感謝

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今日の午前中、ボローニャとピアノーロを繋ぐ主要道路が通行止めになった。第二次世界大戦で使われたに違いない不発弾が見つかって、それを処理する作業の為だと言う。70年も経ってから、と思うけれど、この手の話は珍しくない。一年に1度くらいは聞く話で、その度に戦争が本当にあったことなのだと実感する。戦争を経験していない世代の私達は、こんな風にして過去に起きたことを知るのである。
今日は母の日で、日本の母にはメールを送り、相棒の母親には日曜日恒例の昼食会で母の日を祝った。相棒の母親が暮らすピアノーロから帰ってくる間、車窓の外を眺めていたら、こんなことを思い出した。

22年前のことだったと思う。アメリカに居た時のことだ。ガレージセールを初めて開いたその日の朝、母と同じくらいの世代の、日本人女性がやって来た。買ったはいいが何となく足に馴染まなくて使っていないスニーカーを彼女は手に取って見ていた。私が5ドルで売ろうとしていた靴だった。くるくるした髪の毛はパーマネントを掛けているに違いなかった。背丈は私と同じくらいで、何となく親しみを感じて声を掛けた。すると彼女は私に笑顔を向けて、私のことを随分前から知っていたのだと言った。訊けば十字路の直ぐ向こう側、つまり数軒先に住んでいるのだと言う。ああ、若い日本人女性がこの近くに住んでいるのだな、と思っていたが、まさかこの家だとは知らなかったらしい。彼女は何十年も前にアメリカ人男性と結婚して、大きな息子が居て、でも、息子は遠くに暮らしていて、今は夫婦二人暮らしだと言った。彼女は結局、靴を買わなかったけれど、その代り、何かあったらすぐに家のベルを鳴らしてくれればいい、大抵のことは助けることが出来るから、と優しい言葉を残してくれた。気にしてみていれば、確かに彼女と道ですれ違うことがよくあった。朝仕事へ行く時、夕方買い物に行く時、日曜日に散歩している時。そうして私達は挨拶を交わすようになった。ある日の夕方、家のベルが鳴った。階下に降りて扉を開けると彼女が立っていた。ちょっと日本の食事を作ったので、お裾分けだと言って大きな皿を持っていた。海苔巻きだった。わあっ、と喜ぶと彼女は皿は何時でもいいからと言葉を残して帰ってしまった。海苔巻きは大変美味しくて、相棒はそんな日本人が居ることを私の為にとても喜んだ。私はと言えば何か自分の母親にあい重なるものを感じはじめ、そんな人が直ぐ近くに居ることを幸運に思った。それでその、海苔巻きの皿である。何時、どんな形で返そうと考えていた所に母の日がやって来た。其れで近所で花を買って、それを持って彼女の家に行った。出てきたのは夫の方だった。彼女は留守だと勝手に思い込んだ私は、夫に皿の入った袋と、それから花を託した。今日は母の日。私は日本に暮らす母親に花を贈ることが出来ないから、近所に暮らす彼女に花を贈りたいことを伝えると、夫は酷く喜んで家の中に引っこむと妻と息子の手を引っ張って戻ってきた。そうしてこの花は彼女からの母の日の贈り物だと言い、息子は母の日を忘れていて感謝の一言も述べていないと言って息子を窘めた。彼女はとても喜んでくれた。その証拠に私をぎゅっと抱きしめて、頬にくちづけをしてくれた。息子はたった今まで忘れていたことを恥じて、彼女をぎょっと抱きしめて感謝の言葉を述べた。今年は息子に加えて娘もいると彼女が言うのを、夫は嬉しそうに眺めていた。あの日、私は彼女の娘だった。たった一度だけだったけれど。

感謝の言葉を述べると言うのは何て素敵なことだろうか。もっと私達は色んなことに感謝して、その気持ちを言葉にすることが出来ればいいのに。そうすれば、色んなことがうまく行くはずなのに。




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コメント

No title

yspringmindさん、こんにちは

ああ、何て良いエピソードだろう

日頃、両親への感謝の意が足りない私には

心に、刺さるなぁ^^;


今夜、両親に電話しようかな


不覚にも、少し、泣きそうになりました、今回のエピソードは

2016/05/09 (Mon) 08:13 | 高兄 #eP1cGWnA | URL | 編集

こんにちは。
気持ちのいい写真ですね。
風がふいてるような。
yspringmindさんのように、快い出来事を思ってみようとおもいます。
のり巻きを持ってきてもらったら、それはそれはうれしいでしょうね。
日ごろ感謝をこの人に伝えたいのだけど、うまく伝えられなかったり、感謝が一方通行で相手がなにも思ってなかったりしたことがあります。また、この人にはわかってほしいという気持ちが強すぎて、ずれてしまうこともありました。なんだか、20代以前の方が心もまっすぐで好き嫌いもはっきり言えて正直だったなあ。
おっしゃられていることは本当によくわかります。はたとおしえてもらったような。
いつもそのようにあれれば。

2016/05/09 (Mon) 17:06 | つばめ #- | URL | 編集
Re: No title

高兄さん、こんにちは。彼女は本当に目と鼻の先に住んでいたのに、全然気が付かなかったのです。私の存在に始めに気が付いたのは彼女の夫で、それで窓から眺めたら確かに若い日本人女性が歩いている…其れで話しかける機会を探していたそうです。2年も経たぬうちに私はボローニャに来てしまいましたが、ほんの少しだけの時間だったけれど、私は彼女をお母さんのように慕っていたところがあります。頼りにしていたといってもいいかもしれません。全く幸運でした、彼女と知り合えたのは。

2016/05/10 (Tue) 19:04 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。私の思い出の中には、勿論どうしようもないこともあるのですが、考えれば落ち込むだけだし、そういうことは忘れるのが良いのです。でも、と思うのですが、私はごく普通の人生を歩んできたけれど、しかし案外恵まれていたのかなと思います。というのは、酷く傷つけられたことも無ければ、死ぬほど悲しい思いをしたこともなく、思い出しながらふふふと笑ったり、懐かしがったり、そんなことがあったなあと言葉に出来るくらいなのですから。
人は時に考えすぎることがあるようです。感謝の言葉はどんな人から貰っても嬉しいものです。それが一方通行であることなんてないと思うのですが、どうでしょう。もし一方通行だったとしたら、それは感謝の言葉を受ける側の心が頑なになっているか、素直でないのだと思います。私は昔大嫌いだと思っていた人から、感謝の言葉を受けて、自分が頑なになっていたことに気が付いて大泣きしたことがあるのですよ。

2016/05/10 (Tue) 19:14 | yspringmind #- | URL | 編集

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