良い予感

DSC_0137 small


猫が不服そうな声を上げた。理由は知っている。隣人の庭にあったプールが、8月の終わりに取り払われてしまったからだ。其のプールは南に備え付けられた私達の寝室の窓の目下にあって、小さく揺れた水面に朝日が射すときらきらと光ってそれは大変美しかった。その光る水面を、猫と私は一緒に眺めては、綺麗だね、と囁き合ったものだ。プールは、隣の家族の娘がまだ小さかった頃に備え付けられたものだった。長さ6、7メートル、幅4、5メートルほどの、さほど大きくないものだったけれど、忙しい夫婦が娘と一緒に時間を過ごすには、なかなか良い空間だった筈だ。娘が18歳になって、プールに関心が無くなったのだろうか。そもそも娘は何時も外に出掛けていて見掛けることも少ない。夏の終わりにプールは取り払われてしまった。私のプールではなかったから文句のひとつも言いようがないけれど、私はこのプールの存在が大好きだった。冬の間は水が抜かれているプールの底が綺麗に洗われて水がなみなみと注がれると、今年も良い季節がやって来た、と思ったものだ。猫は、どんなことを想っていただろう。いつも窓辺からプールを眺めていたから、同じようなことを考えていたのかもしれない。プールが無くなった庭は、ちょっぴり寂しげ。殺風景と言っても良かった。

雨が降った。予定通りの雨。気温は思うように上がらず、終日コットンのカーディガンを着込んだ。まだ暑さは戻るだろうか。それともこのまま涼しい季節へと向かうのだろうか。雨は午後になって一旦止んだが、帰り道にまた降りだした。天気雨。空は時折晴れながら、シャワーのような雨が降り落ちた。バスの窓から空を眺めたら、虹。それも二重の、大きな虹だった。何かいいことがありそう。そんなことを想っているうちに、そう言えば同じようなことを想ったことがあったと思い出した。
21年前の11月。私の誕生日の前日だった。前日におめでとうと言うのはよくないから、と相棒の友人が言っていた。私にしてみれば前日だろうと前々日であろうと、楽しいことは祝っても良いではないか、と思ったけれど、そう言う訳で相棒の友人は私におめでとうの一言を言ってくれなかった。明日、明日ね、と言っていたけれど、ちゃんと覚えているかしら、と思ったものである。午後になって急に雨が降った。傘を持っていなかったから、軒下に逃げ込んで止むのを待った。この雨が何日も続かなければよいけれど。私達はそんな話をした。少なくとも私の誕生日に雨が降るのは困る。だって雨が嫌いなんだから。そんなことを言う私を相棒も友人も子供みたいだと言って揶揄った。暫くすると雨が止んだ。あちらこちらに水溜りがあって、私はそれを避けながら注意深く歩いた。だから、足元ばかり見て歩いていたものだから、空の変化に気が付かなかった。一番初めに声を上げたのは友人だった。あっ。たった一言だった。私はその声で顔を上げると、まだ晴れ切らない、濃い鼠色の雲が立ち込め、しかしその背後には確かに太陽の光が充ちていると分かる不思議な色の空に、大きな、幅広の虹が掛かっていた。こんな幅広で色の濃い虹は見たことが無く、私は驚きのあまり言葉を忘れて、無言で突っ立ったままだった。それは何か良い予感のする、何か良いことがありそうな虹だった。道を歩いていた人達は皆足を止めて虹を眺め、それぞれが何かを感じ、何かを考えているように見えた。どの顔も一様に明るかった。まるで空からの贈り物を受け取ったみたいな。そんな感じ。あの虹の後、私はローマのある会社から仕事のオファーの電話を貰った。少し前に手紙を書いた複数の会社のうちのひとつだった。ローマへ行こう。ローマで働いてみよう。私はボローニャを出てローマへ行くことにほんの少しの迷いもなかった。チャンスは前髪を掴め。そう教えてくれたのは、日本で働いていた頃の女性の先輩だった。つかみ損ねたらチャンスはそのまま逃げてしまう、チャンスは二度は無いのだから。だから、飛びつくのが怖くても、迷っても、えい、と掴まなくてはね。何時も厳しい彼女だったけど、そう言ってアメリカへと飛び出そうとしていた私の背中を笑顔でグイッと押してくれた。
今の私があるのは、あの時ローマへ行く勇気を失わなかったからだ。一年相棒と離れて暮らしたことは、世間的にはあまり良いことではなかったけれど、おかげで大変な妻だとレッテルがついてしまったけれど、私はあの一年で元気を取り戻して、今はこうしてボローニャで仕事をしながら退屈もせずに元気にやっているのだから。


今夜は満月。先ほどから探しているが、満月は分厚い雲の背後にあるらしい。残念、とはまだ言わない。そのうちきっと姿を現す。そんな予感がする金曜日の晩。




人気ブログランキングへ 

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する