2月

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思い通りにならないことがある。それは最近の自分の体調で、私の前向きな気持ち、元気な気持ちを思い悩ます。誰にでもそういう時期があるのだろう、そうに違いない、と軽く流すようにして居るけれど。それも春が来れば、そんなこともあったなあ、などと思えるようになるのかもしれないけれど。私のことを猫は猫なりに心配しているらしい。時々私の顔を覗き込んで、元気? と問いかける。大丈夫、大丈夫。そう言って猫の頭をぐりぐり撫でる。それで安心したか、もう猫の視線は窓ガラスの外。

丁度20年前の今頃、私はローマのアパートメントに下宿していた。ボローニャに引っ越したが何もかもがうまく行かず、仕事を見つけてローマに飛び出したのだ、相棒をボローニャに残して。始めは相棒の友人のところに泊めて貰い、それからヴィットリオ広場の直ぐそばの、昔は豊かな家族が住んだに違いない、重々しい建物の上階に暮らす、80歳くらいの未亡人の広いアパートメントの一部屋を貸して貰った。老女は昔、その少し先で夫と時計と宝石を扱う店を営んでいたらしい。昔から豊かだったからそんな店を営めたのか、それとも店が成功して豊を得たのか、兎に角、彼女のアパートメントに入ったら、その豊かさが分かるというものだった。リーナ、と言う名の老女だった。階下には息子夫婦が住んでいて、時々母親の為に食料品や必要なものを届けに来た。あの店は、今は息子が引き継いでいるらしかった。息子はいつも仕立ての良いコートに見て其れと直ぐに分かるボルサリーノの帽子を被っていて、ちょっと威張った印象の人だった。この部屋を借りるにあたって、随分と厳しい審査があったのは、家の中に沢山の高価なものが収められているかららしかった。例えばひい御爺さんの金の懐中時計とか、大御婆様のエメラルドが幾つも嵌められたペンダントだとか、この家族にとってはとても大切なものだった。そしてローマ辺りではもう珍しくもなくなったであろう外国人の私を、入居させるか、させないかを何日も掛けて審査したのだから、晴れて入居できることになった時は、何か誇らしい気さえしたものだ。こんな由緒ある家に部屋を借りることが出来るなんて、君は幸運だ、みたいなことを老女の息子が言ったことを、私は今でも忘れていない。私が借りたのは全く小さな部屋で、唯一の救いは両開きの酷く縦長の窓を開けた目の前に、冬でも緑が豊かな広場が広がっていることだった。相棒と離れて、これといった知り合いもいないローマでの生活。仕事のある日はそうでもなかったけれど、休みの日は溜らなかった。老女相手に話をしようにも、私のつたないイタリア語では充分でなかったし、狭い閉塞感のある部屋に居るのも苦痛だった。かといってローマとは言え、外を散歩するには2月は寒かったし、休みの日が来る度に、ローマに来たのはひょっとして間違っていたのではないかと思った。太陽が出ている時は思い切って外を歩いた。そうして歩いているうちに、この辺りは私好みでないことが分かりだした。大体この家は相棒の友人が新聞で見つけたもので、私が働き始める職場へ歩いて行けると言うことだけで選んだものだった。環境とか、好みとか、何とかを考える余裕は私にはなかったのだ。それに私はローマを知らな過ぎた。私の知っているローマは、この家と職場の間と、そのごく周辺でしかなかった。
そうしているうちに仕事を通じて得た知人から、プラティという界隈のアパートメントに部屋がひとつ空いていることを知って、早々と老女の家から出た。老女の息子は、僅かひと月で出ていく私が、もしや母親が意地悪をしたのではないかとか、何か不自由なことがあったのではないかと心配した。案外、前の下宿人は、そんなことが理由で出て行ってしまったのかもしれない、確か数か月で出ていったと言っていたから、などと思いながらも、大変親切にして貰ったと礼を言うと息子はほっとしたようだ。多分体裁を気にしているのだろう。こうした家の人達は、何かと周囲の噂を気にするから。
ひと月しか暮らさなかったのに今でも2月になる度にあの家を思い出すのは、あれが私のローマの生活の始まりだったからだ。メトロに乗らずに毎朝毎夕、家と職場の間を歩いた。まあ、歩いたと言っても地下鉄の駅ふたつ分しかなかったけれど。毎日歩く道沿いに色んな面白いものを見つけたり、少し違う道を歩いた為に迷ってしまって仕事に遅刻しそうになったり。あれはあれで良かったのだ。あまりぱっとしないひと月だったけれど、考えてみれば見ず知らずの外国人を家に招き入れてくれたのだから、感謝する以外に何が出来ようか。

