涼しい風

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空の機嫌がいいらしい。数日前の夕方から過ごし易くなった。爽やかな風が首の回りをすり抜けていく。夢を見ているような気分とは、こんな感じだろうか。

ようやく週末を迎えて、ほっとしている。俄かに忙しい日が続いていたので、ゆっくりしたいと思っていたが、涼しい風に誘われて、散歩に出かけることにした。昨日のことだ。
土曜日のバスは素っ気ない。停留所まで数メートルというところでバスに行かれてしまった。次はいつ来るだろうか。土曜日は本数が少ないのに加えて、6月からの3か月間は夏期時刻で更に本数が少ない。それからもう少し付け加えれば、旧市街の一部が工事中でいつもと違うルートを走る。つまり迂回していると言う訳で、そうでなくともあてにならぬバスの時刻表が、益々無意味なものとなっている。だから目の前でバスを逃してしまった場合は、誰でも、次はいつ来るだろうか、と思うのである。とぼとぼ歩いていたら、停留所の背後に見慣れた顔をふたつ見つけた。ひとつは床屋のモレーノ。もうひとつは知人のお兄さんのピエロ。こんにちは、と声を掛けると、やあ元気かいと、機嫌のよい声が帰ってきた。社交的なピエロ。昨年の今頃は病気が分かって大騒ぎだったが、あれから良い治療方法が見つかったらしく、体力も肉付きも随分と回復したようだ。何よりも彼の明るい笑顔が嬉しかった。次のバスが来るまで、と私達は話し始めたけれど、20分経ってもバスが来ない。そのうち通称ガンベロと呼ばれている老人がやって来て、私達の立ち話に加わった。ガンベロとは本当の名前ではない。ガンベリーニという立派な苗字があるけれど、この辺りの人達は皆彼をガンベロ(海老)と呼ぶ。子供の頃からの呼び名だそうだ。ピエロとガンベロは子供の頃からの遊び友達と言うことだけど、70歳を過ぎた彼らの口から子供の頃からの遊び友達などと言われると、思わず笑みが零れてしまう。長い付き合いねえ、とからかうと、ピエロとガンベロはぺろりと舌を出して悪戯めいた表情をする。このふたりは多分、この辺りの悪ガキだったに違いない。大人になってすっかり紳士になったピエロ。でも、ガンベロは今もあまり変わっていない。そうしているうちに、やっとバスが来た。結局40分も立ち話をしてしまった。私は皆に手を振ってバスに乗り込んだ。
涼しい日は散歩が楽しい。日差しは相変わらず強いにしても、汗をかかずに歩けるのはなんて嬉しいことだろう。この夏に限っては全く縁のない夏のサルディ。欲しいものはひとつだけ。でもまだ手に入れていない。エルメルの中から大きな紙袋を手に出てきたのは、それなりの年齢の夫婦と若々しい娘。娘の腰にベルトに代わりに巻かれているエルメスのスカーフを見つけて、成程、常連客なのだな、と思った。私にとっては敷居の高い店でも、こうした人達はごく当たり前に買い物をしていく。そう言えばボローニャで数回目の夏に海で知り合ったミケーラもそうした常連客だったと思い出した。
彼女は海の町に生まれ育った、一年中焼けた肌を誇る、私と同じ年齢の弁護士だった。あの当時の私と同じ年齢だから弁護士としては駆け出しだったに違いないが、どうやら名の知れた家柄の出身らしく、大変恵まれたスタートだったようだ。既に沢山の顧客を持っていたのがその証拠だった。彼女はボローニャに自分のオフィスを持っていて、殆ど毎日足を運ぶらしく、ボローニャの色んなことを教えてくれた。そんな彼女はアイボリーの水着が気に入りらしく、海辺でも一際目立っていた。美しく日焼けした長い手足がアイボリーの水着と良いコントラストで、彼女が海辺を歩いていると誰もが一瞬動作を止めて、魅入ってしまうほど美しかった。其のアイボリーの水着がエルメス製だと見抜いたのは私ではなく、また彼女が自分で言ったわけでもない。驚いたことに、そういうものに疎いと思っていた、相棒だった。そう言われてみると、他の水着もエルメス製で、こんな上質な水着は見たことが無いと思っていた理由が分かったというものだった。当時はまだ珍しかった日本人を海で見つけて、ミケーラは上機嫌だったようだ。夏が終わったらボローニャで会いましょうと誘ってくれたけれど、結局会うことが無かった。ひと夏の友達というわけだ。イタリアではよくある話なだ。あれから18年も経ったから、彼女は随分キャリアを積んで、もう親の名前や援助が無くとも立派にやっていける弁護士になったに違いない。何しろ口が立つし、それに大変賢い人だったから。そして彼女は、イタリアで上手くやっていけるタイプの人間だから。

