淹れたてのカッフェ

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今日も暑い。暑くなるだろうと想像していたから、土曜日だけれど早起きした。家の色んなことを涼しいうちにしてしまおうと思って。しかし、あっという間に気温が上がり、7時には蝉が鳴き始めた。蝉たちはテラスの横にある菩提樹を定宿としているらしく、騒がしいこと夥しい。朝寝を楽しむ予定だった相棒も蝉の声に叩き起こされて、やれやれと言う顔でキッチンにやって来た。起き抜けの、淹れたてのカッフェ。バールのカッフェもいいけれど、私は自分の家で、使い込んだモカを使って自分流にカッフェを淹れたものが一番好きだ。この拘りは案外根深く、旅先でアパートメントを借りて滞在する時には、使い慣れたモカを家から持っていくほどである。モカと言うのは直火式のエスプレッソ器具のことである。イタリアではカッフェと言えば当然エスプレッソのことだからモカ・エスプレッソなどと長い名前で呼ぶことはあまりない。モカと言えば大抵通じてしまう。

私とモカの出会いはアメリカで相棒と知り合った時である。初めて相棒の家の昼食に招かれた時に、キッチンの隅っこに見つけた。これ、なあに。と訊ねる私を見返す彼の目は、まるで不思議なものを見たような、驚きの目だった。嘘だろう、これを知らないのかい。彼はそう言いたかったに違いないが、これはモカと言ってエスプレッソを淹れる器具なんだ、と説明しながら目の前でカッフェを淹れて見せてくれた。彼の家にあったモカは小さなもので、随分と使い込まれていているものだった。取っ手の部分はうっかり火に当ててしまったらしく、ケロイドのようになっていたし、アルミニウム合金の本体も光沢を失っていて、少しも可愛くなかった。しかし、それで淹れたカッフェの美味しかったこと! 美味しいと感嘆すると、勿論さ、と彼は言った。これで淹れるカッフェが一番おいしいと言って、まるで恋人を見るような愛おしい目でモカを眺めた。あの日から私はモカの虜になった。私はダウンタウンで街で調理器具や食器を売る店を見つけると中に入って、モカを探すようになった。探してみると驚くほど多くの種類があった。大きさにしても形にしても。様々なメーカーがモカを生み出しているらしく、其の中からひとつだけ選ぶのは実に難しいことのように思えた。ある日、彼と店に入った。何の目的もなく、何となく、ぶらぶらと。と、モカがあった。色んな種類があって見るだけでも楽しかったが、ふと彼は私の方を向くと、私だけに聞こえるような小声で言った。見かけのいいのは沢山あるけど、でも、モカはやっぱり僕のうちにあるあの昔ながらのモカが一番いいんだよ。それはビアレッティ社のもので、可愛くもお洒落でもないものだ。それから彼はこうも言った。使い込まれていればいるほど美味しいカッフェを淹れることが出来る。その後、私は相棒と一緒に暮らすようになり、自分用のモカを購入する必要はなくなった。彼の使い込まれたモカがあったから。ところで当時、私達のほかにブリジットと言う名の同居人が居た。彼女はフォルテ・デル・マルミ出身のイタリア人で、朝食のカッフェにはひどく拘りを持っていた。まあ、イタリア人と言うのは誰もがそうなのであろうけれど、兎に角、相棒と私が結婚すると決めたころ、テラス続きの隣のフラットが空くことになって彼女は其処に移ることに決めたが、彼女は私達のモカも一緒に連れて行くと言い出した。モカは僕のだ、いや、私のだ、と相棒とブリジットが言い争いを始めた。買えば10ドルほどで手に入るものなのに。実際モカは相棒の持ち物だったので、モカは相棒の手元に残り、ブリジットは新しい住まいに移ると同時に新しいモカを購入した。ところが彼女は毎朝のように、テラスのドアを気兼ねしながら叩いた。いい匂いがする。ねえ、カッフェを淹れたんでしょう?ドアを開けると彼女はキッチンの中に流れ込み、淹れたてのカッフェを強請った。あなた、モカを買ったでしょう?と訊けば、買ったはいいが新しすぎて全然ダメ、美味しくないのよ、とのことだった。成程、だから彼女はあれほどモカを持ち去りたかったのか。そのことにようやく気が付いた私は、ああ、イタリア人ってこんなことに拘るのだなあ、と心の中で呆れたものだ。あれからモカの拘りが私にも染み付いてしまった。13年前に行ったトロントではアパートメントを借りたので、モカを家から持って行った。鞄から出てきたモカを見て、友人の驚いたこと。そして家に残してきた相棒には別のモカを用意しておいたが、カッフェが全然美味しくないと言って、長い間文句を言われ続けた。私の家族が知ったら馬鹿馬鹿しいと言われそうだけど。イタリア人に、そしてイタリアに暮らす人たちにとって、美味しいカッフェは一日の始まりに無くてなならぬものなのである。少なくとも私はそう思う。あの日のブリジットがそうだったように。今の私ならば、ブリジットと大そう気が合うに違いないのに。

