もうひとりの二コーラ

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今日は祝日。ボローニャ市だけの祝日だ。ボローニャの守護聖人ペトロニオの日である。そうした訳だから、ボローニャ市から一歩外に出れば普通の日で、その辺りの人達は仕事を普通にしていると言う日なのである。例えばミラノの守護聖人の日は12月7日。知らずにその日にミラノへ行くと、ちょっと困ったことになる。何しろ交通機関が祝日扱いだし、店も半分ほど休みだからだ。それともミラノともなれば、祝日でも通常通りなのかもしれない。何しろミラノだから。それにしても素晴らしい晴天。これを秋晴れと呼ぶのだろうか。秋。ボローニャの秋は短いから、ぼんやりしていないで堪能しておくのがよいだろう。

数日前、旧市街のポルティコの下に焼き栗屋さんを見つけた。もうそんな時期なのだなあと思いながら、今年も焼き栗屋さんが店を出したことを心から喜んだ。年々店が減っている。焼き栗はもう流行りではないとでも言うように。それともそうした世代の人達が、引退しつつある証拠かもしれなかった。若い焼き栗屋さんは、ボローニャではあまり見かけることが無い。さて、店はついさっき出したばかりらしかった。前を通りかかった老女が栗を求めたところ、シニョーラ、まだ焼けていないんですよ、まだまだ時間が掛かりそうなんですよ、とおじさんが言っていたから。おじさんの名は二コーラと言うらしい。店と言うにはあまりに簡単すぎるその場所に、二コーラの栗は世界一美味しい、と手書きされた小さな紙っきれが立てかけてあったから。そうか、おじさんの名前は二コーラなのか、と納得したところで、もうひとりの二コーラを思い出した。

21年前の5月下旬、相棒と私はボローニャに引っ越してきた。私達には定まった居場所が無く、友人知人の家を居候しながら転々としていた。ふたりで暮らす良いアパートメントが見つからなかったのである。そうして7月になるとようやく相棒の古い友人の敷地内にある離れに落ち着いた。私達は離れの家を借りたのである。ボローニャ郊外の、自然ばかりが多い場所だった。不便極まりなかったけれど、転々としているのに疲れていたので、不便でも有難かった。其処から田舎暮らしが始まった。しかし其れも夏であることで随分と救われた感があった。明るい太陽の光。青い空。夕方に吹く気持ちの良い風。夏の虫の声。月や星が驚くほどきれいに見える場所だった。8月のある夕方、友人夫婦と出掛けた。行先はマリーナと彼が暮らす家。彼らは友人夫婦の良い友達で、こんな風に時々行き来しては食事を一緒にとるらしかった。私達が居候していることを知ったマリーナたちは、それじゃあ、あなた達も来なさいよ、ということで同行することになった訳だ。マリーナの家は標高800メートルほどの丘の上にあった。途中でヤギの大群に巻き込まれて、立ち往生したけれど、ゆっくりと、まるで焦らすかのようにして歩く白いヤギ、黒いヤギを眺めるのはとても楽しいことだった。何しろ生まれて初めてのことだったから。私は子供のように喜び、友人夫婦はこんなことで喜ぶなんてねえ、と、まるで新種の動物を眺めるような目で私を眺めたものだ。そうしてマリーナの家に着いたのは、もうすっかり空が暗くなってからだった。外は寒いから中で食事を、とマリーナは私達を中に招いた。実際気温は18度ほどしかなくて、真夏の下界から来た半袖姿の私達にはとても寒すぎた。家の中に入ると見慣れぬ若い男性がいた。カウボーイ気取りの男性で長身の、すらりとした姿の、肩まで髪を伸ばした人だった。クリント・イーストウッドに憧れています、ともし彼が言ったら、やっぱり! と納得するに違いない、そんな雰囲気の青年。そうして分かったのは、彼は二コーラと言って、この近所に住んでいて、夏が終わったらオーストラリアへ行くと言うことだった。彼が何の為にオーストラリアへ行くかは多分聞かなかったと思う。案外無口で、いや、恥ずかしがり屋な彼は、自分のことはあまり話さず、何時も聞き手だったから。ひとつ驚いたのは、彼が英語を話せないことだった。それでも僕は行くんだよ、と言ったのを聞いて私は驚き、しかしそう言えば私もアメリカへ行った時、殆ど皆無に近かったことを思い出し、更にはイタリアに引っ越して来たはいいが、未だにイタリア語が話せないし分からないから、無謀という点からいえば私は彼と良い勝負だと思った。夕食の後、私達はワインを注いだグラスを片手に庭に出た。流れ星を見ようとのことだった。あれはサンロレンツォの晩で、一年で一番流れ星が見れる晩だったから。庭の寝椅子に横たわって、あ、流れ星が!と幾度言っただろう。沢山の流れ星を見つけながら、私はこれからのボローニャの生活がうまくいくようにと願い、次の流れ星の時には二コーラの新しい生活がうまくいくようにと願った。知り合ったばかりだったけど、何だか放っておけなかったのだ。あの晩何時に帰って来たのか覚えていない。すっかり体が冷えて、寒い寒いと言いながら平地に降りてきたら夜中と言うのに恐ろしい暑さで、身体がびっくりしてどうしようもなかった。二コーラとはその後一度も会っていないし、二コーラが元気なのかどうかは誰にもわからなかった。

