砂粒

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好ましくないことが起きている。勿論、私にとって、のことだけど。英国のEU離脱。これを他国のこと、などと思ってはいられない。いくら経済に疎い私でも、無関係ではいられない。そうだ、無関係ではない。それでいて、どうすることもできないのだから、じれったい話である。暫くこの話題には、私を含めて多くの人が聞き耳を立てるだろう。

ところで大変な暑さである。昨夕は全くの空振りだった。ボローニャ市街地の幾つかの界隈で夕立だったそうだけど、うち辺りでは雨の一粒すら落ちてこなかった。遠い雷音と黒い雲に心を躍らせていたと言うのに。少しは涼しくなるかと思って期待していたと言うのに。一部の界隈で雹が降ったそうだ。それも大粒の雹。雹なんて日本でもアメリカでも見たことが無かったけれど、ボローニャに暮らすようになってからは、珍しいものではなくなってしまった。ボローニャだけではない。イタリア何処でも雹が降る。テレビの報道を見ていると、どこどこで大粒の雹が降って、苗が駄目になってしまったとか、収穫前の野菜や果実に瑕がついて売り物にならなくなってしまったとか、毎年そういう話がある。そう言えば、大粒の雹が降って、手に入れたばかりの新車が傷だらけになったなんて話も聞いたことがある。雹は、案外困った存在なのだ。

6月最後の一週間。週の終わりには7月を迎える。この頃から誰もが心を躍らせる。早い人達は今週末からひと月ほど家を借りて、海や山で休暇を過ごすのだろう。そういう習慣があることを、私はボローニャに引っ越してきて初めて知った。相棒と私がアメリカから引っ越してきたのは、もう21年前のことになる。何の準備もなく、言葉も習慣の心得もなくボローニャに来てしまった私には、全く大変な夏だった。相棒の家族は、7月には必ず海にアパートメントを借りて過ごすのが習慣だった。少なくとも7月は、ということで、年によっては6月からのふた月になることもあったらしい。8月でない理由はふたつある。海が酷く混み合うから。そしてアパートメントの代金が飛び切り高いから、とのことだった。海のアパートメントはいつも同じ。新しい年を迎えると直ぐに電話で予約した。若しくはアパートメントの持ち主が新年の挨拶がてら電話を掛けてきて、そのついでに予約を受け付けると言った具合だった。何故いつも同じところへ行くのか。其れほど、そのアパートメントが素晴らしいかといえば、そう言う訳でもないらしい。ただ、彼らと同じように他の人達も毎年同じところを借りるから、其処へ行けば見慣れた顔に会える、と言うのが理由だったようだ。トリノの人、マントヴァの人、と内陸に暮らす人達ばかりで、夏だけの仲間と言うことらしかった。それでボローニャに来て初めての夏、つまり住み始めてやっとひと月が経ったと言う頃、相棒の両親の誘いで彼らの海のアパートメントへ行くことになった。多分2週間ほど居たのではないだろうか。ボローニャの街でもそうだったが、海の町で私は大そう珍しい存在で、何処を歩いていても何時も周囲に観られていた。あ、スイカを食べている。あ、海辺を歩いている。と言ったように。特に子供たちには、私は異星人のような存在だったに違いない。何処へ行っても子供たちが珍しがって後ろについて歩いているので、グリム童話のハーメルンの笛吹き男のような気分になったものだ。今考えてみれば、子供たちが私を怖がらなかっただけでも幸運だった。それから動物たち。兎に角私は子供と動物に人気があって、いつも私の後ろにはずらずらと子供と動物が連なっていた。私はイタリア語が分からなかったから、いつも独りぼっちの気分だったけれど、そう言う訳で案外楽しい海の滞在になったのである。それから私は老人たちにも人気があった。イタリア語は分からないと言っているのに、しきりに話しかけられて、相棒に助けてもらいたいと思う時に限って彼は何処かに雲隠れしていて、さて、困ったなあと思う毎日だった。翌年も翌々年も海へ行った。そして行かなくなったのは、飽きてしまったからではなくて、相棒の母親、つまり姑が病に倒れたからだ。あの年が海の町へ行かなくなった始まり。病に倒れた姑は、それからは決して海へ行きたいと言わなくなった。舅がいくら海に誘っても。あのアパートメントへ行こうと誘っても。あれをきっかけに、姑の心は山へと向いたらしく、山に家を借りることが数年続いたが、それもピアノーロに住まいを移すことで山へも行かなくなった。丘の町に住んでいるから其れで充分。そう思ったのかもしれない。