今朝、近所の市場に桃を買いに行った帰り道に、何枚もの同じポスターが貼られているのを見つけた。毎夏同じものが貼られている。顔だけトラの白い猫のポスターにはこう書いてある。私を捨てないで。あなたを信じていますよ。夏の長い休暇に行く人達が、飼っている動物たちを捨てる行為を防ぐためのポスターだ。休暇に連れていけないならば、家族か友人知人に頼めばよい。そういう人もいないのならば、動物ホテルに頼むのも良いだろう。でも、捨てないで。例えば自分が捨てられたら、どんな気持ちになるか考えて。そうしたら絶対に捨てることなんて出来ない筈だから。




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コメント

お久しぶりです。
昨日の欧州サッカー大会、イタリアvsドイツの試合は、すごかったですね
もう、緊張してしまい、TVの前で大声を張り上げて応援していました。幸運の女神は、ドイツに微笑みましたが、素晴らしい決勝戦のような試合でした。

ところで、エスプレッソを沸かすモカ。本当に旅行の時に役に立ちます。私達、キッチン付きのホテルを借りる時には、いつも、このモカを持って行きます。実は、この1月に日本へ帰国した時にも持って行き、母が気に入ってしまって、使い込んだモカを、母にプレゼントしました。あのモカは、イタリア人の友人が持っていて、私が遊びに行くと、美味しいエスプレッソを沸かして、飲ませてくれたんです。それから、私も、同じもの購入。本当に便利です。母にあげたモカは、おしゃれとは程遠いシンプルなものです(笑)

明日は、独立記念日です。お天気は、雨模様となる予報が出ていて、私達は、友人達とその家族(1組は、イランから両親がいらっしゃっています。彼女のご両親も、一緒に招いてお祝いします)と一緒に、BBQではなく、インド人や菜食主義の友人が多いので、インデイアンレストランからケータリングして、ちょっと変わった独立記念祭を開きます(笑)みんなが、一緒に独立記念日をお祝いできるなんて、素晴らしい。友人達の伴侶は、皆米国人。
雨が降っても、花火は打ち上げられると思います。花火を打ち上げる前に、国歌を素人の方が歌い、素人なんですが、玄人のような美声の持ち主で、毎年、恒例の行事ですが、時には、10歳くらいの女の子が、堂々と国歌を歌い、その美声の素晴らしいことと言ったら、、、、、、、、、。これらは、独立記念日の楽しみです。

そちらは、気温がかなり上昇しているようですが、どうか、お体にきおつけてお過ごしください。

2016/07/03 (Sun) 23:20 | キャットラヴァー #mQop/nM. | URL | 編集

こんにちは。
引っ越しに連れていこうなんて、ほんとおもしろいですね。そういうところを大事にするんですね。日本人でお茶を飲むときうるさくいう人は見たことないですね。そういえば、テレビで少し前、中国の喫茶店では、マイ茶葉を持参し、お湯を店の人に注いでもらうそうです。そして、お客さんどうし自分のお茶は西湖茶だとか、菊の花が入っているとか自慢しあうところをやっていましたよ。こだわりがあるのは似ていますね。
ビアレッティ社、調べてみよう。
使い込まれた方がいいと初めて知りました。
どこの国にも平気で動物を捨てていく人がいるんですね。言われるとおりですね。
捨てられた動物は悲しそうな目をしています。

2016/07/07 (Thu) 14:43 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

キャットラヴァーさん、こんにちは。イタリアは負けてしまいましたが、毎晩サッカー観戦楽しんでいます。ポルトガルが決勝戦に行くことになって、ご機嫌ですよ。
モカはシンプルなのがいいです。そしてあのアルミニウムにカッフェがしみこむほど使い込んだものがいいのです。お母様が気に入られたとは、お目が高いですね。
独立記念日。懐かしいですね。屋根に上がって遠くに上がる花火を見たこと。もう21年以上も前のことになってしまいました。
アメリカのあの陽気さは、イタリアの陽気さとは違うような気がします。真似のできない陽気さ。からりとしていて好きでした。さて、そろそろアメリカの地を踏みたくなりましたよ。来年あたりはどうかな、と。

2016/07/07 (Thu) 21:20 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。イタリア人は使い込んだものを大切にする国民だと思いますが、モカに関しては私も全く同感です。ブリジットと相棒の言い争いと言ったら。でも、今の私ならいい争いしたくなる気持ちが分かります。美味しいカッフェを淹れるためには、やはり使い込んだこのモカがいい。
中国の喫茶店でマイ茶葉。面白いですね。お茶って奥が深いから、自慢したくなる気持ち、分かります。拘りとは、面白いものですね。ところでイタリアでは、新しいモカを買ったらば、数回カッフェを沸かしては飲まずに捨ててしまうのです。新しいモカのカッフェは美味しくないからですよ。本当に味見もせずに捨ててしまう。モカにカッフェがなじまないと美味しいカッフェは入れられない、と言うことなのです。

2016/07/07 (Thu) 21:47 | yspringmind #- | URL | 編集

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