今頃思い出した

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朝方、雨の音で目が覚めた。雨が叩きつけるように空から落ちてくる音で。何時だったのかは覚えていない。飛び起きて窓の外を眺めると、ああ、今日も雨なのか、と思ったことだけ覚えている。シーツの下に潜り込むと再び眠りに落ちた。さて、そろそろ起きようかと本格的に目を覚ますと快晴が待っていた。朝食をとりながら、空の様子に惑わされている自分が嫌になった。もう、どうでもいいや。そう思いながらぬるくなったカフェラッテを飲み干した。
今日は姑のいるピアノーロへは行かない。日曜日恒例の昼食会に参加しないのは先週に続いて二度目。二週続きだから姑は気を悪くしているだろうか。しかし体調が悪いのだから仕方がない。無理をするのはもうやめたのだ。無理をしたところで良いことなどひとつもない。

のんびりと片付けごとをしていたら、思い出したことがある。友人のこと。友人と言ったって、本当に友人なのかは分からない。もとを正せば相棒の友人だ。アメリカに暮らしていた頃、偶然知り合った、まだアメリカに来たばかりで困っていた同じ故郷の女の子に親切にしてあげた、そんなことから始まった関係らしい。彼女は若さで家を飛び出してアメリカへ行ったはいいが、宛があるでもない。初めて何の準備もなかったことに気が付いて困っていた所で、相棒と知り合った。相棒がよく知っているイタリアンレストランの店主に頼んで、住み込みのベイビーシッターとして彼女を送り込んだらしい。これで住む場所と食べること、そして多少の収入も得られるからと。相棒の友人と言う触込みだったから、雇い主は大そうよくしてくれたらしい。祝日になると行き場のない彼女を相棒は数人の友人を招いた食事会に招いたらしく、おかげで寂しい思いはしなかった。それから1年ほどで彼女はボローニャに帰ったそうだけど、そんなことを彼女が家族に報告したことから、彼女の家族からも大変信頼を得てボローニャに帰省するたびに歓迎されたらしい。らしい、と言うのは、私が相棒と知り合う随分前の話だからだ。これらのことは相棒と彼女から、少しづつ聞いた話なのである。彼女がボローニャで結婚して、夫とふたりでアメリカ旅行をしていたある日、私達は待ち合わせをしてそんな話を中心に、色んな話をしたものだ。それが私と彼女の出会いだった。
ところで相棒と私がアメリカを引き払ってボローニャに来たことを、彼女にはすぐに知らせなかった。どうしてだったかは思い出せない。多分、引っ越して来たはいいが、全く軌道に乗れなくて、それどころではなかったのではないだろうか。連絡はしなかったけれど、しかし、大きなスーパーマーケットの中でばったり出くわした。私達がボローニャに暮らすようになってから、3か月が経っていた。互いに大きなカートを押して、色んなものがその中に入っていたが、違っていたのは彼女と夫が押すカートの中には、かわいい子供たちが座っていたことだ。どうして知らせてくれなかったと、私達は酷くなじられたが、同時に、こんな具合に偶然会うことが出来たことを心から喜んだ。私がまだ何もすることが無いと知ると、彼女は小さな娘と息子を時々見に来てくれないかと言った。ベイビーシッターという奴だ。私は今までしたことが無かったから少々躊躇っていた。しかもイタリア語は話せなかった。どうしよう。心の中でそう呟いていたら、それを見抜くかのように、大丈夫、遊びに来てくれる程度でいいの、それにあなたのような人は外に出て仕事をしていた方がいい、と彼女が言った。その一言で私は時々彼女の家に行って数時間子供たちの相手をするようになった。例えば、彼女と夫が夜出掛けたい時。例えば彼女が髪の手入れや買い物に出掛けたい時。幸運だったのは子供たちが直ぐになついて、明日も遊びに来てほしいと言うようになったことだった。数か月後にはローマへ行ってしまった私。しかし1年後に戻ってくると、直ぐに声が掛かって再び子供たちの相手をするようになった。子供が眠らない晩は、小さな声で歌って聞かせた。日本語で小鳥の歌を歌った。意味が分からないと言う子供たちに、一語一語説明して、そんなことをしているうちに子供たちは歌を記憶して、大人たちを大そう驚かしてくれた。子供たちの柔らかな脳みそ。そうして私がフィレンツェの仕事を始めるか始めないかのタイミングで夫の仕事の都合で一家はローマへと移り、遠い存在になってしまった。あなたも一緒に来ないのかと、子供たちが問うた言葉が印象的だった。ローマで何年も生活した後、夫の都合で一家はロンドンに引っ越した。5年で帰ると言う約束だったらしいが、思うに既に10年近くが過ぎている。ロンドンの地が合って、其処の永住することに決めたのかもしれない。最後に会った時、もう随分と前のことだけれど、彼女が言ったこと。彼女の娘は美しく成長して、日本人のボーイフレンドが居るそうだ。ほんの数年だったけれど、私の存在は彼女に多少なりとも影響したのかもしれないと。彼女の話を聞きながら、私はあの日に歌った、小鳥の歌を思い出していた。
今日になって、どうしてそんなことを思い出したのかは分からない。今の気分が、ボローニャに引っ越してきて、多くの戸惑いに困っていた、あの頃に似ているからかもしれない。どの道に進んだらいいのか分からなくなって、困っているからなのかもしれない。でも、思い出してよかった。私は其れでも運がよかったのだ。手を差し伸べてくれる人が居たのだから。今更ながらだけれど、それに気が付いた。感謝だ。

