見知らぬ人達

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今朝は雨が窓ガラスを叩く音で目が覚めた。眠りが浅かったわけではないのに。起きて窓辺に近づくと先客が居た。猫は随分先に目を覚まして、空から落ちてくる雨を眺めていたらしい。隣の家のプールの水面に雨が当たって出来る轍を眺めるのが猫と私の共通項。これを眺めれば雨脚の強さがひと目でわかるから。それにこの轍は、何かワルツのようにも見えた。雨がワルツを踊るなんて聞いたことも無いけれど。折角の休みの日に雨が降るのは残念だけど、それに私は雨が嫌いだけど、少し雨が降らないと、地面も樹木も草花も喉が渇いて仕方がない。必要な雨。そう思えば雨降りも悪くない。

時々思い出すことがある。見知らぬ人達のこと。私はパリの街を彷徨っていた。昨秋のことだ。何しろ街が広すぎて、地図を手にしていても方向を間違えて、違う方へ違う方へと向かってしまう。時には足を止めて地図を広げ、さて、と考えていると、大抵誰かが足を止めてどこへ行きたいのかと声を掛けてくれた。その半分は英語を話せる人達で、その半分はフランス語しか話せない人達だった。どちらも大変親切で、特に後者は言葉で説明できない分、目的地が分かると途中まで連れて行ってくれて、此処から真っ直ぐ歩いて行けばたどり着くから、みたいな手振りで教えてくれると、さようなら、と言葉を残して今来た道を引き返していった。親切な人達。私はパリの人達がこれほど親切だとは夢にも思っていなかったから、空いた口が塞がらなくて、ひょっとすると夢でも見ているのではないかと思ったものだ。時には彷徨い放題で、同じところをぐるぐる歩くこともあった。そう言う時は大抵昼時で、人が妙に少なくて、私は大変な空腹で、このままで居たら空腹で行き倒れになってしまうのではないかと思った。ならばその辺のカフェやレストランなどに飛び込めばよいのに、何か旅行者を狙ったような店ばかりが目について、こんな店は嫌だわ! と通り過ぎてしまうのだった。その日の私は全くそんな風で、そのうち大きな通りに出たかと思ったら、そこがプランタンの入り口だった。別にここに来たかったわけではなかったが、プランタンの名前は知っていた。こういう店の中には何か気の利いた軽食の店があるものだ、それから上には展望台のような場所があるに違いない、と入ってみることにした。そうして上階へと進んでいくと美しいステンドグラスを施したクーポラを持つレストランを見つけた。此処で色んなことがあった。もう昼の注文が終わる時間なのに、かまいません、と言って昼食をサービスしてくれたこと。出てきた料理が注文したものと違うと困惑していたら、隣のテーブルの夫婦者が給仕を呼びつけて取り換えるようにと言ってくれたこと、夫婦者が食事を終えて席を立つときに、パリを楽しんでくださいよ、みたいな言葉を残してくれたこと。私は頭上のステンドグラスを見上げながら考えていた。百聞は一見に如かず。昔の人はそう言ったけれど、本当のその通りだ。フランスに一種の憧れをずっと昔から持ちながら、同時に大変な先入観、偏見みたいなものを抱え込んた。私が勝手に作り上げたフランス感だった。昔アメリカで知り合った、パリ生まれパリ育ちのソフィのせいだ。彼女のスノッブな高慢さが、私の心にそんなイメージを植え付けたのだ。勿論、単に数日滞在するのと生活するのでは、印象も違うだろうけれど、私には充分だった。私が自分で勝手に作った、パリとの、フランスとの分厚い壁を取り除くには、こんな小さな数々で充分だった。夫婦者がついていたテーブル席に、はっとするほど鮮やかなピンク色のスカートをはいた女性がやって来た。年の頃は60近く。すらりとした姿は常に自分の姿に気を使っていると思われた。潔い短い髪に膝よりもずっと上のスカート丈。とてもお洒落で軽快で、同じ女性として嬉しくなった。私と目が合うと、口角をくいっと上げて、明るい笑顔を見せてくれた。何か楽しいことが待っているらしく、彼女はとてもそわそわしていて、横に居る私も何だかそわそわしてきた頃、向こうからやって来たのは、彼女と同じ年代のシックな装いの髪の長い女性だった。こんにちはー、と華やかな声で挨拶を交わし合う彼女たちは、どうやら仲の良い友達らしく、それぞれが好みの紅茶を注文し終わると、次から次から言葉が流れて出た。美しいフランス語。彼女たちの言葉に耳を傾けながらそう思った。幾つになっても友達同士のお喋りは楽しいものよ。ふたりを包む空気がそう言っているようだった。彼女たちは時々こんな風にして待ち合わせをして、お喋りを楽しんでいるのだろう。私がパリのことで思い出すことは実に沢山あるけれど、あの日のステンドグラスの下でのことは、あれから幾度も思い出した。気持ちの良い人々。そう呼ぶのがぴったりくるような。私もそんな人間でありたいと思った、あの午後。