外国へ飛びだすのは冒険みたいでわくわくするし、新しい何かが開けそうな気がするものだ。でも、良いことばかりじゃない。かと言って悪いことばかりでもないから、経験してみるのは良いことだと思う。少なくとも私は、飛び出したことを良かったと今も思っている。二コーラは、二コーラはどうだろう。何か得たものはあっただろうか。自分が探していた物に巡り合えただろうか。焼き栗屋の紙っきれを眺めながら、あの遠い日の二コーラを思い出していた。




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コメント

こんにちは。
あー、飛び出してみたいな。
ニコーラさん、なにしてるんでしょうね。
飛び出していいよって言われたら、いろんな人と話しがしたいな。
本当の自分を多くの人はかくして仕事をしています。今日もサラリーマンが会社の愚痴をカレー屋さんで言っていました。ほんと、正直に言ったらいいのに。
海外に行きたいな。もし、日本が島でなかったら、どうだったろう。もしもなにもないけれど。言われるように、どこにいても良いこともそうでないこともありますね。わたしは、あるときから自分の意思で選べなくなったので、うんざりしています。でも、まだ、あきらめてないのです。
海外でなくても、ここから出たい。

2016/10/05 (Wed) 14:33 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。飛び出すことは口で言うほど簡単なことではないかもしれません。でも、飛び出してしまえば、何だ、こんなに簡単なことだったのかと思うものです。後悔するのが嫌だからと、自分の意志に従って飛び出しました。飛び出したことで失敗も沢山したけれど、でも、失敗したことで沢山のことを学びました。だからよしとしましょうか。
二コーラは自然豊かな土地が似合う男でした。だからオーストラリアなどは肌にあったのではないでしょうか。多分今も元気に、オーストラリアの何処かに居るのではないかと想像します。オーストラリアの海岸地区ではなくて、赤土の、内陸の、そう、エアーロックみたいなところに。
人にはそれぞれ丁度よい時期というものがあるようですから、これからつばめさんにとって丁度よい時期が来るのかもしれませんよ。

2016/10/05 (Wed) 21:23 | yspringmind #- | URL | 編集
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2016/10/07 (Fri) 21:29 | # | | 編集
Re: No title

鍵コメさん、こんにちは。確かにオールトラリアにはイタリアからの移民が沢山いますね。昔そういうイタリア映画を見ましたし、相棒の両親の友人夫婦はオーストラリアに住んでいる娘に誘われて移民しました。メルボルンだったと記憶しています。
良いところなのでしょう。まだ見ぬ土地に話を聞きながら思いを馳せました。
私の旅はずっとこれからも続きます。鍵コメさんの旅は如何でしょうか。

2016/10/08 (Sat) 17:29 | yspringmind #- | URL | 編集

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