手く言葉に出来ない。そんな時期が続いていて、驚くほど消極的になっていた時期だった。一緒に暮らす友人がそんな悩みも持たずに自由自在に言葉を話す様子を見て、私はコンプレックスを感じたのかもしれない。今思えばつまらないコンプレックスだった。人にはそれぞれ必要な時間というものがあって、どちらかと言えば不器用な私には彼女よりも沢山の時間を要していただけだったのだから。街の人々の波に流されるようにして、私は広場の前にあるデパートメントストアに入った。一番上の階にクリスマス用品ばかりを置いていると知ってのことだった。最上階はオーナメントやクリスマスリースを探し求める人達で賑わっていた。手に取ってみると確かに美しく、こうしたものを家に飾ってみたらどうだろうと思った。なのに買い求めなかったのは、何時か私の生活が落ち着いた時にクリスマスのものを買い揃えようと思ったからだった。それらに掛ける資金が無かったからかもしれない。それとも当時の自分はまだ努力が足りないと思っていたからかもしれない。奥の方に行くと、クリスマスカードが並んでいた。一箱に20枚ほど入っていた。どれも美しく、こんなカードを貰ったら嬉しいだろうと想像した。私は其の中から豪華すぎず、しかし暖かい気分になる華やかなカードのセットを購入した。日本に居る家族や友人たちに贈ろうと考えてのことだった。カードの価格が5割もひかれていたのは、クリスマスカードを遠方の人達に贈るには多少ながら遅いタイミングだったかららしい。まだ3週間もあるのにと思いながらも、急いでカードを書いて郵便ポストに投函しなければと焦ったことを思えている。アメリカで迎えた私の最初のホリデーシーズンはそんな風だった。ずっと私は独りぼっちだと思っていたけれど、本当はちっともそうではなかった。私を思いやってくれる人が居たのに、喜びを分かち合おうと思ってくれる人が居たのに、私は殻に閉じこもっていて、気が付かなかっただけだった。本当は色んな人が遠くから見守っていてくれた。私はそれに気が付いた時、つまらないコンプレックスから脱出して、すると突然目の前で話している人の言葉が、ラジオのDJの言葉が、街ですれ違う人々の言葉が分かるようになった。あの経験で私はほんの少しだけ大人になったのではないだろうか。クリスマスの魔法。あの年以来私はそんな風に呼んでいる。私にとってクリスマスとは、喜びを分かち合う大切な瞬間だ。
街のショーウィンドウを眺めながら思う。この冬は暖かいシンプルなコートが欲しい、と。ダークカラーの、襟と肩の形が良い、シンプルで良い素材の体に重みを感じないコート。今のところ此れというものには巡り合っていない。あまりに要求が多すぎるから。でも、たとえそれに巡り合えても飛びつくことは無いだろう。大きな買い物は何時だって、クリスマス後のサルディと決めているのだから。楽しみは先送りにする。それも案外楽しいものだ。