ところで私の欲しいものって、たった一枚のシャツ。店の前を通る度に、いいなあ、と思っていたシャツだ。サルディが始まったのにまだ手をださない理由は何だろう。何でもお金で手に入れることが出来ることを、つまらないと思い始めたからかもしれない。いや、違う。欲しいものが直ぐに手に入ってしまうこと、それがつまらないのかもしれない。




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コメント

こんにちは。
エルメスの入っている建物はとっても重厚ですね。窓の大きさが人と比べるととっても大きい。
ミケーラさんとどこかですれちがったりしていたらおもしろいですね。エルメスの水着ってあるんですね。
わたしは、エルメスと縁がないのですが、きれいなものは見てみたいです。
おじいさんが、べろをだすのはかわいらしいですね。
梅雨が今日あけました。今年は、何年かぶりにカタツムリをよく見かけました。

2016/07/18 (Mon) 07:22 | つばめ #- | URL | 編集
No title

こんにちは。

関東地方はまだ梅雨が明けず、
神奈川以外の県では水瓶であるダムの貯水量が少なくて、
取水制限を行っています。
日本では九州ばかりに雨が降り、関東は雨が少ない、そんな夏です。

イタリアの夏の様子、街にお住まいの方たちの夏の楽しみ方など
拝見して、そこに滞在して見ているかのようで
わくわくしています。

私もこの夏、今年らしいデザインのシャツを一枚、
手に入れたいと思っています。
今年らしいものはぐっとおしゃれな気分になるし、
今だけの雰囲気に投資するには安価になる時期になら、お財布も嬉しい。

ぐっと身体に風が入るように着て、
暑い夏を爽やかに乗り切りたいものです。


背の高いひまわりも、
最近よく見られる小さい丈のひまわりも
明るい色で風に揺れています。

お元気で楽しい夏をお過ごしください。

2016/07/20 (Wed) 07:55 | 大庭 綺有 #UEV0rP6g | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。エルメスが入っているこの建物は大変古いものですが、エルメスがこの建物に目をつけたところが、実にエルメスらしいと思いました。大変な目利き、とでも言いましょうか。
私もエルメスにはあまり縁がありませんが、全く美しく、丁寧に仕上げられているのが分かるので、大好きです。専らショーウィンドウ見学ばかりですけれど。
ところでイタリアの年配の人達は、大変お茶目なのですよ。

2016/07/21 (Thu) 23:04 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: No title

大庭 綺有さん、こんにちは。お元気でしたでしょうか。返事が遅くなってごめんなさい。もうそろそろでしょうか、関東地方の梅雨明けは。雨が少ないって、水不足の夏ですか!それは大変。私この夏日本に帰るんですけど。雨の降り過ぎも困るけど、乾き過ぎも困りますね。全くうまい具合に行きません。これって多分世界中のどこにでもある話ですね。
今の時期を逃す手はないと思うのですが、未だにたった一枚のシャツを買わずにいるのは何故なのだと自分に問う毎日です。5割引きなんですけど。店の前を毎日通りながら、まだある、売れずにまだあると確認しては安堵。ならば早く買えばいいのにと思いながら、また明日、と思うのです。大庭綺有さんは手に入れましたか、今年らしい一枚のシャツ。
まだ2か月も暑い時期が続きますが、私はバッテリー切れのようです。日本で鰻の蒲焼など食べたら元気が出るのかしら、と夢見る毎日です。

2016/07/23 (Sat) 15:07 | yspringmind #- | URL | 編集

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