猫は敏感だ。こんな気分の時は、必ず傍にくっついている。大丈夫、私が居るから元気を出してとでも言うように。とても優しい。勿論、大のお気に入りの相棒が家に帰ってくれば、私はあっという間に見放されてしまうのだけど。




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コメント

No title

yspringmindさん、こんにちは。
こちら、未だ全く軌道に乗れていません。スーパー往復です。
この記事を読んで、前のアパートの猫を思い出しました。ある晩、台所で一人泣いたことがあったんですが、朝しかやって来ない猫がその晩は網戸をスクラッチして入って来て、膝の上に乗ってきたことを。何かいい匂いがするのでしょうかねー?猫ってあまり感傷的にはならないタイプだと思っていたので吃驚でした。こちらは坂が多くて、車もないのでバスなのですが、とてもいい運動になります。

2016/06/19 (Sun) 20:20 | Tsuboi #- | URL | 編集
Re: No title

Tsuboiさん、こんにちは。私の方も軌道に乗っているとは言い難く、そんな風に見えるだけ、と自覚しています。行ったり来たり。案外誰もがそんな風なのかもしれませんね。Tsuboiさんの場合は、私的にはですが沢山の経験と発見に満ちた生活なのではないかと。その場合、軌道に乗るとか乗らないとかは取り敢えず横っちょに置いておいて、その現状を思い切り満喫するとよいのかなあと思います。誰もが手に入れられる状況ではありませんからね。
前のお家に通っていた猫ちゃんの話。猫って、実際とても敏感で繊細で優しいんですよ。可愛がってくれる人には感謝し、悲しんでいる人を慰めます。他所のお家の猫ちゃんだったけど、Tsuboiさんのことが好きだったんでしょうね。

2016/06/20 (Mon) 23:12 | yspringmind #- | URL | 編集

こんにちは。
まず、むかし勢いで家から飛び出せた彼女さんに、若さっていいですねと言いたい。なかなか、イタリアからアメリカに行けるものなのと。それとも、本人の府に落ちる理由や自分への説明がつけば行ってしまえばどこに行こうと枠はないのでしょう。私も若いとき、えいっと空港のゲートを越えたかったものです。もし越えたあと、よかったと思ったか、うーんちょっと違ったと思ったかわからない。
お友達の子供さんが日本人とお付き合いされてるのは少なからずyspringmindさんの影響があるかもしれませんね。
小鳥の歌をイギリスで歌っていたら、うれしいですね。小鳥はとっても歌がすきー、でしょうか。
ねこちゃん、やさしいですね。
こちらは梅雨です。
ここ十年見なかったカタツムリを見つけました。とてもうれしいです。この辺では絶滅したと思ってたので。

2016/06/23 (Thu) 06:03 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。若いと言うのは、本当に無鉄砲と言うか、勇気があって良いものです。後先考えずに飛び出す勇気は、今の私にはありません。昔から意外と慎重派ですが、慎重なくせに人生にギャンブルはつきものだと言って飛び出してしまった私も、今、それを出来るかと言ったらそうでもないようです。だから、若いと言うのは素晴らしいと思うのです。
小鳥の歌は、私が子供だった頃、母がよく歌ってくれました。だから誰が教えてくれたでもないのに、覚えて、今でも覚えているんですから、よほど好きだったのでしょう。簡単な歌だけど、楽しくて可愛くて、子供たちは大喜びだったのを今も覚えています。

つばめさん、こちらには嫌と言う程カタツムリが居ます。

2016/06/24 (Fri) 22:51 | yspringmind #- | URL | 編集

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