彼女のこと

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旧市街を歩いていたら、ふとその前を通りかかって思い出した。確か、彼女の大祖父か誰かが駐輪場を営んでいたという場所だった。ボローニャ旧市街の真ん中にあるマッジョーレ広場から直ぐ其処に在る通りだ。こんな場所に駐輪場を営んでいたなんて信じられないと、その話を初めて彼女から聞いた時は驚いたものだけど、確かに昔は自転車が主流で、街中の其処はさぞかし流行ったに違いないと、今は思う。

彼女と言うのは相棒のずっと年下の幼馴染で、昔、相棒と彼女の二家族は旧市街から直ぐ出たところの同じ建物に暮らしていたらしい。今なら手が出ないような界隈だけれど、この二家族が暮らしていたくらいだから、当時はごく普通の界隈だったことが窺える。彼女の名前はモニカ。彼女にはマルコと言う名の弟がいて、アメリカに暮らしていた相棒と私のアパートメントに数か月居候していたことがある。私にとってはマルコは、そして姉のモニカも、見知らぬ人でしかなかったけれど、相棒にとってはずっと年下の妹と弟のような存在だったらしい。だから、急にマルコが来ることになって、相棒はとても喜んでいた。兎に角そんなことがあったことから、相棒と私がボローニャに引っ越すと決まった時には、今度はモニカがとても良くしてくれた。ピアノーロに暮らしていたモニカのところにひと月ほど居候した。モニカの家には彼女のお祖母さんと恋人が居た。お祖母さんは相棒のことをよく覚えているらしく、ずっとここに居ればいいなどと言ったけれど、私達はやはり肩身が狭いには違いなく、一日も早く家を探してここを出なければならないと思っていた。そのうちモニカが、田舎に一軒家を借りて、一緒に暮らさないかと言いだした。モニカが其れほど相棒に愛着があるとは知らなかったので私はとても驚いたけれど、モニカの恋人もまた、自分の恋人が言いだしたことに驚いていた。そうして君はそれでもいいのかと、結婚している君たちが僕らと一緒に家を借りて暮らすなんてことになってもいいのかと、何時だか、モニカが居なかった夕方に訊かれたことがあった。わからないわ。あなたはどうなのよ。と、私が逆に訊ねると、僕だってよく分からないのさ、と言って困ったように笑った。何軒か見に行った。ひとつは山の、恐ろしく古くて、二階に4人も上がると分解してしまいそうにゆらゆら揺れる家だった。安ければいいというものではない。こんな家には住めない。と私が怒ると、相棒も同感して、こんな家に住もうと提案したモニカを窘めた。それから今度はボローニャから30キロほど北東に行った用水路があちらこちらに存在する平地へ行った。大きな二階建てで建物は頑丈だったけれど、家の周りは農地と用水路と道路しかなかった。冬は濃霧で一寸先も見えないこと間違えなしで、夏は蚊が大量に発生してどうしようもない場所だった。網戸をつければいい、とモニカは言ったけれど。でも一番の問題は、この場所に暮らしたら私は仙人か何かになってしまいそうな気がしたことだ。世間から隔絶された生活。するとモニカは、私が居るじゃない。私と言う友達が居れば問題が無いでしょう? と自信ありげに言った。どうしたら彼女に上手く説明できるかと頭をひねっていたら、彼女の恋人が助け舟を出した。こんなところに暮らしていたら、彼女はノイローゼになってしまう。だいたい君だって、3日と居られないだろう。モニカはそんなことは無いと言ったけれど、でもあっさり引き下がったところを見ると、案外、全くその通りだと思ったのかもしれない。その後もいくつか見たけれど、結局私達は一緒に暮らすことを辞めた。正直言ってほっとしていた。モニカは陽気で楽しいけれど、現実を直視することが出来ず、一緒に生活をするのは大変そうだったからだ。そんなモニカは自分の弟のマルコを欲しいものはすぐに手に入れたがる、現実を直視できない大きな子供と言っていたけれど。いやなに、モニカもマルコも似た者同士なのだ。姉と弟。傍から見ればそっくりだ。モニカと恋人は上手くやっているようだったけれど、それも数年後あっけなく終わった。モニカが夏だけのアルバイトでエジプトの海か何かへ行って、其処で新しい恋人を作ったからだ。彼女の恋人は年月をかけてやっとモニカと結婚することを決心したところだったが、モニカは待ちきれなかったのだろう。いつだか、あなた達のような性格の違う二人がどうして結婚など出来たのかとモニカが私に訊いたけれど、確かに相棒と私は性格の違う者同士だけれど、あれから20年も経つ今も結婚が壊れていない。モニカがそれを知ったら驚くに違いない。もう何年も前にモニカはローマに移り住み、ボローニャにはあまり帰ってこないらしい。ローマの水が合うらしい。ローマに暮らしたらボローニャなどには暮らせないと言っていた。確かにボローニャ郊外のピアノーロに住んでいた彼女にしてみれば、ローマの生活は素敵に違いない。

ボローニャに来てから沢山の人と出会い、そして別れた。いや、喧嘩をしたわけじゃない。だから、別れたと言うよりは自然に会わなくなっただけだ。それぞれが、それぞれ違う方向に歩き始めたからで、別に悪いことじゃない。