昔はフットワークが軽かった。今ならこんなに気軽にボローニャを飛び出したり、家を替えたり、知らない人達と同居したりは出来ないだろう。重たい、大きなスーツケースをふたつ携えて、タクシーでローマを横断した2月最後の日。素晴らしい快晴で、こんなに空が青いなんてと思ったことを今でも覚えている。若いと言うのは良いことだ。若いうちに色んなことを経験できたこと。決して平坦な道のりではなく、良いことばかりではなかったけれど、私は案外幸運だったのかもしれない。

2月が終われば、私は元気になるだろう。毎年同じことの繰り返しなのだ。それにしたって明日からの数日間、ボローニャは雨降りが続くらしい。そうして雨が止んだらば、待望の春がやって来るのかもしれない。


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コメント

日本では見られない街並み、素敵ですね。
応援しておきました。ポチッ

2016/02/25 (Thu) 03:15 | 矢田@医療職兼業トレーダー #- | URL | 編集
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2016/02/25 (Thu) 14:13 | # | | 編集

ご無沙汰しています。
体調不良、そのようなものは早く過ぎ去るに越したことは無いですね。
私も職場で、今はやりの?ハラスメント担当になってしまい、気が滅入る毎日です。
人って外見やいつもの態度だけでは分からないものですね。
ブログに出てくる人達は、結局良い人達に落ち着きますね。毎回ホッとして、嬉しくなってしまいます。

2016/02/25 (Thu) 15:22 | Via Valdossola #P6wRKz4w | URL | 編集
Re: タイトルなし

矢田@医療職兼業トレーダー さん、こんにちは。確かにボローニャの街の様子、日本と違いますね。
これからもお付き合いお願いします。

2016/02/26 (Fri) 00:05 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: あと少しで3月

鍵コメさん、こんにちは。あと少しの辛抱なのです。2月が終われば、元気になれるような気がする…気のせいかもしれませんが。気持ちを切り替えると言う言葉は、自分から進んで、といった感じがあって良いですね。そういう気持ちがあれば、必ずうまく気持ちを切り替えられるのだと信じています。
長く続けられた仕事を辞めるのは勇気が要りますね。辞めるのは簡単、続けるのは本当に難しいです。だから、これは!と言う時の為にのの決断はとっておくのはどうでしょう。例えば新天地へ行くときにとか、再び勉強を始める時にとか。
私の経験は、実に自分中心に生きてきた結果に寄るものだと思います。もし相棒のことを考えたら、ローマへ行くことは出来なかったでしょう。まあ、逆から言えば周囲の助けあってできたことなのです。感謝しなければなりません。

今週末は大雨になるそうです。折角の週末なのに。2月という月は、そういう月なのかもしれませんね。

2016/02/26 (Fri) 00:13 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

Via Valdossolaさん、こんにちは。職場でハラスメント担当になってしまったそうで、考えるだけで大変そうですね。ストレスをためないようにお願いしますよ。気分転換にボローニャなど如何でしょうか。
人には悪い点と同じくらい良い点があると思います。私は嫌いなタイプの人に遭遇すると、一生懸命その人の良いところを探すことにしています。時には本当に嫌な点ばかり見つかってしまうのですが、そういう時にはかかわらず、通り過ぎるのが良いでしょう。春はもう直ぐ。くよくよなどしていられませんね。

2016/02/26 (Fri) 00:19 | yspringmind #- | URL | 編集

こんにちは。
お話にひきこまれました。
なぜならyspringmindさんの過ごしてきた20年前が目に見えるように描き出されていたこと。まるでその当時のローマにいるような、老婆の家に入っているような気になりました。そしてyspringmindさんの20年まえの気持ちを思うときゅっとなりました。そして私も似て非なるものですが同じような事をしていること。自分はどう進むべきか教えられたようなこと。
私が逃げてきているあの黄色い街の色とボローニャが全くもって似ていること。私もいわゆる相棒をおいてきていること。私もyspringmindさんと同じく木がないと生きていけないこと。前に進むしかないのはわかっていること。知り合いのいない不安。
くらしはずっと続いていきますね。
今日は本当に天気がいいです。
日差しが暖かな日はおしゃべりが多くなります。

2016/02/28 (Sun) 06:04 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。私にとって20年前のローマの暮らしは、忘れがたいものです。多分一生忘れることが無いでしょう。周囲の人からすれば随分と無茶な話でした。でも、あの時ローマへ飛び出さなかったら、多分私は自分を見失っていたか、若しくは相棒と別れていたと思います。そのくらい、私はボローニャの生活でぎりぎりのところまで来ていました。ローマで相棒と離れて暮らしていくうちに、分かって来たんですよ。色んなことが。其れでボローニャに帰りました。
はっきり言って私が辿ってきた道は、めちゃくちゃです。自慢できることなんてひとつもない。でも、いつも自分で手探りで探して、自分で決めてきた、それが私の人生なのだと思います。失敗も沢山、良いことなんてほんの一掴みもない。でもそれがとても自分らしいとも思うのです。

2016/02/28 (Sun) 23:18 | yspringmind #- | URL | 編集

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