ボローニャに来てからの21年間に、私は沢山のことを学んで、沢山のことを手に入れたと思う。そして、それと同じくらい、沢山のことを失った。それはまるで片手で握った砂が指の隙間からさらさらと零れ落ちるみたいに。全部を保つことは難しいと言うことなのか。零れ落ちた砂粒を拾い集めることは出来るのだろうか。そんなことを暫く考えてみたいと思う。




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高兄

yspringmindさん、こんにちは


イギリスのEU離脱は

EU内の国々の方は、勿論ですが

日本にも、影響があります

特に、経済においては、非常に大きく


そして、

一番の不安は、初めての出来事であって

誰にも、先の展開が予測できない不安感

まるで、厚く覆われた雲の向こうが、見えない景色の様に


ともあれ

日本に住む我々の不安感は

EU内に暮らす人々の、不安感、何とも云えない重たさに比べれば

小さなものでしょうが・・・・


そして、イギリス国内の人々の混沌感

すぐ先の未来が見えない感情は、どのように

今、燻っているのでしょうね?

EUから、正式手続きが取られイギリスがEU離脱になるのは

2年後と云われています


私見を述べますと

希望的観測も、含めの話ですが

このままでは、終わらないと考えています

イギリス、EUにとって、妥協的な展開、環境へ向けての試行錯誤が

これからの、半年、始まるでしょう(場合によって、大逆転も、先例がないので、何でもありなんです)

イギリスの事は、イギリス人が決断したのですが

イギリス、EU共に、見えない未来の中でも、不幸な選択はしたくないでしょう



yspringmind

高兄さん、こんにちは。イギリスのEU離脱の影響が円高と言う形になって現れ始めましたね。こちらイタリアでは、まだ始まったばかりではありますから先が見えないと言う不安でありながら、確実に良い印象は無く、皆、少し構えているような感じがあります。さあ、この次はどう出るか、みたいな。チェスの駒の動かし方を自分なりに考えていますが、しかし自分ではどうにもならないことであることも知っている訳で、それが皆に不安を与えているのだと思います。自分たちのことは自分たちで守らねばならない。そういうことを学ばねばなりませんね。今ヨーロッパは、サッカーで気持ちを紛らわしている、そんな感じがします。
  • URL
  • 2016/06/28 22:59

つばめ

こんにちは。
ポルティコの床にうつった光がきれいですね。女性のシルエットも。
そんなに雹が降るんですね。
なんだか、じーんとしました。得ることと、うしなうことと同じくらいということ。失うことは誰でも怖いじゃないですか、でも、そういうことなんかなあと最近思います。
あと、みんなによく見られたけど、子供と動物には好かれて幸運だったととらえられること。そうとらえられるyspringmindさんだから、できたことだと思いますよ。ほんとうに。
たとえば、同じ日本人同士でも、じーっと見られたら何なのと、思ってしまいますね。それが、今から住もうと思っているところで見られたら、わかってはいても心の整理が私だったらつかない気がします。同じ人なのになと思っても、相手には伝わらない。ほんの少しの差で人が、わーわーいうのってなんなんでしょう。やっぱり、その人の立場になって考えられるかどうかかな。
それと、枠を越える考え方をもつ、とらわれない。なかなか、毎日できないのですが。
yspringmindさんが、得られたことは大きいのではないでしょうか。
夏休みが多いのいいですねえ。
EU離脱。どうなるんですかね。理想はとてもいい考えだなとEUを思っていたけど、さすが、歴史があるヨーロッパだなとか思っていたけど、置かれた状況によって、全然歴史がひっくり返ったり、するんですね。わたしは、その場にいないので、空気の雰囲気がわかりませんが、おちついてほしいですね。
  • URL
  • 2016/06/30 15:04

yspringmind

つばめさん、こんにちは。私が幸運と思えるようになるまでには長い時間が掛かったように思います。私は人にじろじろ見られるのに慣れていなかったし、言葉が分からないコンプレックスもあったし。今思えばいつだって、私は周囲の人達に良くして貰っていたのだけれど。
目の前に得たいものがある時は失うことを忘れてしまいようです。私が沢山のことを失ったのに気が付いたのは、失ってから随分経ってからのこと。取り戻せるかな。どうかな。と、私は最近考えるのです。随分と大切なことを失ったように感じているものですから…。
  • URL
  • 2016/07/02 14:08

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