古いこと

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13日間の冬休みを終えてい普通の生活に戻る。それは簡単なようで簡単ではない。朝の早起きも、翌朝のことを考えて早く眠りに就くことも。猫だってそうだ。私達に合わせて早起きして、身支度して。勿論、私達が家を出てしまえば再び呑気な時間の始まりだけど。エピファニアの翌日の晩、居間の一角に飾っていたクリスマスツリーを片付けた。すっきりしたような気もするし、寂しいような気もするし。猫はクリスマスツリーを片付けないでほしいらしく、あの手この手で私の作業の邪魔をした。私が、はい、来年の12月までさようなら、と言って大きな箱を閉じると、猫はすっかりいじけてしまった。それで、ここ数日は私にちっとも寄り付かない。

今日は張り切って旧市街へ行った。2日間、職場でパソコンと睨み合いをしていたので、街を歩こうと思ったのだ。街は大賑わいだった。サント・ステファノ広場に骨董品市が立ち、そして5日から始まった冬のサルディを利用して買い物をする人たちが沢山いた。私は既に帽子をひとつ新調した。全くシンプルな帽子だけれど、私好みの折りたたんで鞄にしまえる、ずっと探していた帽子だった。数日前まで定価で売られていた物を4割安で購入したのだから、満足と言う以外なかった。この冬のサルディはこれで充分。だから今日の散策は、歩きながら観察することが目的だった。
週末と祝日に限っては、家から旧市街へと続く13番のバスは街の中心の広場を終点とする。街の中心の大通りが車の進入禁止になるからだ。歩く私としては、道の真ん中を堂々と歩くことが出来る開放感を楽しめる日であるけれど、同時にバスを利用する私は、もう少し先まで行きたいのになあ、と実に微妙な心境である。それで途中で乗り換えて、もう少し先の方まで行った。Via San Felice界隈。15年くらい前まで、其処に足繁く通った。友人が営む店があったからだ。ひとつはワインと食事を楽しむ店で、もうひとつはアンティークの店だった。でも、もっと前から私はこの界隈に馴染んでいたのかもしれない。例えばそれは知人のそのまた知人がこの辺りに住んでいたから、などと言う理由で。この一方通行の通りの左右には古いポルティコが存在していて、一様に古い。そうだ、この辺りの建物はどれも本当に古いのだ。朽ちた教会が中ほどの角っこに在る。何時から閉まっているのか知らないけれど、私がこの教会の前を初めて通った時には既に教会としての役目を果たさなくなっていて、建物の前には浮浪者じみた人がいつも酒瓶を手にしてうずくまっていた。建物は朽ちる一方だった。この建物ばかりではない。何処も煤けた感じがあった。だから初めてこの界隈に来た時は、なんて通りなのだ、と驚いた覚えがある。私はまだ、この辺りのことをよく知らなかったし、古い物の良さが分からなかったのだ。私は一般的に新しく近代的なものが良いとされる日本、そしてアメリカからやって来たばかりだったのだ。骨董品が好きでも、古い街並み、古い壁、回廊の良さを理解することは出来なかったと言う訳だ。知人たちがいつも私に言った。古さの美が分かるようにならなくてはね、と。そう言えば、アメリカに居た頃、一緒に暮らしていたイタリア人女性はよく言ったものだ。あなたにはこの美しさが分からないの? そう言う時は大抵、イタリアの古い古い街並みの写真を見ている時だった。長い歴史を潜り抜けてきた美、人が大切に守り続けてきた美。あの頃の私には全然わからなかった。何時の頃からか、私は古い美を理解し、そうした街並みを好むようになった。人間とは変わるものなのだ。私がそうした環境の中に居ることも大いに影響しているのかもしれない。それにしても元教会のこの建物は朽ちていく一方だ。その側面の壁は路上の無料ギャラリーのような存在。何時通りかかっても気の利いたポスターで私の目を楽しませてくれる。

たったの2時間で歩き疲れるとはどうしたことか。家の近くのバールに立ち寄って、小さなパニーノに齧り付いていたら、注文もしていないのにグラスに注がれた白ワインが出てきた。近所に暮らすシルヴァーノ老人からの奢りらしい。何か飲まなくては喉に詰まるだろう、とのことだった。美しいのは古い街並みや古いものばかりではない。古い人たちのちょっしとした心遣いもまた、美しくて尊いのだ。