雨が降って急に季節が逆戻りしたようなボローニャ。暖かくして出掛けないと、風邪を引いてしまうよ、と相棒が言っていた。確かに。道行く人達はコートを纏い、首にはスカーフを巻き付けている。必要な雨とはいえ、明日は是非、太陽の光の恵みを。そう願っているのは、私だけではないに違いない。




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コメント

こんにちは。
はあー。ため息が出るほどきれいなステンドグラスに、とってもすてきな話をわけてもらってありがとう。
実際にこんな空間が同じ時代にあるなんて!
ピンク色のスカートの女性のはなし、なんだかいい話ですね。わたしだったら、じーっと見てしまうか、そわそわしてきそう。
 パリの人はわたしもどちらかというと冷たいのかなと思っていました。そんなに地図の案内をしてくれるんですねえ。親切に接することがごくふつうにあるって、すごいすてきじゃないですか。
yspringmindさんがおっしゃるとおり、あまたの人を魅了してきたパリはすてきなんでしょうね。わたしもどちらかというと、フランス国旗とエッフェル塔のイメージしかなくて。わたしはいちばん最初に憧れた国はアメリカ(人種のるつぼ、ニューヨークや広い土地にあこがれ)、次に北欧(ワーグナーの音楽フィヨルドにあこがれ)、イギリス(グリーンスリーブスという音楽にあこがれ、スコーンと紅茶が飲みたい)、イタリア(考え方に興味があって)。フランスのフの字もなかったんですよ。そんなに紳士的で気さくで風通しがすこぶるよい街ならあこがれます。人が世界中から人が来てもオープンというのは何がどうちがってそうなるんですかねえ。住んでる人も世界中からの人だろうし。
yspringmindさん、パリにまた行きたいですか。
ねこちゃんは、雨をじーっと見てるんですか。

2016/04/25 (Mon) 15:16 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。私の印象から言えばパリのプランタンの作りはあまり素敵ではないのです。なにか昔の日本のデパートと言った印象で、見せるとか楽しませると言ったセンスに掛けていると言うかなんというか。あくまでも私が得た印象ですよ。ところがですね、この上の階にあったレストランのステンドグラスにおいては、そうした古臭い印象などどうでも良いではないかと思わせるような凄い魅力がありまして、パリへ行ったらもう一度あの店で、今度は4時頃に紅茶などを頂きたいと思っている次第なのです。そしてこうした場所には素敵な人が来るもので、隣に座った二人の女性の魅力的なことと言ったら! フランス語が分かったら、彼女たちが何を話しているのか分かるのに、耳をそばだてて聞けたのに、と思いました。幾つになっても楽しいことを大切にする人達。私も彼女たちのようでありたいと思いました。
ということで私はまたパリへ行きたいし、多分これから何度も行くと思います。そう願っています。
猫は、うちの猫は、自分が猫だってことを知っているのかなあ。

2016/04/26 (Tue) 22:28 | yspringmind #- | URL | 編集

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