燕の声が聞こえる

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ボローニャ旧市街の中心に建つ2本の塔の直ぐ近くに、私が利用するバスの停留所がある。仕事からの帰り道、いつも私は此処でバスを乗り換える。この時間帯はバスの本数が多い筈なのに、待っているバスはなかなか来ない。待っているバスに限って、なかなか来なくて私はいつもここで溜息をつく。と、上空から聞こえた声。ピー、ピーと元気で軽快な声だった。空を仰いでみて、気が付いた。沢山の燕たちが日本の塔の周りを飛び交っていた。こんな時、私は思うのだ。ああ、5月なのだな、と。

アメリカから相棒の故郷ボローニャに居を移して、しかし半年もすると私はひとりでローマへと飛び出した。幾度も相棒と話し合ってボローニャに戻ってきたのは、それから一年ほど経ってからの、10月初めのことだった。私が出したボローニャに戻ってくる条件は、ボローニャ旧市街に歩いて行ける界隈にアパートメントを借りることだった。アメリカで私達は気ままな暮らしだったから、相棒の家族のところに居候するのも、友人知人のところに居候するのも、私には窮屈でならなかった。例えばそれが家をシェアすると言った対等の立場であったらば、話しはまた違ったに違いないけれど、誰かのところに転がり込むのは何かハンディがあって、何時も気が引けてならなかったのだ。相棒が探してくれたのは狭くて古かったけれど、テラスだけは30平方メートルほどある、なかなか気の利いたアパートメントだった。君が気に入らなければどうしようもないからと相棒は言ったけれど、相棒の心配をよそに私は一目で気に入って、再びボローニャの生活が始まった。広いテラスには様々な鉢植えを置いた。陽当りが良かったので、どんな植物も良く育ち、中でもローズマリーノの成長ぶりは目を見張るほどだった。隣の家の家長は植物の手入れが趣味の、穏やかな性格の人物だった。私は草木に水をくべていると、ぼぞっと挨拶をして、それ以上話をすることは無かったけれど、花の種を土に埋めていると、こうした方が良い、ああした方が良いと、さりげなく助言してくれた。彼の妻はとても気持ちの良い人だった。洗濯が大好きな、ある年代の典型的なイタリア人女性で、度の強い眼鏡を掛けていた。あまりにレンズが分厚いので、彼女の目を見ることは不可能に近かったけれど、優しい目をしていたに違いない。彼らにはふたりの息子がいて、上の息子は年頃で、ある日恋人を連れて家に帰ってきた。そんなことまでどうして私が知っているかと言えば、彼らがテラスで話しをしているところに遭遇したからだ。若い恋人たちは爽やかで、ちょっと照れながら私に挨拶を投げてくれた。そのうち恋人が住むようになった。訊けば結婚したのだと言う。彼女は気持ちの良い人で、私を見かけるとテラスでも路上でも、大きな声で話しかけてくれた。私達がテラスで話をしていると彼女の夫も出て来て、話に加わった。長い冬が終わった後の春は話が特に弾んで、特に5月ともなれば気持ちが良くて夕方の立ち話に色を加えた。と、頭上で声が聞こえた。ピー、ピー。顔を上げると空高いところに燕たちがすいすいと飛んでいて、私達を喜ばせてくれた。どうやら燕の巣は建物の最上階の屋根の下にあるらしく、巣に飛び込んでは出てきて、また空を飛んだ。巣の中にはひな鳥が居たのだろう。ひな鳥に餌を与えるために巣に戻り、そしてまた餌を探しに飛び出していたに違いない。そんな様子を眺めながら、私達は5月を堪能して、それぞれの家に戻って行った。ピー、ピーという声を聞くと私はいつもあの頃のことを思い出す。ローマから戻ってきて、思い通りに仕事が見つからなかった4年間は心が塞いだ時期だったけれど、良い季節には窓を開け放って空を眺めた。燕が飛び交っているとテラスに飛び出して、私も空を飛べたらよいのにと思った。どこかへ飛んで行ってしまいたかったのかもしれない。それとも空の上から人々の生活を、道を行き交う人々を眺めてみたいと思ったのかもしれない。

あのアパートメントには結局10年近く住んだ。気に入っていた証拠である。そして其処を出てから10年近くになる。あの頃に比べれば私達の生活は安定していて文句のひとつもない筈だけど、何故だろう、あの頃がとても幸せだったように思える。素朴な人達が周りに居て、必要があれば飛んできてくれた、あのアパートメントでの暮らし。そうだ。素朴って案外良いことなのかもしれない。




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コメント

No title

こんにちは
yspringmindさんのきょうの記事を読ませて頂き
自分が経験したことではないのに、過去を振り返って 仰しゃられる事の
「かけら」を見つけた心地がして、とても愉快です。 

ぴーぴーという小鳥の声。 近くに巣があるんですね。
小鳥の巣は、とても素朴で心地よく作られていますよね。
前に長い休暇から戻ったら、玄関ドアに掛けたリースの中に、美しい
緑の球体が作られておりました。 みそさざいの巣で、とても嬉しかったです。 

2016/05/11 (Wed) 14:03 | すぷーん #EQkw1b1A | URL | 編集
No title

これはまた面白い構図の写真ですね。この前に見えている石ずみの角の処理 何かにぶつけられて石が壊れるのを避けるためにこうなってるのかしら?それとも 装飾かしら? ヨーロッパは石の文化ですよね。面白い。

ツバメ 実家の近くの阪急電車の高架下に沢山巣があって お店の方たちが暖かく見守っていてほほえましい光景です。
昔は実家にも巣がありましたが 大震災で家を建て直したので それからは来てくれなくなりました。

2016/05/12 (Thu) 07:53 | kimilon #aKMr6UbQ | URL | 編集

こんにちは。
きょうはつかれました。

2016/05/12 (Thu) 08:36 | つばめ #- | URL | 編集
Re: No title

すぷーんさん、こんにちは。返事が遅くなってごめんなさい。
私の経験を共有していただけたようでうれしいです。今になって思うのですが、質素な生活から感じること得ることは、波に乗って順調な生活から得るものよりも多いように思うのですが、どうでしょうか。感謝をすることも、そうした質素な生活だからこそ感じ得るものなのかもしれないなあ、と思いました。
玄関ドアに掛けたリースの中にみそさざいの巣が出来ていたなんて!それは痛快ですね。何だか家族が増えたみたいで。うちのテラスにも燕の巣が出来たらいいのになあ、なんて。

2016/05/14 (Sat) 14:00 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: No title

kimilonさん、こんにちは。
ははは。構図!私、写真を学んだことがありませんで、構図はまったくの自己流。写真のプロが見たら、何なんだ、と思う写真が殆どに違いありません。我ながら愉快で笑いが止まりません。
ところでヨーロッパは本当に石文化ですね。この塔が出来たのは1300年代ですから、この時代はこうした石の表面処理が主流だったと思われます。ボローニャ旧市街に様々な石を使った建物がありますが、実に様々で、建物が生まれた時代の文化、流行が窺えて面白いです。
燕を見ると初夏がやって来るのを感じますね。すいすいと空高く、泳ぐように飛び回る燕を見ていると、私も燕だったらよかったのに、なんて思っては苦笑してしまいます。

2016/05/14 (Sat) 14:08 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。疲れた時はゆっくりするのが一番。私も今週は大変疲れました。週末はのんびりぶらぶら、です。

2016/05/14 (Sat) 14:09 | yspringmind #- | URL | 編集

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