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コメント

お心遣い

yspringmindさんこんにちは。
自然に恵まれる、お心遣いって、ありがたく何とも言えぬ心が温かくなる時ですね。このような内容を拝読する側も、ジーンときます。
そんなイタリアが大好きになる訳だ、早く行きたい!と心が揺らぎます。

街を歩きながら、目で楽しみリフレッシュする貴重な週末、それをご紹介くださる
支えるなります。
歴史的な古い風景建物魅力的ですね。

2016/01/11 (Mon) 06:15 | すみれ #GYxcADzc | URL | 編集

yspringmindさんこんにちは。
古いものといえば、最近 面白いことがありました。2、3年前までまだ 義父母が元気だったころは、ノエルや夏に家族が集まるときはいつも彼らの田舎の家での食事会でした。家人がはじめて私を家族に紹介するためにノエルに連れて行ったのもこの家でした。そしていつも 花柄のリモージュの食器で御飯を食べるのです。
義父母も年をとり、この家での集会ももうなくなってしまいました。
私はその花柄と金の模様の食器がとても好きなのです。
前回彼らが私たちの家に来たときに、思いがけないことに「あの食器を良かったらもらってくれない?」とたずねられました。
よくきいてみると、その食器は義父のお母さんのお嫁入り道具だったそうです。いまは私たちの家になっている田舎の家に住んでいた 家人のおばあさんのものということです。
なんだか不思議な気持ちになりました。
その食器たちが帰ってくるということに。
古い物、歴史を持っている者たち、そして歴史を作っていく者たち。

さて 食器棚の整理をしなくては、、

2016/01/11 (Mon) 13:36 | kimilon #aKMr6UbQ | URL | 編集

こんにちは、yspringmindさん。
古さの美。それをイタリアの人たちがあたりまえにとらえているとしたら、この現代において本物の美しさを知っているのでしょうね。
なにが違うんでしょうね。
歴史が長いからかな。

2016/01/11 (Mon) 14:05 | つばめ #- | URL | 編集
Re: お心遣い

すみれさん、こんにちは。私は老人に奢って貰うのは心苦しくてならないのですが、彼らからすれば年上が奢るのが当然、ということらしいです。それにしても、こうした気持ちは嬉しいですね。さりげなく気軽に。こういう事があるところが、イタリアの良いところなのかもしれません。
イタリアに来て古い街並みの美しさを知りました。そうした意味でも、私はイタリアに来てよかったと思います。

2016/01/12 (Tue) 00:15 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

kimilonさん、こんにちは。素適なお話有難うございました。kimilonが好きだったリモージュの食器にはそんな歴史、背後があったのですね。そうして、新しいお嫁さんへと継がれていくこと、そういうことが普通に現代の生活にも残っていることに私は心を惹かれました。古いものは単に古いものではありませんね。年月が経つ間に何かのストーリーを隠し持っている、そんな気がします。
さ、そう言う訳ですから受け継いだ大切な食器たちの為に、食器棚の整理を頑張りましょう。

2016/01/12 (Tue) 00:21 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。イタリア人は古いものが好きです。そしてそういうものが存在することがごく当たり前で、また次の時代に引き継いでいく。そういうところがイタリアの良いところだと思います。何が違うのか…何でしょう。価値観の違いといったら簡単すぎるでしょうか。

2016/01/12 (Tue) 00:28 | yspringmind #- | URL | 編集

うふふ そうでした。私はもう10年ものの新しいお嫁さんでした。
食器棚の整理 大変です。新しい収納場所をみつけないと。。。古い家って 収納場所が無いんですよね。

2016/01/15 (Fri) 13:09 | kimilon #aKMr6UbQ | URL | 編集
Re: タイトルなし

kimilonさん、10年ものの新しいお嫁さん! お姑さんからすれば、やはり新しいお嫁さんに違いはありませんよ。
整理って、簡単そうだけれど本当に大変ですね。ヨーロッパの昔からの家はスカーンと何もない壁に囲まれているだけで収納場所は無いですからね。

2016/01/16 (Sat) 18:34 | yspringmind #- | URL | 編集

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