髪を切ろう

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朝がやって来るのが遅い。10月に最後の日曜日まで夏時間が続いているからだ。朝が来るのが遅い分、夜が来るのも遅いけど。後2週間。夏時間が終わるまで、あと2週間ある。
今日は朝から素晴らしい快晴。週末の快晴は本当に有難いと思う。何処かへ足を延ばす人もいるだろう。折角の楽しいことならば、空が晴れているに越したことは無い。家でのんびりの人にしたって、窓から外の明るい光が入ってくると、気分も明るいというものだ。

本当ならば土曜日も快晴の予報だったが、あいにくの曇り空だった。しかし前日の雨に空気が洗われて、気持ちの良い曇り空だった。敢えて言うならば湿度。これはボローニャに住んでいる限りは、仕方がないというものだ。内陸なのだ。周囲を丘に囲まれた、盆地なのだから仕方がない。空は晴れていなかったけれど、家でぐずぐずしているのが嫌で外に出た。そうだ、髪を切りに行こう、と。
昔から髪の手入れをしに行くのが好きだった。勿論、まだ小さな子供の頃、近所の床屋へ行くのは大嫌いだったけれど。昔の子供は女の子ですら、床屋に出入りしたものだ。兎に角、洒落っ気も何もない。ちょきり、ちょきりと鋏で切り落とされる髪を見ながらため息が出た。仕上がりはいつもおかっぱ頭。それも前髪は眉毛の上できっぱり揃えられていたし、髪裾も顎のラインよりも随分短かった。母がそうするように事前に床屋に電話をしていたらしい。何も訊かれずに、いつもこんな風に仕上がった。まだ10歳にならない頃の話である。それに此の床屋の入り口にいる犬の気が強いこと。子供だった私はこの犬が怖くてならなかった。毛並みが金色の美しいコッカーだった。今なら上手く店に入れるに違いないけれど。ちょいちょいと頭などを撫でながら。思春期になると床屋ではなく、美容院に行くようになった。何という美しい響き。子供心にそう思った。私の家では月に一度は髪を切る習慣があった。誰にそう言われることもなく、そんな風に習慣付いていたのである。だから時々行くタイミングを逃すと、髪がぼさぼさのような気がしてならなかった。
私がアメリカへ行くと、上手に髪を切る人に巡り合えず、何か月も髪を切ることが出来なかった。私が2番目に借りたアパートメントの近所にあった、アランという名のフランス人男性の店に飛び込んだのは、大きな賭けだった。彼がひとりで営んでいる、本当に小さな店。いつも客が居たから、悪くないに違いない、と思ってのことだった。髪をいじって貰いながら話をしているうちに、彼がとても繊細で、芸術的考えを持っていることに気が付き、これは大当たりかもしれない、と思った。果たして大当たりで、私はこうして再び月に一度髪を切るようになったのだ。そのうち毎月現れる私は彼の上客となり、予約が無くとも次の客までの時間の合間に、ちょいちょいと髪を切ってくれるようになった。2番目のアパートメントから、3番目の住まい、相棒のフラットに引っ越した時はバスやトラムを乗り継いで店に通った。しかしボローニャに引っ越しとなってはどうしようもなく、彼と抱き合って別れた。ボローニャはいい街だから、と彼が言ったのを覚えている。彼はボローニャをどうして知っていたのだろう。
ボローニャに暮らすようになってから通った店はいくつかあるが、今の店に辿り着いたのは、ほんの偶然だった。確か7,8年前のことだ。ある寒い冬の土曜日、カメラを持って散策していたところ、へえ、こんなところに、と今の店を見つけた。旧市街の、普通の人はあまり歩かない通りで、実際私も歩いたのはそれが初めてだった。そうっとガラス越しに店を覗いてみたら、活気があった。客層はお洒落な人が多かったから少々気後れしたけれど、思い切って入ってみた。店主が出てきて私に訊いた。髪を切りたいの? そう。でも、あなた東洋人の髪を扱えるかしら。それが私達の初めの会話だった。暫く待つとようやく番が回ってきた。その間私は暇にしていた訳ではない。店にいる洒落た客たちを観察して、店主の鋏裁きを観察して、周囲から聞こえる違う世界をもつ客たちのお喋りに耳を傾けた。店主はパトリツィアと言って、大変自信家だった。でも自信は単なるはったりではなくて、彼女のセンス、髪を切る哲学が私を直ぐに魅了した。それを機会に、私は彼女のところに足を運ぶようになった。私がどんな髪型にしたいと注文したことは無い。前髪を切らないこと。それだけ。後はすべて彼女のセンスに任せる。それが彼女を大変刺激するらしく、無駄話など一切せずに夢中になって髪を切る。だから私は彼女をこう呼ぶ。私の気に入りの芸術家。あの冬の日、この店に飛び込んだのは、本当に幸運だったと今も思う。彼女が年をとって、何時か店に立てなくなったら、また一から探し直し。彼女にはまだまだ頑張ってもらいたい。私の小さな願いなのだ。

