見覚えのある場所

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ゆっくり目を覚まして、時間を気にせずに朝食を楽しむのが週末の楽しみ。そして、テラスの植物に水をくべると、ああ、週末なのだと実感する。大きな鉢に植え替えたバジリコの葉が艶やかなこと。ジャスミンの花はもうじき咲くに違いない。ゼラニウムは次から次へと花を咲かせ、まるで季節を楽しんでいるように見える。猫は大窓が開け放たれていることを喜び、ゼラニウムの花の匂いを嗅ぎ、気持ちの良い風が首をすり抜けていくのを楽しむ。誰もが楽しんでいる週末の午前。6月とは何と美しい月なのだろう。
そんな私を戒めるかのように、午後になると雨が降り始めた。始まりはゆっくり。そのうち激しくなって、南側の窓を叩くように降った。雨は上がったが、今朝の楽しい空気は何処かへ追いやられてしまい、残されたのは鼠色の分厚い雲と、黒く濡れた地面。そして遠くに聞こえる雷の音。むせるような菩提樹の花の匂いは何処にも無く、週末を楽しむ気持ちに水を差すような冷たい風が吹く。今年の6月はいつもと違う。何時まで経っても本当の夏にならない。

数日前の晩に観た映画。題名は何と言っただろうか。見たことがない映画だった。普段テレビはあまり見ないが、消すこともなく長々と見続けたのは、見覚えのある場所を画面の中に見つけたからだった。あ、これはトロントの湖畔に違いない。私が歩いた場所。14年前の夏に。心臓をキュッと握られたような感じがした。
2000年の5月、私はフィレンツェで職を得た。ボローニャから宛てにならない電車に乗ってフィレンツェに毎朝通うのは、考えていた以上に面倒くさかった。アペニン山脈のトンネルの中で電車が止まってしまったり、何時まで経っても発車しなかったりと、思い通りにならぬことばかりだったけれど、それでも安定した仕事に就いたことは私の為にとても良かったと思う。フィレンツェに通い始めて2回目の夏、ふと思いついてトロントに暮らす友人夫婦を訪ねることにした。友人のアパートメントの階下に小さな部屋を借りたので、ちょっとしたトロントの生活も楽しめそうだった。友人夫婦と言っても夫の方とは初対面で、しかし彼女が望んだ人ならば、素晴らしい人に違いなかった。彼女たちには通常の生活があるからと、平日の昼間はひとりで散策することが多かった。どちらにしてもそれは私が所望していたことで、小さな地図を片手にあちらこちらへ足を延ばすのは、喜び以外の何者でもなかった。ボローニャなんて小さな街から来た私には、トロントの、何処まで行ってもまだトロント市街地といった規模に驚き、それにしたってワンブロックの長いこと、長いこと、歩くのが好きで、それを得意としていた私も、観念してバスやトラムを利用するようになった。ある晩、今日は何処へ行ったのかと彼女に訊かれて、街中の骨董品屋に立ち寄って小一時間店の人と話をした後に、店の前にちょうど来たトラムに乗ってビーチ地区へ行ったと報告すると、彼女も夫もその辺りが気に入りらしく、そんなところに行ってきた私の為に喜んでくれた。実を言うとトラムに乗ったはいいが、何処まで行くのか知らなくて大急ぎで地図を開いて調べてみたらビーチ地区へ行くことが分かったのだ。地図で見ると直ぐ近くのように見えるのだが、実際は大そう遠かった。トラムの終点まで乗っていればよかったのかもしれない。しかし敢えて少し手前で下車した。少し歩きたいと思って。ところが行けども行けども目的地に到着せず、途中で喉が渇いてカフェに入り、途中で面白そうな本屋を見つけて中に入り、途中で雑貨屋を見つけて興味本位で店に入りをしていたら、すっかり昼になってしまった。人々が昼食をとっているうちに、と私は目的地へと急いだ。目的地とは、オンタリオ湖の湖畔だった。湖畔と言っても湖があまりに大きくて、私には海のように見えた。足を水に濡らして遊ぶ子供たちを遠くで見守る大人たち。ピクニックに来たのだろうか、日陰に大きな布を広げ、寛ぐ人々の前には用意してきた食事が並んでいて、とても楽しそうだった。それから若いお嬢さんたち。水着姿で肌を焼いているのであろう。つい先ほどここに来たばかりと見えて、すらりと伸びた足や露わになった肩が異常に白かった。私は暫くそんな人たちをこっそり眺めながら歩き、座り心地の良い大きな岩を見つけると腰を下ろした。鞄の中にしたためてあった紙を引っ張り出して手紙を書いた。微かに波の音が聞こえて気持ちが良かった。トロントにしては暑い日だったと思う。ひんやりした湖の風が、火照った頬を冷やしてくれた。14年もの間、ずっと忘れていたあの情景。ビーチ地区の街並、湖畔の様子。映画を見ながら、確かに私はあそこに居たのだと思った。それにしたって、長い歳月にも拘らず、鮮やかに思い出したことに驚いた。また訪れたいと言いながら、長い歳月が過ぎてしまったことを、彼女は怒っているだろうか。