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コメント

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2016/04/18 (Mon) 02:25 | # | | 編集

こんにちは。
空のひかりまで反射して建物の色と影までブルーに見えます。
ひきこまれるように読んでいました。
yspringmindさん、ほんとうに文章が絵になって見えそうです。いろんな景色、いろんな人がいるんだなと思って。
モニカさんはローマですか。ローマには楽しいこと、新しいことがあるのかな。
よく、yspringmindさん、知らない所でモニカさんの意見にながされることなく、いやなところはいやと言えていいですね。わたしは、相棒と住んだ家で、もうここはかなわないなと思ったアパートは、北側の大通りに面した2階で冬は底冷えして寒いし、車の音は夜中もにぎやか、ずっと耳のなかで車が走ってるような感じがたまりません。なぜそこを選ぶことになったかと言うと、お姑めさんが「ここがいい、ここがいい。」とすすめられるままだったのですが。住んでみると蛇口からは始め茶色い水が出てくるし、お風呂はこわれるし、寝てると頭のすぐそこを大型車が走っていくし、いちばん困ったのはお日様が入らないこと。自分にとって日の光がこんなに大切とは思いませんでした。お姑めさんは、立て込んだあまり日の光とは関係ないうちで今まで暮らしてこられたので、おおざっぱなようです。私には電気の光の下にずっといるなんて、頭の上を大型車が通って建物が揺れるなんてだめなんです。楽しもうにも、お姑めさんに「みんなそうやで。」とひとくくりにされるとさらにセンスのない感じが。窓は少ないし、暗いし、うるさいし、茶色い水が出てくるし、一階のハードロックカフェは夜中に音がもれるし。工夫次第で変えられるところは変えようにも、部屋の向きは変えられません。
私のように、日のサンサンとふりそそぐ所で育ったり、過ごしてきた者にとって、あまりにもつらい経験です。そのとき、相棒の両親でも育ってきた環境が違うと分かり合えない価値観があるということと、人の言うとおりに信用して聞いていたらだめなんだなと思いました。
わたしには、お日様が必要、重要なんです。
話は違いますが、いま、NHK朝ドラで「ととねえちゃん」をやっています。昭和の話です。私も昭和生まれです。静岡から今度話が東京に移ります。yspringmindさんがなつかしく思われる話でないかなと思います。ちがったらごめんなさい。私も久しぶりに見ています。雑誌「暮らしの手帳」を作った女性の話ですよ。

2016/04/18 (Mon) 18:42 | つばめ #- | URL | 編集
Re: No title

鍵コメさん、こんにちは。思うに日本人は、とても堅実で、他人のことを思いやることの出来る、若しくは人の気持ちを察することが出来る、とても稀な国民なのではないかと思います。国外に出るとそれがよく分かりますね。以心伝心なんてものは存在しないし、相手の気持ちを考えて言葉を発することもありません。まずは自分。自分がどうしたいか、どう思うか。まずそれがあって、それだけで終わることもありますから。
ところで鍵コメさんのお家に来る他所猫の主が、太り始めたので餌をやらないでください、と言ったのは面白いですね。それから餌をやらないと他所の猫が膝を噛む? 猫の飼い主の言葉を聞かせてあげたいではありませんか。それにしても、毎日家に猫ちゃんが来ると言うことでしょうか。
全く色んな人が居るものです。うちの周辺にも、それから職場にだって。楽しいといえば楽しく、しかし、あまりに様々なので、時にはひどく疲れることもありますけど。

2016/04/19 (Tue) 22:15 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。モニカは夢見る夢子さん。私だって夢ばかり見ていますが、しかし彼女を前にしたら、自分は何て現実主義なのだろうと思ったほどです。夏の3,4か月を夏のリゾート地で楽しみながら仕事をして、残りは遊んで暮らすような人でした。あれ程山に住みたいと言いながら、恋人とふたりで山に家を買ったら、結局、山過ぎて暮らせないと言ってお祖母さんのアパートに戻っていきました。結構人を振り回してくれる、爆弾みたいな人でもありました。ローマが肌に合うらしいです。もう長いことあっていないんですよ。
私にとって住む家というのはとても大切でした。というのは、それでなくても異文化の中に独りぼっちで何とかやって行かねばならなかったので、せめて家の中では肩の力を抜いていたかったからです。自分で外に行けるような場所が必要だったし、太陽の光も、窓から見える緑も、それから開放的な空気も必要でした。だから、自分が暮らす家を他の誰かが決めるなんて、とんでもない!と思っていた訳です。つばめさんはお姑さんの勧めで家が決まってしまったそうで残念でしたね。私も姑が口をはさんできたことがありましたが、あなたの家ではない、私が住む家だから私が決める、と言って口を挟まぬように頼みました。勿論不服だったでしょうけど、でも、別に家賃を払ってくれるでもないですからね。言うべきことは言わないと、後で大変なことになります。
ところで、NHK朝ドラマのととねえちゃん。ネットで調べてみましたがおもしろそうですね。私も勿論昭和生まれです。戦争直後生まれではありませんけれど。

2016/04/19 (Tue) 22:42 | yspringmind #- | URL | 編集

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