髪を切って首元が涼しくなって、うっかり風邪を引いたらしい。今日は1日のんびり。猫と一緒に日向ぼっこの日曜日。




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コメント

No title

髪を切ってくれる人との関係は 特別かもしれませんね
私の場合は 反対のケースでしたが
気に入っていた若い男性の彼から ある日
来月、イタリアに帰ると言われた時の淋しさには
自分でも驚きましたよ。月に一回しか会わなかったのに。。

yspringmindさんの「任せます」のメッセージは
互いの信頼を作るのでしょうね
素晴らしいヘアカッターとの出会いは 贈り物ですね!

2016/10/17 (Mon) 10:09 | スプーン #EQkw1b1A | URL | 編集

こんにちは。
いい写真ですね。

髪の毛をいいセンスで切ってもらうとうれしいですね。切ると気持ちが軽くなりますよね。

美容院に行くと、希望の美容師はいますかと聞かれ、いつも、いませんと言うのですが、男性の美容師さんの方が形のとり方がスムーズで、バランスの取り方が上手なような気がします。女性は細かいカットの仕方に気をとられてるような気がして。

2016/10/17 (Mon) 16:23 | つばめ #- | URL | 編集
Re: No title

スプーンさん、こんにちは。髪を切ってくれる人との関係は、全く特別です。特別親しくなくても良く、芸術家とその芸術を理解する鑑賞者、みたいな関係と思っています。勿論、鑑賞者である私が気に入らなければならないのですが、それに応える如く全力で髪を切ることにエネルギーを注ぐ姿は、本当に惚れ惚れします。
スプーンさんの美容師さんはイタリアの若い男性でしたか。まあ。イタリアに帰るなんて。
私の美容師さんはもう60歳を随分過ぎています。髪を切っている時の様子も、仕上がる髪型も実に若々しいのですが。あと5年くらいは頑張ってもらいたいものです。
私の「任せます」は、才能ある美容師の実力発揮のステージのようなものらしいです。

2016/10/17 (Mon) 22:56 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。私も昔は男性美容師の方が好きだったんですよ。潔い鋏裁きとか、センスとか。ところがですね、今私の髪を切ってくれる女性は、昔ロンドンで学んだ、今は60歳を随分過ぎている人なのですが、実に直感だけで髪を切るその姿は男性的。実に気分がいいです。今回も、いつもと違うのにするわよ、と言って大変な張り切りようでした。私が気に入った!と言ったらほっぺたに大きなキッスをくれました。

2016/10/17 (Mon) 23:01 | yspringmind #- | URL | 編集

こんにちは。
感情が伝わるのって、気持ちいいですね。
ほんとうに、イタリア人にしても、アメリカ人にしても、みんなじゃないにしても、感情が豊かにあふれでてる人っていますよね。
理屈じゃなくて。
そして、相手のことを知ろうと一生懸命聞いてくれる。
日本人同士の方が、かえって牽制しあって、えっってことが結構あります。
なんでもいいよーと両手を開いて受け止めるみたいな安心感はだれでも自由でうれしい。

2016/10/18 (Tue) 07:11 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、世の中には感情豊かな人が居ますね。其の中に含まれるのか、それともその中に含まれないのか私には未だに分からないのですが、気持ちを上手に表現できる人って居ますね。私はそう言う人に出会うと、素晴らしいことだなあと思うのです。本当は簡単なことなのかもしれないけれど、そういう簡単なことが逆にむずかしい。・・・と私は最近よく思うのです。

2016/10/21 (Fri) 23:26 | yspringmind #- | URL | 編集

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