窓に着いた雨粒が、ようやく顔を出した太陽に照らされてきらきら光る。遠い雷の音はいつの間にか止んで、まるで何もなかったかのよう。どんなことも喉元ずぎれば忘れてしまう。それでいいのかもしれない。




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コメント

こんにちは。
情景が浮かびました。
トロントってカナダでしたっけ。
オンタリオ湖、大きいのですね。

たしかに、日常において以前いった場所、会った人は忘れていますね。
なにかの拍子に思い出して、今と照らし合わせてみたり、自分に前はこうだったでしょうと言い聞かせてみたり。その時々に感じたり察したり思ったことをずっと留まらせたいと思ったり。なぜなら、生活が過ぎるなかで、生活に追われたくないと、世間にすべてをのみ込まれたくないと思うのは子供っぽい考えなのでしょうか。大人の中には、「社会人として物事を考えなさい。」、「常識だ。」と言い切る人がいますね。それも世の中に鍛えられたとらえかたかも。わたしは、そこまでそまりたくないといつも思うので苦労します。
1個づつ、こどものように「なぜ」と思うことが多いので。

2016/06/19 (Sun) 16:26 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。トロントはカナダですよ。国が大きい分だけ湖の大きさも半端ではありませんでした。もし誰かが海だと言ったらば、信じてしまいそうなほど大きい。
記憶するのは大得意だと思っていましたが、そうでもないようです。時には記憶の小箱の底の方にしまい込んで、すっかり忘れてしまう。そういうことを思い出すのは、例えば本を読んだり、映画を見たりした時で、ああ、そんなことが私にもあったな、と一旦思い出すと芋づる式にあれk=もこれも思い出すと言った具合です。
ところでつばめさん。面白いことを言いましたね。
私は世間の人が同じことを考える必要はないと思っています。例えば仕事をしているならば、それなりの常識やら何やらが必要ですが、しかし、何事においても、当たり前とか当然とか言うことは無いと思うのです。そういうこともあれば、ああいうこともある。心のある人間だから、柔軟でいたいと思います。自分の常識を押し付けてはいけないですね。あなたと私は違って当然。そういうスタンスでいたいです。どんなことも丁寧に、考えて生活したいものです。

2016/06/19 (Sun) 18:31 | yspringmind #- | URL | 編集

わたしはyspringmindさんに出会って、言葉の種類ってたくさんあるんだなと知りました。
そのストックがたくさんあるとこんなにも表現が増すんだなと。もともと、話すのが苦手ですが、言葉の数が増えるといいなあと感じます。
イタリア人は表現が豊かな気がするのは感情が豊かだからかな。
柔軟なというのは、私もちょうど最近そういうことなのかーと少しわかった気がします。
カナダもいいですね。

2016/06/20 (Mon) 08:21 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、有難うございます。今の私には最高の褒め言葉でした。
私は昔無口でしたから、言葉は声ではなくて文字にしていたんです。でも、言葉って相手と交わすものなのでしょう。文字を紙に書きつけるだけだと自分の言葉の使い方、表現が深くなっていって、気が付いたら周囲と少しずれていたりして。そんなことも大人になるにしたがって調整されましたが、そう言う訳で文字にするとこんな具合になってしまう。それを豊かと言えば聞こえが良いけれど、さて、どうなんでしょうか。でも、そんなこともつばめさんが良いと感じてくれるならば、大変うれしいことであります。
ところで、カナダっていい国です。そして良い国民だとも思いました。

2016/06/20 (Mon) 23:22 | yspringmind #- | URL | 編集

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